2007年の初夏だっただろうか.
知人伝いで愛知県の弥富で働いているベトナムからの研修生の情報が入ってきていた.
とにかく扱われ方が奴隷のようだった.
「社長がお金をくれない」
だから電車賃がない.
こちらがそちらに行ってもいけない.
しかも向こうから電話をかけてこない限り,連絡も取れない.
まさにこの本で扱われていた通りの状況だった.
あれから何人か中国人研修生とも知り合った.
「どこにも行けないから働く」
とにかくそんな状況に若い人達は追い込まれているようだった.
外部に知り合いを作ってはいけないとか,携帯電話を持ってはいけないとかというのも,結構共通している.
何十人が住んでいても固定電話はひとつしかなく,こちらから連絡も取れない.
人権を追うこともできず,ただただ働く.
日本に限らず,グアムでもアフリカでも働く.
中国人の知人が研修生の斡旋をしている.
この本を読む限り,彼は相当真面目な方かもしれない.
何せ彼等研修生の相談の受け皿になっているし,研修制度導入先企業への研修生のケアに関しては,話の最初にしっかりとキープしている.
本書を読むと,改善の軌跡が見える.
しかし,まだまだ現状は厳しく,知る権利,言論の自由がまだまだ制限されている.
不当な安心と,権利追求のリスクを天秤にかけたとき,彼等の多くが選択するのは前者であることは間違いない.
ワーキングプアの物悲しさがここにある.
そして日本では同様の選択に追い込まれる人達が声も出さずに増え続けているのをリアルに感じる.
外国人研修生の例では法の明白な不備によって人権が蹂躙されていたが,現在の若年層の問題は法に触れない程度に根深く複雑で,そして年配の方には全く気付かれていない.
鳥の血に悲しめど,魚の血に悲しまず,声あるものは幸いなり.
鈴鹿は神戸から輩出した斎藤緑雨の警句である.
これからも日本という国家が人身売買国家として悪名高くあり続ける可能性は決して低くないと思う.
その分野では,破滅国家同様に内需拡大が進んでいる.
サブプライム問題,リーマンショックと続いて,世界までもが時価会計を見直しだして,大福帳方式からの脱却を目指していた日本は国家としての方向性がわからなくなっている期間に突如として入ってしまった.
しかしそこに価値のシャッフルができるスペースがあることに気づいている奴等というのは個人・団体・企業を問わずに出現し始めていることに危険を感じる.
白も黒も白.白も黒も黒.
空間感覚も時間感覚もあやふやで国家としての脳ミソは止まっていても,空間は決まっているし時間は動いている.
狂喜か狂気がやってくる.
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