洗濯物を干してもらう際に、
「決まった干しかたってありますか?」
と何回か聞かれたことがあります。特に初回のヘルパーさんは必ず質問されます。
「ありません」
と答えるのが常でした。
それくらい、洗濯物の干しかたにはひとそれぞれにこだわりのやり方があるんだなあと思ったものです。
私は家事を人に頼むことが多かったので、「こだわりをなくすこと」が私の「こだわり」でありました。
私のこだわりを伝えて面倒なことになるよりも、やっていただいて洗濯が完了する方がよほどありがたかったのです。それが私の処世術みたいなものでした。
ですが、ちょっと興味があったので聞いてみました。
皆さんはどんなふうにお答えになるのかと。
なぜなら、ヘルパーさんたちは一様に「こだわり、ナシ?」と目を白黒させるような反応だったからです。
すると、いろんなお答えがありました。
裏返して干さない、裏返して干す、色柄ものと白いものは隣り合わせに干さない、靴下はここにピンチをする、下着は中に干すのでピンチが異なる、などなど出るわ出るわ。それを一軒一軒覚えているのかと思うと、それはそれですごいなあと思いました。
一応、私が干す場合にはこだわりの自分なりの干し方はあります。
でも、それは人さまには要求しません。というのも、ちょっと苦い思い出があるのです。
娘が生まれて半年くらいした頃、母が私の家で洗濯を干してくれました。
私の家に母が到着した時、私がお昼寝をしていたため(というよりもおそらく気を失うような昼寝なんですけれども)母はこっそりと静かに干してくれました。そうそう、当時は合鍵を渡していたんですね。だからこっそり入って、こっそり確認して、こっそり洗濯を干してくれたと。
この時問題だったのは、いつも私が使う洗濯ピンチやハンガーがどこにあるのかわからなかったらしく、洗濯物を物干し竿に直接干すなど、かなり工夫をして私のやり方とも母のやり方ともまるで違う干し方をしたのです。
私が起きた時、これはこれは不快な痛みとともに起きたので、と言い訳をしたいのですが。
母が私にカーテンを開けて「じゃじゃーん」とニコニコ楽しそうに洗濯を干したよ!と示してきました。
今考えても、「ありがとう!」とならなくとも、「助かったー」くらいの反応をしていいと思うんですね。
でも、娘はアトピーで、それこそベビー服だけはこだわりの干し方をしていたので、物干し竿に直接干されているベビー服を見て大泣きしてしまいました。汚れた竿の砂がかかったではないか、もう一回洗濯を回し直さないといけない!と、わんわん泣き始めてしまったのです。
困惑した母親はそれらを取り除き、手で洗い直してもう一度干してくれました。
憮然としながら、泣きじゃくった私は、母がそうやって動くことに対してものすごい罪悪感と、この時間別の家事をやってもらえた方がよかったのではないかという自責の念と、何より母にありがとうと言えない情けない自分という存在にやるせ無い思いでいっぱいになりました。
泣いた理由はこだわりの干し方をしてもらえなかったから、ということだけではありません。
自分で洗濯をしたかったのにできない不甲斐ない自分、もう一度洗濯をし直すにしてもその気力も体調もない自分、そうした自分に対する鬱屈とした思いがわんわんと泣くことに繋がっていました。
子どものように泣きました。悔しくて、母を叱責した気もします。「たかが洗濯」ができない自分が許せませんでした。
その後、しばらくはこう干してほしいなあ、なんて思ったりしたこともありましたが、そんなことより洗濯物が山積みな方が大問題です。
背に腹は変えられない、という状況が続くうちに、こだわりがなくなりました。
と言うよりも、そもそも私のこだわりは「生活を回すこと」、そして「他の人を傷つけないで頼ること」というこだわりに変わったと考えています。
しかし、そうだとしても人に何かを頼むというのは難しく、慣れない作業です。はあー、むずかしい!
人を傷つけないで生きるというのは不可能です。が、私を手助けしてくださる方が悲しむことがないといいなと常々思いながら頼りにしています。