何にもネタがないので、ダラダラと、書くしかない
だけどもう慣れてるよね。皆様
今日は日曜日なので特にこれといってすることもないから、ボヤーっとしてます
昼からビールを飲んでみました。おいしいね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/96/01c1e755e13668e3e72f613c3df625c1.jpg?1673162095)
三本足の八咫烏(ヤタガラス)が使われている、
八咫烏は、歴史が古い日本神話の世界だね。
亡くなった父が軍隊時代、最後にした仕事は
兵隊の住民票を各都道府県に戻したことや
徹底抗戦を叫び山に入り武装した兵を説得し
部隊に戻して武装解除した
それから、
部隊解散命令を受け皇居に書類等を届けるため、さらには武装解除を行うため
新潟の部隊から列車で皇居に行ったことなどがある、
到着すると
都内は既に進駐軍がたむろしており、少数の歩兵を引き連れて、その間を行進させて進んだと言う、
この時点では
もちろん武装は解除されていないし兵隊たちの三八式歩兵銃には、当然ながら実弾が装填されています、亡父も拳銃及び軍刀を腰に下げていたが、路上の英国兵等は特に反応はなかったと言う、
その後、皇居内での手続きは、翌日に持ち越され、青山御所に於いて待機して翌日、衣服を整え出発した、日章旗及び軍旗は返納の手続きをし、各書類等を届け、武装解除となった、軍刀及び拳銃は没収と思っていたが、
軍刀ついては、
外は危ないから所持してください!
と言われたそうだ、
同じように、陸軍航空隊の士官が同席していて、今から調布から新潟まで飛ぶんだけど、よかったら一緒に乗っていってください。
と言われ同席することになった。
どうやら終戦のどさくさで新潟行きの列車は遅延しているようだとの情報、
亡父も、陸軍航空士官学校卒業しているので
飛行機が速いことを知っていた、
本当に助かったようだね
調布飛行場に到着後
乗機するにあたり、大小便だけは済ましておいてくださいと言われたそうだ、
その飛行機は100式司令部偵察機と言う飛行機だった、
操縦士は語った
こんなに安心して飛行できるなんてなんて幸せなんだ!敵さんはいないしねー!
そんなふうに語った
過ぎ去る雲を見ながら、父の戦争は終りました。
亡父は日本酒が大好きで、飲んだら次男坊の私に戦争の話をたくさんしてくれた。
今になってみると、もっとたくさん聞きたいことがあるんだけど、残念ながらそれは叶わない、
聞き上手だったトムには話しやすかったんだろう、それに不思議なことに
記憶をたどらなくてもそのほとんどの話は覚えている
父と子の会話は大事だね。一生を左右することもあるって話だなぁ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/be/da8edc0711963118eb3d2e70dcf48feb.jpg?1673162063)
この後
父母は京都近くの山科に居を構えていたが、
ある日
父が抜刀して母を斬り自刃しようとしたので
母の背丈よりも高い垣根を飛び越えて逃げたと言う話は、母から直接聞いて笑ったね
これには
後日談がたくさんあって面白いんだけど、また今度にします。
正月の4日は母の命日で静かにしておりました、没後50年となります、楽しい母でした。
表紙 エジプト
またねー。(^。^)