毎日娘に怒ってるか怒鳴ってるかしています。
あの日、私はどうやって病院に連れて行ってもらったのかすら記憶がありません。担ぎ込まれるように車で行き、車に病院の車椅子を横付けしてもらったのでしょうか。とにかく、気づいた時には病院のベッドにいて、横たわっていたのです。
夫と見知らぬ綺麗な女医さんが話しているのが見えました。どうせまた私は病気ではないのだろう、と悲しくなりました。どうしてこんなところに横たわっているのだろうと猜疑心の塊の私は悪いことばかり考えていました。こんなにも頭の悪い状態の私でも、天井の素材でここが病院ということはすぐにわかりました。夫もわざわざこんな大学病院まで連れて来なくていいよ、と半分恨み節も込めて思いました。どうせ病気ではないと言われて、怒られるだけなんて、金輪際ごめんだと、大変悲しくもなり、悔しくもなり、苛立ちすら覚えました。綺麗な女医さんです。外見からして非の打ち所がない方ですから、もう私とは住んでる世界が違うと思いました。到底理解など示してはもらえまいとぼんやり思いました。
私に意識があることに気づいた先生が、こちらに近づいてくるのがわかりました。私は傷つかないように、少し身構えました。ところが私の予想とは反して、上から覗き込むのではなく、先生はわざわざベットの横でしゃがんで私の顔と同じ目線でお話しされたのです。手をタンカのフチを持つように置かれ、上から目線であったり威圧的とは全く反対の、ちょこんと顔を出してるうさぎさんのような、とにかく親しみやすい雰囲気でした。ただ、表情は少し困ったような感じでした。
「気づかれましたか?私が話していることはわかりますか。」
どうお返事したかなどの詳細はすっかり抜け落ちて忘れているので、今はひたすらに失礼がなかったことを祈るしかありません。多分、はいと答えたか、頷くかしたと思います。
「ご主人から、聞きました。十中八九、内分泌の病気でいらっしゃいます。」
え?
どういうことだろう。
今先生は私を病気だとおっしゃった?
「上の先生に見ていただかなければはっきりしたことは言えないとは思いますが、間違いないと思います。」
先生は、私を病気だと言ってくださっている。
私は病気なのですか?
戸惑いと狼狽と困惑と、霧が晴れるような希望と、道がひとつ見つかったことへの安堵などが一斉に押し寄せ、思考を停止させたと思います。色んな意味で頭が真っ白になりました。
そんなおそらくただ微動だにしないだけの、情けなくも横たわる人間に向かって先生はこうお声かけくださいました。
「いままで、よくがんばっていらっしゃいましたね。」
何かが壊れるような感覚だったろうと思います。
そのまま、声をあげることもなく、涙がこぼれました。こぼれて、こぼれて、一筋の涙になり、とめどなく流れ始めました。
「ねえ、病気だってよ。ねえ、見つかるかもしれないよ。」
と、私の肩をぽんぽんと叩きながら夫は言いました。その手は震えていたと思います。そして撫でるように肩をさわり、声を出せなくなりました。
病気になることはもちろん全く望んだことではありません。
しかし、病気であると認めてもらえることは、病名がつくということは治療があるかもしれないという希望があることを意味し、私にとっても家族にとっても消えかけていた、というよりも消えていた火をロウソクに灯すくらい、とんでもなく喜ばしい出来事でした。
もし私に治療法がなかったとしても、変な人ではなく、病気の人になれる、堂々とできないことの言い訳ができるというのも大きかったと思います。地域の行事、親戚の行事、行けないことやれないことを病気のせいにできるのは、特に家族にとっては死活問題だったと思います。
普通は、病気であることを告知することは大変に難しいことかと思います。
ガンの告知などは今でも大変な議論の中にあり、患者さんが受ける心理的なダメージに関しては心理学の分野でもひとつの学問になるレベルで議論されています。
しかし、私のようなケースは病気であることを喜んでしまうパターン。おかしな話なのかもしれませんけれども、本当に悲願達成の瞬間でした。
告知的には簡単なケースですので、病名だけ伝えて終わりでも全く問題ありません。にもかかわらず、大変でしたね、よく頑張りましたねとよくこんな患者に声をかけられるなと。その一言は私を家族をどれだけ勇気づけ、ねぎらい、救ってくれたことでしょう。素晴らしい医療とは医療を提供するだけではないのだと、何度も何度も思い出すなかで気づき学びました。
実際はこのあと検査入院をして、当初検査データがキレイな黒ではなく、しかしグレーの部分が多いので、病気として治療していきましょうということになりました。
さらに実はもうひとつ病気が隠れていたので、苦悩は続きました。
それでも、この時を皮切りに生活が良い方向へと大きく動くことになりました。
私は病気の人間になりましたから、心持ちも少し楽になりましたが、何よりありがたかったのは病気の人間なので、生活支援のための制度を使わせていただけたということです。
思い出しては感極まってしまう出来事なので、うまく文章にできません。すみません。
本当になんとも、あたたかい出来事であり、私たちの新たな生活の始まりの日になりました。