先日、「七時雨山」を訪れあと600mほどで「車之走峠(くるまのはしりとうげ)」というところで「やまなし」の大きな木を見つけました。
向こうのお山が「七時雨山」です。手前の大きな木が「やまなし」の木、「車之走峠」まで600mの所です。
お七さんは当市出身の女の方、冬のこの峠を越えようとしてこの場所で亡くなったのです。今はその場所にお地蔵さんが立っています。
やまなしの実がなっています。
やまなしは近くは八幡平神社の境内(実がたくさんなります)に、盛岡中央公民館の駐車場の隅(ここは藩政時代は南部藩のお薬園でした)に大木があります。
「やまなし」については、昔から考えていることがありました。「梨」はよく地名に見られます。特に峠にです。例えば「坂梨峠」「梨の木峠」「貝梨峠」などです。そこから私は勝手に「古の峠越えは旅人が大変難渋し峠で一休みして熟した「やまなし」を食べて喉を潤したのではないかと、もしかすると誰かが植えたのではないかと、考えていたのです。
ところが今案内をして下さったS会長さんやS先輩(例の神主さん)は「やまなし」は決して美味しいものではない、囲炉裏の上に吊して熟させて初めて食べられると教えて下さいました。どうにも気になっていたので今日ネットで調べてみたら以下のような記録が何カ所かに見られました。
「やまなし」はバラ科ナシ属の植物(樹木)の名前です。ミチノクナシ、アオナシなどいくつか種類があり、秋に直径2㎝くらいの洋梨に似た形の果実が黄色く熟す。完熟すると洋梨のラ・フランスのようなとってもいい香りがして、いかにもおいしそうなのだが、食べるとものすごく渋いです。
どうやら私の考えは間違っていたようです。そして以下のHPなどを見、考えを改めることにしました。
やまなしもしかすると、古の旅人を潤した「やまなし」は喉を潤したのではなく、目や心を潤したと思うのです
追記
ちなみに「山梨県」の「山梨」と「やまなし」の関係は次のようである。
和銅6年(713年)の「各地の地名は好字(縁起の良い漢字)二字で表せ」とする和銅官命の後から「山梨」の名前が定着し、使われ始めた。そのため、巷間に通説だとして流布している「山梨の由来はヤマナシ(山梨)の木が多かったから」というものはいささか単純すぎるものであり、語源としては「山ならす(山平らす)」が「やまなし」へと転化してゆき、それに好字としての「梨」の字を当てたと見るのが有力である。「山ならす」とは、甲府盆地の東部に位置し、盆地を囲む山々を除けば高低の少ない平坦な土地であった当郡を表した言葉である。
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