『世界の涯ての鼓動』、ヴィム・ヴェンダース監督、2017年、112分。独・仏・西・米合作。
原題は、『Submergence』(水没、潜水の意)。ジェームズ・マカヴォイ、アリシア・ヴィキャンデル。原作は、J・M・レッドガード、『Submergence』。
この映画が、たびたび失敗だと言われるのは、どうしてだろう。
二人の男女の出会いは、短すぎたのだろうか。
束の間の休暇での二人の出会いは、5日間だった。知的で哲学的な二人の会話からは「運命の出会い」は感じられず、少し説得力に欠けていたのかもしれない。
ダニーは、生物数学者として、超深海潜水艇に乗る。ジェームスは、MI6の諜報員として、南ソマリアで連絡員と接触する。
設定も少し、突飛と言えばそうかもしれない。
けれど私は、この作品が「息をしていた」ように思った。
絶望を吸って、希望を吐く。
冒頭から変わることなく、乱れることのない呼吸を、常に感じた。
二人のそれぞれの任務は、「誰も知りたくもないもの」、「解決出来るとも思わないもの」に向き合うという所で一致している。
深海の暗い海底で生命の誕生を探ることが、人類を環境問題などの生存の危機から救うことに繋がると、ダニーは信じる。「けれどそんな真っ暗な海底の事なんて、誰も興味を持たないわ。」
諜報員であることを隠しているジェームズは、頻発するテロのニュースをダニーに読ませる。「興味を持ち知識を持つことで、解決に寄与すべきだ」と言うが、今度はダニーは、「古代の紛争に根ざす問題に、解決法があるとは思えない」と言う。
二人はそれぞれ、思考の「世界の涯て」にいるが、物理的にも、それぞれの場所へと移動する事になる。
さて、「世界の涯て」で呼吸しているのは、誰?
ノルウェーの未知の深海に、ヨーロッパに一隻しかない潜水艇で沈むダニー。
諜報員として誰にも知られず、ISに囚われ、生死をさまようジェームズ。
自身もじきに殺される運命と言うISの医者は「死を受け入れる」と言い、ISの兵士は、「ジハード(聖戦)は、死後の命だ」と言った。
誰もが世界の果てで鼓動を打つ。見ている観客もまた、世界の果てで鼓動を打ち、呼吸をしている。
絶望を吸い、希望を吐く。
私はジェームズは生き抜いたんじゃないかと思っている。
なぜならラストシーンの直前で、彼は希望を吐いたところだったから。
その規則正しさにならうなら、ジェームズは波の下で爆撃をやり過ごし、保護されたのだと私は思う。ダニーが海底で輝く生命を目の当たりにし、そして危機から脱し、水面へ浮上したように。
ヴェンダース監督は、暗闇と光、絶望と希望をただ繰り返すこと、そして詩的で哲学的な言葉のイメージで、泡沫のように離れては繋がる世界を描いた。
孤独と熱望が、絶望と希望が、全編を通して静かに聞こえたように思う。
今も誰もが、当たり前に息をしている。
__何びとも自立した孤島ではない。
皆が大陸の一片であり、全体の一部をなす。
何びとの死であれ、私の一部も死ぬ。
私は人類の一員なのだから。
ゆえに問うなかれ、誰がために鐘は鳴るのかと。
あなたのために鳴る。
(John Donne 1572-1631 「不意に発生することについての瞑想」より抜粋。劇中でジェームズが朗読する。)
二人が出会うのは、ノルマンディの海辺の小さなホテル↓
ヴィム・ヴェンダース最新作『世界の涯ての鼓動』予告編
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます