源太郎のブログ

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

伊豆・城ヶ島

2008年01月25日 | 山行記

08_001

 「晴れ男ですね」、集合するなり、そう言われてしまった。年に150日も山を歩いていれば、晴れの日も、雨の日もそれなりにある。ちょっとこそばゆい気持ちになった。それにしても、前日の関東の「雪景色」から一転、快晴に。1月の下旬、伊豆の城ヶ崎を歩いた。

 JR伊東線の伊東駅に集合してバスに乗る。40分程で歩き始める蓮着寺に着く。鎌倉時代、立正安国論で幕府の怒りをかった日蓮上人は伊豆に流罪となり、寺の近くの「俎岩」と言われる海上の岩場に置き去りにされた。たまたま通りかかった漁師に救われたと言う逸話に基づき、後年建てられたのが蓮着寺。境内でトイレを済ませ歩き始める。すぐの見所は「石食いモチの木」、大きな石が、幾つも幹に食い込み、あたかも「石を食べてしまった様」、ここまで成長するのに何年掛かったのだろうか。トレイルを進むと木々の間から青い空、黒い断崖に砕け散る白い波が見え隠れする。暫くして前述の「俎岩」が見える所に。あんな所に置き去りにされてよくもまあ、と思う。目を転じれば大島が目の前、遠くには利島、それに新島だろうか。今日は天気が良いせいか随分沢山の島が見える。トレイルを歩くにつれて色々な名前が付けられた「岬」がある。この辺りは、もともと近くの大室山が約2600年前に噴火し、その溶岩で出来た場所である。江戸時代、ボラ漁の漁師達が名付けたのが「岬」の名前の起こり。当時は、海の上から見た海岸の景色の中を、今我々が歩いている、と言う訳だ。「だせんば」「にちょう」「おとじろう」「いがいが根」等。地元の観光協会に聞いても、その名前の由来は定かではない。なかには「ばったり」等と言う所もあるが、昔旅人が「ばったり」と倒れた事が由来と言う。本当だろうか? このルートにはそんな名前がついた場所が28ヶ所もあり、夫々に名前が書かれた木柱が立っている。結構、登ったり、下ったりがあるのだけれど、そんな「江戸時代」に付けられた名前の由来をあれこれ考えたり、樹間に見える景色を見ていると、疲れは感じさせない。周りの植物や樹木の種類も豊富で温暖な気候のせいか、普段登る山の植生とは違う事に驚かされた。「さいつな」と呼ばれる岬の近くに「柱状摂理」が見られる場所がある。海に押し出された溶岩が急に冷やされて出来る5角ないし6角の柱が重なり合って林立している場所である。亀甲紋状の石が波に現れている姿に自然の造詣の妙を感じる。コースの最後に「はしだて吊橋」が現れる。全長60m、高さ18mの海に掛かる吊り橋。吊橋を渡っている時に景色を見る余裕は無いかもしれないが、周りの景色は「絶品」、そんじょそこらにある代物じゃない。ここを過ぎると、程無くして八幡野の小さな港に出た。引き上げられた漁船の奥、水平線の先に大島が浮かんでいた。伊豆高原駅に向かう坂道を歩きながら、随分遠くに来た事を感じた。