先の話を自動車業界の方と話をしていたが,複素平面上の絶対値が実力であるというところまで話は進まなかった.
でももっとシンプルにシリンダー式のエンジンを持つ自動車の運動方程式を考えてみても,一般的にはそこまでたどり着くのに見落としが多いものだと気付いた.
ネット上で検索しても,不自然な式ばかりで驚いた.
パラメータなんか,なかなかゼロになるなんてことないんだから,神様のように最初から全てを決めるなんていう畏れ多いことなんかしないで,後から考えたらいいのに.
MT車が減ってきている影響なのだろうか,速度に合わない高いギアを入れてしまった状況を経験から想像できないのだろうか.
AT車でもカーブが続く時に短時間だが経験できるのだが.
げっぷもしない上品な人ばっかりなのだろうか.
見落としは空気の圧縮.
速度に対して積分の部分なのだが,微分と摩擦はわかっているのに,見逃されるというのが実に日本社会的.
努力の先の不幸に酔うというナルシスト的美学は,そろそろいい加減にしてもらって実害を伴っていることを理解してもらわなければいかんと思うのだが.
科学に必要な原理主義的な感受性が,ぬるい社会性によって鈍くされている.
真綿で首を締められているのを見る機会が多いが,最近,世界中でいよいよ窒息を伴った状況が現実になっているのを目にすると,大変な世の中になったものだと実感する.
これも積分なんだがなぁ.
そうだ.お客様から聞いた分かりやすい例がある.
AT車で切り返して発進する時に,きちんと停止しないで反対方向にギアをDからRに,RからDに入れる癖があった人がいた.
長年それを続けていた結果―――シリンダーが割れた.
もうひとつ同じような話がある.
AT車で高速道路を走行中,誤ってRにギアを入れてしまった.
結果―――AT車なのにエンストした.
現在の社会で起こっている全く同じ状況が,首の周りにまかれている温かい真綿なのだと言えば分かりやすいのだろうか.
締まるどころでなく,切れてしまいそうなくらい圧力が強くなってきているが.
最初の人の話になるが,重要なところで理解しあった点があった―――「経費とするか,投資とするか」である.
今まではどちらの側も安易に経費にしすぎてきた.
それを投資として捉えることができれば,今の世の中はチャンスで溢れかえっている.
そしてそれは経営側からも組合側からも提案できないことだし,そのマネジメントは有志の個人に委ねられる.
早く学びの機会を手にしなければ,機会を持つ関係が時間とともに処分されていくのは確実なんだから,ものの見方を左右反対にするだけで革命的な評価を受けるチャンスがあるわけで.
そういう意味では,組織に属しているorいたことのメリット自体も見落とされてるなぁ.
でも,見落としは気付けば良いさ.気付けるうちに.
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