走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

叱るということ

2006年02月13日 23時56分55秒 | その他
今日、仕事である会社の担当者を怒ってしまった。彼は、日頃、温和で物腰も柔らかい人であるにもかかわらず、言い訳をしない彼に対して一方的に叱咤してしまったのである。大変な無礼をしてしまった。挙句の果てに、「御社の姿勢が見えない。意思決定者であるM社長が、この席にいないとはなにごとか。M社長を呼べ。すぐに来れないなら出直して来い。」と、つい語気を荒げてしまった。
そして、一時間後、社長と担当者が改めて尋ねてくれた。
M社長は、丁寧に現在の進捗状況、私が求めた質問に適切に回答をしてくれて、遅れた理由も説明された。その理由は、確かに担当者からは言いにくいものであった。少なからず、自分の短慮を恥じた。私は、自分のことしか考えていなかっただろうかと。
そして、以下のメールをM社長からいただいた。
「本日は、大変なご無礼をいたしました。
 又、改めて、暖かくご指導をいただきありがとうございます。
 偶然ですが、本日、勉強仲間からのメールに松下幸之助翁の「道をひらく」を
 引用したメールが送られていました。
 いわく、
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 おたがいに人間、叱られるということも、叱るほうにしても、あまり気持ちの
 よいものではない。
 知らず知らずのうちに、ものの見方考え方が甘くなり、そこに弱さと、もろさ
 が生まれてくることになる。
 ものの道理について真剣に叱る、また真剣に叱られるということは、人情を
 越えた人間としての一つの大事なつとめではあるまいか。叱られてこそ人間の
 真の値打ちが出てくるのである。叱り、叱られることにも、おたがいに真剣で
 ありたい。
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 叱られるということもない立場でいると、どうしてもものの見方考え方、ある
 いは判断が甘くなりがちとなります。
 本日のように真剣に叱っていただけるということは、私にとって本当にありが
 たいことだと、感謝しております。
 どうか、今後とも色々とご指導いただけますようにお願いします。」

 ある部下に言われたことがある。「課長は威圧感があるので、声を荒げなくとも十分怖いんですから、大きな声を出さなくても相手はわかりますよ。」と。
そうか、そうなんだと反省し、なるべく声を荒げないようにしていた。でも、M社長も担当者も、人間的には本当にいい人たちだとわかっている。でも、それだけに欲が見えなかった。ビジネスモデルというのは欲と欲のぶつかり合いをして、摺り寄せていく。条件闘争に負けたら自己利益が減るのである。まして、中央のガリバーたちを引っ張っていかなければならないリーダー企業であるならば、不倶戴天の気持ちがいるであろうと内心思ったのである。これも期待値からである。
私も若い頃、先輩諸氏からよく怒られた。感情で怒られているんじゃないかと思うくらい激しいものであった。でも、今にして思えば、叱るほうは一切、手を抜いていなかった。真剣であったように思う。
そして、今日、後味が悪くなかったというと嘘になる。でも、M社にはがんばっていただきたい。今が、苦しいときかもしれない。それでも、がんばっていただきたい。地域の星になっていただきたい。当社(うち)もM社のようになろうと、目標になっていただきたい。
だって、がんばっているのだから.....。