走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

八坂公民館運動会

2006年09月24日 14時58分06秒 | その他
 ほとんど諦めながら、堀江から伊台、道後に抜け、八坂会場に着きました。
 なんと、間に合ったのです。
ということは、やはり旧松山の運動会の方が、競技数が多いのかなと思いながら、見させていただきました。
 ここ八坂も児童数が少なくなっているドーナツ現象の影響を受けた小学校なので、そのマイナスを解決するために学社融合型運動会でありました。
 みんな、本当にチエを絞っているなと感じるとともに、現場はより現実を捉え、そのことを解決しようという取組みが見られるなあとつくづく感じた一日でもありました。
でも、これだけ見てきても、常に新しい発見があります。
だから、現場を見るということは大切なことなのです。
 そういえば、一番最初に配属された選管時代、先輩に言われ、他市の開票所を見て歩いたなあと思い出しました。
 栗田館長、関係者の皆様、そして、西澤くん(公民館主事)、本当にお疲れ様でした。

 ところで、この場をお借りしまして、先週、勝手に天候不順で中止と決めつけ、覘かなかった日浦の生峰館長、朝山くん(公民館主事)ごめんなさい。
 また、個人的理由で土曜日覘きにいけなかった番町の棚橋館長、忽那欣司くん(公民館主事)ごめんなさい。
お詫び申し上げます。
 そして、しばらく運動会が続くのですが、前もって言い訳をさせていただきます。行けない公民館の皆様、本当に申し訳ございません。
たぶん、一日5~6館を回るのが限界だと、本日、認識いたしましたことをご報告申し上げます。

正岡公民館運動会

2006年09月24日 14時06分22秒 | その他
 いよいよ、今日の北条関連の運動会最後の会場であります正岡会場に向かいました。
 着くと最後の競技になっていて、子どもたちのリレーと地域のリレーを一つにしたものでした。
この競技は、究極の学社融合モデルであります。
また、この競技の面白いのは、子どもたちが競い合う中で、やはり「かけっこ」が苦手な子どももいると思うのですが、その子たちのためにトラックに内側のラインが設けられていて、そこが走れるようになっています。
つまり、ハンディをあげるという発想であります。
 ですから、子どもたちのリレーの間はそんなに差がつかない仕掛けとなっており、そのまま大人の世代別リレーに引き継がれることになります。(恐れ入りました。)
これは見ていると結構、熱くなれました。
最後の八坂は、間に合わないだろうなとあきらめながら、正岡会場を後にしました。
 徳永館長、関係者の皆様、そして、古田くん(公民館主事)、お疲れ様でした。

河野公民館運動会

2006年09月24日 13時47分37秒 | その他
 昼食をとり、まず河野地区の会場に向かいました。
 青木館長を見つけ、挨拶をし、しばらく子どもたちのサッカーゲーム(写真のとおり、大きなパンツに男女ペアでそれぞれが片方づつに入り、サッカーボールを相手ゴールに入れるというもの。)を見ていると、あまりの可愛さに見入ってしまいました。
 ここまで来て、気づいたことは地域内の学社融合(連携)の重要性であります。
地域と学校が一つになることで、その他のさまざまな事象にも好影響が出てきます。
 今回の小学校の運動会でも、学校側も地域の資源を上手に活用できるとともに、地域も子どもを真ん中に置くことで、両親だけでなくおじいちゃん、おばあちゃんも活動の中に取り込むことができ、なおかつ学校との連携プレーが図れるのであります。
そして、参加者も一度で運動会ができてしまうので、浮いた時間で、また家庭団欒に時間をもてるという、まさに登場人物がWin(勝利)&Winの関係になるのです。
少子化というマイナスをプラスにうまく転換した好例でしょう。
 さらに、凄いのは、プログラムがかなり練られていて、(ただでさえ小学校の運動会といっしょにやるということは、それだけで競技数は増える可能性があるはずなのですが)極力競技数を少なくしています。
そして、商品を出さない(子どもたちの教育上、景品で参加を呼びかけるのはよくないという判断から)ので広告を取りにいく必要がないので、お世話する人たちの負担が軽減されているということです。
 変えることは、チエを絞ることから始まるという好例だと思うのは、私だけでしようか。
 青木館長、関係者の皆様、そして、金子くん(公民館主事)、お疲れ様でした。

立岩公民館運動会

2006年09月24日 11時37分54秒 | その他
 難波会場から、立岩川沿いの道を流星号を駆って、立岩会場に急ぎました。
(でも適度なコーナーがあって、バイクで走るには、なかなかいいコースでした。)
 会場近くになると、音楽が流れていて、「しめた、まにあった。」と思わずつぶやいてしまいました。
 でも到着すると、午前の部の最後のプログラムの「立岩音頭」という踊りでした。
内心、「いやあ、まいったなあ」と思いながら、松田館長を探しました。
松田館長を見つけると、遅くなった言い訳をし、その非礼をお詫びしました。
そして、忽那幸造くん(公民館主事)を探し、彼にも言い訳をさせていただきました。
 すぐに昼食タイムになりましたので、そそくさとその場を離れることにしました。
本当に、ごめんなさい。
 松田館長、関係者の皆様、そして、忽那くん、お疲れ様でした。

難波公民館運動会

2006年09月24日 11時20分36秒 | その他
 浅海会場を後にし、やはり湾岸沿いの道を流星号を走らせながら、次なる難波会場に向かいました。
 難波の会場は、少し山の方へ入るのですが、本当に環境のいいところです。
 ここでも、本部席を探し、川添館長と田内くん(公民館主事)を見つけ、「来ましたよ宣言」をしたのであります。(時間がとれないせいか、本当に「顔見世興行」のようになって来ました。)
 ここも、小学校の運動会と合同で、やはり子どもたちが多いと、元気さが感じられるなあと思ったのであります。
少し競技を見ていて驚いたのは、地区対抗の綱引きで、中高年者と若い世代で構成されたチーム同士が対決したときのことです。
何と、若者チームの方があっさりと負けてしまったのです。
まさに、「ふ~ん」であります。
私は、どちらかというと中高年の方でありますので、心の中で大拍手をしてしまいました。(こういうのを「身びいき」というのでしようか。)
 いかん、もう11時半だ。
早々に、川添館長や関係者の皆様に挨拶し、会場を後にしました。
 川添館長、関係者の皆様、そして、田内くん、お疲れ様でした。

浅海公民館運動会

2006年09月24日 10時49分08秒 | その他
 興居島から高浜港に着くと、そのまま湾岸沿いに流星号を飛ばし、和気、堀江からバイパスに出て、再び湾岸沿いの道で、北条の北の端にある浅海の運動会場まで流星号を一気に走らせました。
その間、本当に松山市は広くなったなあと感じたのです。(平成17年1月の市町合併がありましたから)
 到着しね早速、本部席を探し、高松館長を探し出すと、「顔見世」の挨拶をさせていただきました。
そして、次に、倉岡くん(公民館主事)を探し、労いの言葉をかけたのです。
 しばらく、高松館長の横に座らさせていただき、色々と質問をさせていただいたのですが、特徴的だったのは、地区の運動会と小学校の運動会が合同で行われているということでした。
 そのためか、競技ごとの景品もなく、純粋に地域の中にいる様々な人たちが「運動会」というものを楽しんでいるということでした。
なるほどです。
地域の中には、老若男女、さまざまな人たちが存在し、いかにその人たちがコミュニケーションするか、その原点があるような気がしました。
 それにしても、高松館長をはじめ関係者の皆様、そして倉岡くん、お疲れ様でした。

泊公民館運動会

2006年09月24日 09時28分13秒 | その他
 今日は、秋晴れ、まさに運動会日和であります。
 最初は、松山高浜港からフェリーで10分足らずのところにある興居島に渡りました。この島には2つのフェリー乗り場があり、今日は泊港の方へ流星号(私のバイクの名前)で渡りました。
運動会場になっている泊小学校は、港のすぐ傍にあるのですが、早く着きすぎたので、流星号でしばらく島内を走ってみました。
興居島をゆっくりと走るのは本当に久しぶりで、海から吹いてくる塩の混じった秋風が、なんともリラックスな気分にしてくれました。
 そして、九時少し前には会場に到着し、最初のプログラムであります「水軍太鼓」まで拝見し、山内館長や清川くん(公民館主事)に挨拶し、会場を後にしました。
 泊の運動会で印象的だったのは、高齢者が進んであり、プログラムの中に「走る」という競技がなかったことです。
これは、少なからず、カルチャーショックでありました。
 驚いたのは、地元とはいえ、ブロックのちがう石丸くん(五明公民館主事)が清川くんたちを手伝ってくれていたということであります。(なんとなく、うれしかったなあ。)
 山内館長をはじめ、関係者の皆様、お疲れ様でした。
 そして、清川くん、石丸くん、お疲れ様でした。