
やっとやっと晴れました
貴重な晴です
今日一日だけの青空のようです
大物洗濯
布団干し
と大忙しです
やっと一段落
先月の事になります、9月20日環境センターの那須疎水見学バスツアーに参加致しましたが
那須疎水はきいていましたが、詳しいことは何も知らずにおりました
日本三大疎水と言われる那須疎水
世界灌漑施設遺産として登録されました
那須野が原は不毛の原野でした
明治に入り、開拓された地
明治に入り、華族により大規模農場が開拓され
鉄道や道路が誘致され現在の発展の礎になっています
その時代に農場を開拓された方々です
西郷従道(侯爵) 薩摩藩士。元勲。参議、元帥、海軍大将等 <248ha>
松方正義(公爵) 薩摩藩士。元勲。参議、大蔵・総理大臣等 <1640ha>
山形有朋(公爵) 長州藩士。元勲。参議、陸軍・総理大臣等 <761ha>
品川弥二郎(子爵) 長州藩士。枢密顧問官、内務大臣等 <226ha>
山田顕義(伯爵) 長州藩士。参議、司法各卿、司法大臣等 <111ha>
三島通庸(子爵) 薩摩藩士。県令、土木局長、警視総監等 <1037ha>
佐野常民(伯爵) 佐賀藩士。農商務大臣、日本赤十字社設立等 <257ha>
青木周造(子爵) 長州藩士。公使、外務大臣、枢密顧問官等 <1576ha>
鍋島直大(子爵) 佐賀藩藩主。イタリア全権公使、式部長官等 <383ha>
毛利元敏(子爵) 長府藩藩主。豊浦藩知事等 <1326ha>
戸田氏共(伯爵) 大垣藩藩主。駐オーストラリア全権公使等 <883ha>
でも現在はこの大規模農場は失敗、残っていませんが~
華族だけでなく士族など開拓入植も盛んにおこなわれましたが、開拓予定地は水が乏しく飲料水にも事欠く状態で
開拓者は大変な苦労でした
地元有志らにより飲料水、灌漑用水確保のため那須疎水の開削が急ピッチで進められました
明治18年に那須疎水幹線水路16.5kmが完成翌9年に支線水路95.7㎞も完成
約1000haの水田灌漑用水、生活用水が確保され開拓が飛躍的に進み
那須野が原発展の礎になりました
那須野が原では水の一滴は血の一滴と言われる貴重なものとして受け継がれ
現在も清水が守られているんだそうです
那須疎水開削以降も用水の不足や用水の維持管理、漏水等々問題も多く昭和42年から平成6年まで国営総合農地開発事業
で新たな水源確保、施設の近代化が図られ深山ダム、赤田調整池、戸田調整池、など築造水源確保
上記、ネット検索しました
那須野が原でこんなに水との大変なかかわりが有ったことを初めて知りました
現在は豊かな農地が広がっています
酪農も盛んです
でも、この地の発展には
先人たちの血のにじむような苦労が有ったんですね

那須野が原資料館

入植当時の住民の家
こんな家だったそうです
那須野が原は冬は底冷えする寒い所です
すき間風が入り込んでさぞ寒かったでしょう

那須野が原は那珂川と箒川に挟まれた約4万haの広大な複合扇状地
水は地下に潜り水が無いんです
那珂川や箒川の川沿い以外は不毛の原野が広がっていて
江戸から東北に行く旅人も難儀した地域だったようです

始めは鬼怒川までの疎水が計画されましたが、水運より鉄道による運送の時代になり
那須野が原の疎水が作られました

華族による大農場
別荘地としても発展しました
現在の礎になっています

千本松牧場の脇を流れる那須疎水です
水流が早いです

疎水沿いに遊歩道が有ります

水車が回っていました
今はリゾート地としてぎわっていますが
この地は未だ100年ほどの歴史しかない所です
先人達の血のにじむような苦労で開かれた開拓地だったんです
感慨深い思いです