明治維新後、日本人が、外の世界を見て、彼我の差に
ショックを受けて、始めたことの一つが「教育」でした。
明治5年に文部省が新しい学制を作り初等教育を始めた時、
日本全国で小学校が作られました。長野県松本市では、
明治6年、お寺の中に作られたたのですが、明治9年には、
新しい校舎が完成しました。それが「開智学校」と
呼ばれる学校です。校舎を設計、施工したのが、
大工棟梁の「立石清重(1829-1894)」でした。建物は
「擬西洋建築」と呼ばれ、西洋建築に似せて建てられました。
建築費は、住民の寄付など、全て自前のお金で建て
られました。その校舎は昭和38年まで使用され、現在は
「開智小学校」から、道路を一つ挟んだ場所に移築され
「博物館」として維持され、2019年には、日本の
小学校の建物のとしては、唯一「国宝」になっています。
この学校のもう一つの優れた点は、開校以来のその
数10万点とも言われる文書(生徒の出席簿、成績表、
試験結果やその他諸々)が多く残っていることです。
松本は、今「学都」と呼ばれて言わすが、その呼ばれる
のに相応しい施設の一つだと言えましょう。