この映画の中で「奴隷制度」を廃止するかどうかについて、上院では廃止で憲法の修正案が通っていた。
しかし、下院ではねじれ現象が起こっており、一度廃案になっていた。
一方、南北戦争が終焉を迎え、この修正案を通すことを優先するのか、戦争終結を優先するのかの駆け引きが行われる。
リンカーン大統領は人間の本質を見抜いていて、(人民が)のどもとを過ぎれば熱さを忘れることをよく知っていた。
そして、法律に精通していた彼は、アメリカの憲法と州法の関係を熟知していた。
法律には3つの原理がある。
一つは、上位法優先の原理。
二つ目は、後方優先の原理。
三つ目は、特例法優先の原理。
州法は、憲法に明記していなければ独自に作れるというシステムがある。
つまり、3つ目の特例法的な位置づけか。
このことをリンカーンはよく理解していた。
そして、憲法改正には人民の後押しがいることも。
戦争終結を優先すると、北軍の人民でさえ、南軍の主張する奴隷を戦利品として捉え、南軍と同様の扱いをすると考えたからである。
これでは何も変わらない。
だからこそ、修正案を先に通すことを優先した。
この考え方は、彼が高邁な理想をうたいながら、いかに現実主義者であったかということである。
彼の戦略戦術は、憲法改正を行い、上位法優先の原理と後方優先の原理から従来の州法を批准する方策を考えたのである。
そして、修正案を通すためにはアウトローであったロビストたちも使った。
おそらく、ロビストが表舞台にたったきっかけを彼は作ったかもしれない。
そして、自らネゴにも回った。
ただ、彼は媚びなかった。
政治家として大切なことを切々として訴えて行くだけである。
そして、心動かされた政治家たちが真の考えを表に出す。
イデオロギーはさまざまな価値観や利害などによって形作られていく。
個人のレベルで、その時々で政党の方向性とは異なったとしても、政党政治の中では数の論理が優先されるために、個人の考えを殺さなければならない場合がある。
これが政治家の永遠の苦悩かもしれない。
リンカーンはこのことを踏まえたうえで、人民のためにとって何が大切なのかを訴えた。
だからこそ、彼は人民から愛され、慕われた。
そして、彼は何よりも温かであった。