最近、コロナ禍ということもあってか、よく目的を考えながら行動することが増えました。
何のために
何のために生きるのか?
何のために勉強するのか?
最近のホットトピックです。
生きる目的はまだよくわかりません。
しかし、楽しんだもの勝ちだなと思っています。
なので、笑うことをとても大切にしています。
こう考えるようになってから、いろんな物事の決定が容易くなり、かつイライラもかなり軽減されました。
例えば寝る時間が遅くなってしまって、段取り悪いなとか、悪い母親だなとか、明日起きるの辛いなとか、いろんな悪いことが頭を駆け巡ってしまう、それが私でした。そのままイライラして逆に寝付けず、むしろ寝る時間が遅くなり悪循環に陥るなんてこともしばしば。
今は、逆に!とベッドで本を読み聞かせたり、間違え探しをやったりして楽しむことにしています。その方がアッサリ寝付けてなぜかぐっすり眠れる気がするのです。
勉強する理由は、幸せになるためかなと。それは自分も、そして人さまも、世間さまも幸せになるにはどうしたらいいかを考えるために必要だと思っています。
だから、一見無駄に思える内容の勉強も、自分が楽しければそれでもいいんだと。
まあ、私は勉強嫌いですけど笑
娘に何を学ばせるかを決めるときのパラメーターにしています。
私自身も勉強とか取り組みとかする際にはこんな基準で選んでいます。
それで、今回の悩みは学校に行かせるか、です。
コロナ禍での緊急事態宣言を受けて、対策のために欠席しても良いとの連絡が入りました。
娘は学校に行く日を心待ちにしていました。
冬休みの間、割と頑張ってステイホームしていたのも、学校に行くためでした。
しかし感染者の人数を見て、これはいかんと。素人でも焦りしか感じません。
小学校に行く目的は何なのか。
コロナ禍で考え続けた結論は、集団生活を学ぶ場であると、そう考えました。
学習は、学習塾の方が、お習い事の方が専門的で知識も豊富で、効率良く習得できます。家庭学習のためのコンテンツは星の数ほどあり、親がやる気になれば、それはそれで学習は進みます。
しかし、それらでは補ず、そして何より大事な学びは集団生活のいろはを学ぶこと、それを小学校でしてもらっている。私の中ではそういう結論に至ったのです。
感染ということも、クラスの1人が「僕くらいいいよね」と気を抜いたらおしまいだと、先生は根気強く丁寧に指導してくださっています。
みんなで楽しく過ごすためには、手洗いしてないのはダメ。怒らないから、今朝来て洗ってないひとは手を洗いましょうと声をかけると、やはり遅刻し気味だった子どもたちが数名手洗い場に向かうとのこと。
その子たちの気持ちは本当によくわかります。それをうまく誘導されるのだなと感心しきり。
「お友だちと楽しく過ごしたいから頑張ろう」が、娘のクラスの合言葉になっている、そんな楽しいクラスに先生がしてくださっているということに感謝しかありません。
そういう「和」を尊び、人さまのことを思いやる心を養う場こそ、学校だと。改めて教えられた母親です。
そうであるならば、今は休ませるしかないと思いました。
理由は2つ。
ひとつは、主人が医療関係者なので、もしかしたら主人のみならず、私たちも保菌しているかも、と家族も常に思いながら生活しています。もし保菌していたら、学校のお友だちにまいてしまう。思いやりの心があれば、我々は休むという選択を取る他ありません。
コロナ前線の医師ではありませんが、この人数では。主人も医療をやめる訳にはいきません。私たちの生活ももちろんありますが、逃げたい気持ちも、家族としては逃げてほしいなと1回も思ったことがないかと言ったら嘘になります。
しかし今こそ必要とされる医療を、提供してこその人間でしょうと。
そうなると、家族がもらってくるわけにもいきません。
とまあ、こんな感じでアッサリお休みを決めました。
目的がハッキリしていれば、子どもでも意外と納得するもので、あんなに待ち望んだ学校を休んだ方がいいと相談したら、明日から何しようかなとばかりにアッサリ受け入れてくれました。
1番の仲良しのお友だちもお休みすることになりました。家業の関係で、感染者を出す訳にはいかないと。
子どもたちは、コロナによる悪影響を受け、かわいそうな状況ではあります。しかし、先程申した通り、学校は集団生活を学ぶ場。自分たちが学校に行かないということはどういうことなのか、集団生活とはどういうことなのかを考える良い機会でもあると私はかなり前向きに捉えています。
今週からはお稽古も休ませましたが、最初は出発ギリギリまで感染者数の発表が出てから決めたので、準備万端の中の出来事。自分で決めたくせに、軽くショックでした。それでも、感染したら何回か休むことになるし、仕方ないよ!と言い聞かせて、家で楽しいことだけしていました。と言っても家事とかはノンストップですけど。
補償とか仁義とかいろんな言葉も出てきて、不公平だなとか悪い感情が出てくることもあります。刻一刻と変わる状況に悩まない時はありません。正直ちょっと疲れています。病気と共に生きることと変わらないですよね。24時間悩まされてしまうのですから。
今は後悔しないように、そして何より思いやりの心と笑うことを忘れずに毎日の生活を組み立てていきたいと思っています。