「話せばわかる」、一見無責任ともとれるような表現である。
「どんなに話し合っても、分からず屋は分からず屋だ」と思われるかもしれない。
だが、この言葉を実証できる方法がある。
難しいことではない。
まず、意見がぶつかると、どうしても相手を言い負かそうとする。
時には、相手に逃げ場がないくらい追い詰める。
私もそうであった。
今、思い起こすと赤面する。
その時の私には、「皆にとって、どうなることが最善か」ということを考えていなかったような気がする。
そう考えれば、自分の意見など気持ちよく取り下げられたのではないかと反省する。
つまり、「市民のために生きる」という覚悟さえあれば、話し合いで解決するのである。