St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

ガウディや亀井勝一郎など。引用だけですが・・・

2011-03-20 02:02:36 | Weblog






災害で亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、
被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く、復興することを思って止みません。
主の愛とお恵みがありますように。
また、福島第一原発の事故の速やかな解決をお祈りしながら。
。。。
NHK on demandの「ポー川」を聞きながら、
「ガウディ」を引きたくなった。
先ず、「ガウディの生涯」(丹下敏明氏著;彰国社)
p.98 3/7 聖家族教会建築家
この章は、
「この贖罪教会の最初の礎石を置く。この教会は聖家族
の大いなる名誉と光栄のためであり、弛緩せる気力をそ
のなまぬるさから目覚めさせ、信仰を高揚させ、勇気と
助力を仁愛に与え、国を憐れむ神に捧げる。」
 こうして1882年3月19日、サン・ホセ(聖ヨセフ)
の日に、当時バルセローナ郊外であったサン・マルティン・
デ・ポロヴェンサルスに聖家族教会の最初の礎石が据えら
れた。」
から始まる。
「更にガウディの個性が放出したのは当然のことであったろう。
そこにはシンボリズム、そして自然主義が漂っている。ガウディ
は既に回教様式やムデハリズムから離れていて、グエル館では
再びゴシックへと接近していくのだが、地下聖堂から引き継が
れたアプスあるいは聖家族教会全体のトーンもゴシック色に塗
られていくが、この当時既にガウディは明確にゴシック論、つま
り模倣継承論ではなく革新継承論、例えば構造主義としてゴシッ
クを見る方法を持つに至り、ゴシックの刷新的擁護者になっていた。」
。。。
同じ題で、北川圭子女史著;朝日文庫。
p.90~p.95が、
第2章 パルシファの「サグラダファミリア」
p.95 はガウディ決定の場面。
「ガウディはこの時、ようやく助手生活から脱皮したものの、まだまだ
不安定な駆け出しの建築家であった。
 そこへ、サグラダファミリア聖堂の仕事が飛び込んできたのである。」
章のラスト近く。
「その夜、ロレンソを訪ねた。
「ロレンソ、しばらく一緒に仕事をしてくれないか。聖堂には、これ
からたくさんの彫刻が必要になる。君に、彫刻を担当してほしいんだ。
聖堂建築を生かすも殺すも彫刻しだい。君の腕があれば、怖いものは
ない。」」
p.264
「また、ガウディが、あらゆる学問を追及したことにも注目したい。
ガウディ建築の発想源は、けっして、幼児期の自然との関わりだけに
よるものではない。またその自然主義にも、ゲーテの「自然論」や、
ワーグナーの芸術論、天体、小動物の研究等の学問があったことを
忘れてはならない。建築は、あらゆることへの興味と追及が必要な
のである。」
。。。
「大和古寺風物誌」
(亀井勝一郎氏;新潮文庫)
より。p.137 薬師寺
「塔は幸福の象徴である。悲しみの極みに、仏の悲心の与える悦びの
頌歌であると云ってもいい。金堂や講堂はどれほど雄大であっても、
それは地に伏す姿を与えられている。その下で人間は自己の苦悩を
訴え、且つ祈った。生死の悲哀は、地に伏すごとく建てられた伽藍
の裡にみちているであろう。しかし塔だけは、天に向かってのびやか
にそそり立っている。悲しみの合掌をしつつも、ついに天を仰いで、
無限の虚空に思いを馳せざるをえないように出来上がっているのだ。」
。。。
「伊太利の薄明」
(ローレンス著;富山房)
より。p.18
「キリスト教の世界は鳩の教会と鷲の教会とが混在して居る。だがそれ
ばかりではなく、全然聖霊に属さず純粋な想像と論理とによって建てら
れて居るものもある。倫敦のレン教会なぞのやうに。
 鳩の教会ははにかみで隠れ潜んで居る。木の間隠れに巣をつくり、
その鐘は日曜日の柔らかさをもって鳴りわたる。都会の真中で自らの
静寂の中にひたって居る。だから人は気付かずに行き過ぎる。彼等は
あたかも眼に見えぬもののやうで、交通の嵐に少しも抗はない。
 鳩の教会は高らかに聳え立っている。頭を空に向け、あたかも下界
に挑戦しているようだ。彼はダビデの精神の教会だ、その鐘は情熱的
に、崇厳に鳴って、卑屈な下界へと落ちる。」
。。。
フィクションから2つ。
「大伽藍」
(J.K.ユイスマンス著;平凡社)
より。
p.113 第5章
「バシリカ聖堂を建立するに当たって、いつも変わらず大自然に発想の
源を仰いだ人間の天分の閃きには、心搏たれたことがおありと存じます。
林間の道が伽藍の身廊のあの神秘的な回廊の出発点となったことは、
ほとんど疑いを容れません。柱のほうを考えてみましょうか。先程、ブナ
と燈心草に想を得ているボーヴェの柱を引き合いに出しましたね。今度は
ランスの大円柱を思い出してみて下さい。・・・」
。。。
「ヴェネツィア」
(J.ブロツキー著;集英社)
より。
「夕暮れになると、どんな町でも美しく見えるものだ。しかし、なかには、
他所と比べてとり分け美しくなる町がある。すなはち、浮彫りはよりしなやか
に、円柱はいっそう円みを帯び、柱頭はもっと身をくねらせ、蛇腹はさらに
しかっり屋根を支え、尖塔はますます決然と聳えたち、壁がんはいっそう深み
を帯び、使徒の服はさらに優雅に流れ、天使たちはさらに軽やかに宙に浮かぶ
のだ。」
。。。
今回は引用のみ。
こう並べてみると随分いろいろ読んでないんだなあ、の感慨。
写真は駒ヶ根。
祈りにも似て、リパッティを聴きながら・・・
。。。