走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

こんな私でいいんでしょうか?

2006年03月07日 21時32分19秒 | その他
役所の後輩のN原君から次のようなメールが届きました

S支所のN原です。

先日、(株)O社社長のD様にお願い・お話する機会がありました。
その際に市役所(支所)の対応がとても良くなったとお褒めいただくと同時に地域経済課の竹村課長には同社誘致の時からの縁で、その他も精力的な活躍で、ああいう方でないと良くならない!私は大のシンパですと絶賛されていました。
近日会われる機会あればお話がでるかもしれませんのでお知らせまで。

出先にいても竹村さんについてこういうお声が聞けて誇らしく思います。花粉症も真っ盛りですがこれからも体に気をつけて頑張ってください。

自分自慢で嫌なのですが、ついうれしかったので掲載してしまいました。でも、Dさん、私でいいんでしょうかね。シンパい(心配?)でないですか?

32回目の3月7日

2006年03月07日 01時49分28秒 | その他
今年、親父の33回忌法要を行いました。
32年前、私は17歳で今の娘と同い年でした。
あの日は、曇天の今にも泣き出しそうな天気でした。
試験を終えて帰ってきた私は、一眠りしようとしたとき電話のベルが鳴ったのです。
母が受話器を取ると、なにやらあわて始めました。
「父さんが事故にあって怪我をしたらしい。すぐに病院に行くけん支度おしなあ。」
「ひどいんか?」
「たいしたことないと会社の人は言うとった。」
タクシーで病院に駆けつけると、会社の人が青い顔をして立ちすくんでいました。
「どうですか。」と母が聞くと、「先生に容態を聞いてください。」と言われた。
先生のところまで行くと、「残念ですが、運のいい人は助かる人もいるんですが。」
なんのことか、わからなかった。
「君、連れて行ってあげなさい。」
看護婦さんに連れられ、地下の安置所まで降りていくと、白布をかけた寝台車がありました。
母は崩れながらも、父の遺体にすがりついたのです。
でも、それは足の方にしがみつくのです。
自分で認めたくなかったのでしょう。
まるでドラマのシーンでも見ているような感覚で、私はその白布をはぐってみました。
はぐる直前、なぜか冷静に、これをはぐると私の人生はまったく変わるのだと思いました。
紛れもなく父でした。
それから、半狂乱のように泣き叫ぶ母の声が地下の廊下を覆いました。
母を正気に戻すために、私は母を殴ったのです。
母は正気を取り戻すと、整然として、私に向かって「故人に恥をかかさんために、人前で泣くのはやめよう。約束をしてくれ。」と言うのです。
父は小さいときから、「男は人生の内、3回泣けばいい。1回目は生まれたとき、2回目と3回目は親が死んだときや。」
そう許されていたのにもかかわらず、母は泣くなという。
そういう約束やから、なんとか守りました。
それから、私は声を押し殺して泣くことを覚えました。
慟哭とは、覚えなくてもいい泣き方であります。