鈴鹿市における中学校でフィルタリングされているWebサイトには何があるかご存じだろうか?
YouTube --- 不健全な動画が少なくないからなぁ...
ニコニコ動画 --- ここはもっとかな...
学校裏サイト --- いじめの温床とか言われてますね.昔は「下水道入口」などというこの世の醜いところに直結されていたところもあったんで,私なんかは記録が残る分,対処しやすいと思うのですが.
Amazon.co.jp --- エッチな本でも買うとでも???
通販サイト全般 --- Amazon.co.jpもここに入るというべきだろうか.オークションサイトもだめらしい.
実際のところ,生徒達は社会生活を営む上でこれらのサイトをほとんど知っているし使っている.
そもそも学校で規制されているのを把握しているわけなんだから,「うざこいなぁ」くらいにしか思っていないのではないだろうか.
既にこれは子ども達のための規制ではなく,大人の言い訳のための規制でしかない.
学校がそんな情けないことで良いのだろうか.
そんな時に変わった相談を受けた.
要約すれば,裏サイトがフィルターにかかっていない新しいWebサイトにできることってあるのか,ということだった.
それは当然あるわけで,これまでと同様の規制は,単なるいたちごっこに過ぎない.
それどころか,遥かに重大な問題があることを指摘した.
こんなことでは子ども達に民主主義が何であるかを教えることはできない.
これ以上に恐ろしいことはないのではないかと思う.
本音を言えば,先生方が民主主義を語る資質を失い,民主主義を語る資格を失うことになるだろう,ということ.
可能なことを上辺だけ不可能にしても,実在する可能な世界では,当然それは可能なわけだから,そこでどう振舞うかが重要になる.
しかし,臭いものにはふたをするだけで済ませることを良しとした日本で育った高校生の倫理観の脆さを見れば,そのやり方の悪影響がえげつなく出ている.
彼らはこれから知識社会で生きていかないといけないのに,そのモラルをケアされていないのだ.
知的所有権を守るどころか,人の価値をどう認めるかがわからなくなってきている.
それらは全て大人が「自由と責任」を教えることから逃げたためのように感じる.
そうでなくては,ここまで加速されようがない.
「鏡は悟りの具ならず,迷いの具なり」
鈴鹿が生んだ歴史的コラムニスト 斎藤緑雨が残した警句である.
及び腰の人間には理解しがたいかもしれないが,子ども達に学校の中でだけ目隠しを強制するのではなく,全ての取捨選択を任せればよい.
自分自身が何をやっているかが白日のもとにさらされれば,鏡に映った自分の形に気付くことだろう.
その気づきが大切なのであって,迷いながらもそこから一歩ずつ自分の形を創っていくことだろう.
子どもは馬鹿ではないのだ.
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