成田からアメリカのアトランタを経由してチリのサンチャゴまで、飛行機で飛ぶと28時間。それからアルゼンチンのメンドーサまで飛行機でもう1時間、その先、登山口に近いロッジまでバスに乗って3時間、泊まったロッジから登山口まで車で15分。日本から南北アメリカの最高峰アコンカグア(6962m)の登山口までの行程を、途中経過を省いて、簡単に言って仕舞えばこんな所だ。確かに遠い。が、現地の言葉で「石の歩哨」を意味するアコンカグアの頂上へ向かう歩きはそこから始まる。登山口の標高は2900m。私が行った12月はカラッと青空の広がる、明るい日差しの溢れる、空気がちょっとひんやりとした所だった。この場所に、再び下山して来るのは2週間後だ。取敢えず標高4230mのベースキャンプ(BC)まで2日間の行程。荷揚げのミューラと呼ばれる馬の群れが引っ切り無しに行き来している。その度に赤い土埃が舞う。初日の標高3368mのキャンプ地までは約3時間半の歩程、オルコネスの谷を流れる川沿いのなだらかな道が続く。二日目、8時過ぎにキャンプ地を立ち、何度か徒渉を繰り返して4230mのベースキャンプ(BC)に着いたのは夕方の5時過ぎだった。谷の奥まった所に位置するベースキャンプは色とりどりのテントで溢れている。ヘリポート、診療所、ロッジのある賑やかな場所だ。まあ、アコンカグアの本格的な登山はここから始まる、と言って良いだろう。我々は、ここで高度順化の為滞在し、上部キャンプとの登り下りを繰り返した。
高度障害、と言う意味ではここが一つの関門と言って良いかも知れない。ここで、高度順化していなければ、この先に行くのは難しい。診療所で酸素の「血中濃度」を測る事が義務付けられている。いよいよ、BCを立つ最後の日、相棒がこれに引っ掛かった。が、執念と言うのは恐ろしい、彼は夜っぴて3リッターの水を飲み続け、見事翌朝のチェックをクリアーしたのだ。トイレに行く為、一時間毎にテントを這い出る物音に、おかげで私は一晩中殆ど一睡も出来なかった。
BCに着いてから数日後、テントを撤収して上部キャンプへの移動を開始。小刻みに標高を上げる為、行動時間は1日に4時間程度と短い。その日は再びBCに下山。翌日、再び5600m地点に移動してテント泊。もっぱら日本から持ってきた日本食を食べる。が、食欲が極端に落ちている。翌朝、食欲が殆ど無く頭痛がする。起きてみると、テント内のペットボトルが凍りついている。暫くすると、頭痛も治まった。やはり、睡眠中は呼吸が浅くなる為酸素摂取量が下がるのだろう。その日、高度順化の為、標高5600mから最終キャンプ地の標高5900mまでを往復し荷揚げも行った。翌日、同じ行程を繰り返し、再び5900mの最終キャンプに着いたのは午後の3時前。頭痛、食欲不振、疲労、寒さ、長く続いた狭いテント生活に体が既にぼろぼろになっていた。翌日はいよいよ、頂上を目指す日だ。
殆ど眠れずに迎えた朝、起床は、3時45分。殆ど食欲の無い所、口に入る物を無理やり腹に入れるのに1時間、出発の準備にもう1時間。午前、5時45分、極寒のまだ薄暗い中テントを後にした。登山口を出てから9日目、既に疲労がたまり、テントを出る時には既に疲労困憊の状態であった。頂上までの標高差は1000m以上。寒いが、幸い風も殆ど無く天気も良い。長い歩行と我慢の末、午後3時5分、アコンカグアの頂上に着いた。南北アメリカの最高峰の頂きからは雪に覆われた数多の峰々が光り輝いていた。そして30分後、下山開始。来た道を戻りキャンプ地に着いたのは夜の9時過ぎであった。標高5900mから6962mの間の行動時間15時間余は私にとっては過酷なものとなった。
下山は早い。頂上に立った翌日、標高差1670mを下りBCに戻る。その翌日には登りに二日掛かった道程を1日で下り、ようやくロッジのベッドに横になる事が出来た。部屋の鏡に映った凍傷になった鼻や醜く腫れ上がった自分の顔を見て、アコンカグアの登頂は、この「顔」を代償に成し遂げられたのだと知った。