Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「忖度」の背景

2020-05-29 23:39:58 | ひとから学ぶ

 近ごろ「上申」という言葉を頻繁に耳にする。ある方からその単語が連発されるのだが、そのある方とはお国の役人である。平民にとってお国とのかかわりはほとんどない。あえて言えば、ハローワークが平民にとって身近な場所かもしれない。お役所とかかわりある仕事をしているわが社でも、お国の役人とかかわることは、かつてはそこそこあったが、今はほとんどといってない。せいぜい会社の上層部だけだ。ところがお国から許可を受けなくてはならない事象に対して、その書類作成にかかわる際に、お国の出先機関と打ち合わせをすることが、年に数回ある。もちろん無い年もある。日常的にある業務ではない。したがってたまにかかわると、担当者によって「ずいぶん違う」という印象を受けるのは、当然かもしれない。

 先日「なぜ、自分たちは存在する?」を記した。今日の日記はこの日記に関連する。ある施設を管理されている団体の国への申請事務を手伝ったわけであるが、そのお国の役人が「上申」を連発される。ふだんのわたしたちの仕事上では、ほとんど使わない単語である。この単語の意味は、“意見を上の者に申し述べること。具申。「改革案を上申する」「上申書」 ”(コトバンク)とある。“「上申」と「申請」の違い”という問いが「BIGLOBEなんでも相談室」にあった。“「上申」と「申請」という言葉の違いについて、 法律的な使い方としての違いがあるのであれば、教えてください。”というものだ。答えには“「上申」・・・意見を上の者に申し述べること。「申請」・・・希望や要望事項を願い出ること。特に、国や公共の機関などに対して認可・許可その他一定の行為を求めること。法律的な使い分けは特になかったはずです。一般的には「申請」が使われ、「上申」はきわめて限定的な場面でしか使われないので、会社の規程等は全て申請でよろしいと思います。”とある。「許可申請」であるから、ここでいう例に整合するが、では、なぜお国は「上申」を連発するのか。ようは役所の中では「申請」されたものを「上申」と捉えているということなのだろう。

 さて、この申請事務における打ち合わせにおいて、わたしが今かかわっている物件の前任者は、役人に問われるままに裏づけを添付した。しかし、「なぜ、自分たちは存在する?」で触れた通り、半世紀ほど前に許可内容を大きく変える際にすったもんだして、獲得した権利であって、その根拠は当時解決済みと捉えないと、話は進められない。ところが当時のやり取りを知らずにお国の役人に問われるままに裏づけをして、指摘されたとおり数値を訂正して申請書を提出してしまった。もう1年以上前の物件である。ところがその物件に対して許可が降りずに、今ごろになって出直したように質問が降りてきた。質問程度ならまだしも、お役人にとってみれば「上申」するのに必要な指摘事項であって、質問程度と捉えていたら、「直せ」という天からの言葉なのだ。わたしのかかわった仕事ではないので、詳細はわからない。しかし、故に過去の資料をひっくり返して、わたしなりに考えてみると、お役人が言ったからといって、簡単に訂正すべき数値ではないと悟った。繰り返し過去に遡ってひとつひとつその理由をよみがえらせていくと、当時の資料に根拠がない項目も、それなりに理由があったと推測される。お役人も、こちら側も、半世紀前の当事者でないことは言うまでもない。そのとき、そのときの、当事者でしかない。したがって「どうして」という問いを発することは当然としても、その「どうして」にあわせ仕事をして数値を変えてはならないこともある。だからこそ、「なぜ、自分たちは存在する?」かなのである。お役人が「上申」を連発する理由は、あまりかかわりがないのでわたしにの想像は正しくないかもしれないが、「自分より、地位が上の者へ意見を申し述べる」際の言い訳作りなのだ。その過程で、例の「忖度」が生まれるのは、わかるような気がする。「忖度」は「上申」という世界の常識なのかもしれない。


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