VOICE of TSUCKY

ラブラドールのいる風景
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責任問題

2008-12-11 | Weblog
責任の取り方というのは難しい。
辞めたら辞めたで「放り出した」と言われるし、
続ければ「地位にしがみついている」と言われるし。

どういうやり方にせよ、
責任を取るべき立場の人の身の処し方が良い結果をもたらせば、
それが「責任を取った」ということになるのだと思う。

ずいぶん前にある証券会社が倒産した。
その時、社長は記者会見の場で、
涙を流して「社員は悪くないんです。」と言っていた。
それを見た時は「格好悪いな」と思ったが、
その後、何年かしてその社長のことについて取材した番組を見た。
それで知ったのは、彼が社員一人一人の再雇用先を探し歩いたという事実だった。
そしてその社長は、会社の倒産寸前にその地位へ据えられた、
言わば「ババ」を押し付けられた人だったということも知った。
そして、倒産の主たる原因を作った歴代の社長たちは知らん顔をして、
たくさんの退職金とともに観覧席へまわっていたということらしい・・・。

今年、大変な視聴率を稼いだドラマ「篤姫」の「天璋院」は
大奥の崩壊の時代に最後を取り仕切った人物である。
何千人といた奥女中たちの行き先の面倒をみてやり、
彼女が亡くなったときの所持金はわずか3円(今の金額で6万円)だったらしい、
ときくと、責任が取れる人物というのは男女や時代に関係はない。
責任の感じ方と行動力なのだと思う。
責任を負う者が自分の取る責任の範囲をどう規定し、
どこまで誠心誠意やるかということで
責任の取り方の評価が決まるのではないか。

昨日の夜のことである。
母が出かけていてお留守番時間が長かったつんちゃ。
気晴らしのため、ナイトウォークをいつもより「増量」して、
ぐるっと遠回りしながら駅前まであしを伸ばした。
久しぶりの駅前なので匂い嗅ぎに専念するつんちゃに合わせて
ワタシも下を向いて立ち止まっていたら、ふいに声が聞こえた。
「太っちゃったねぇ~」
んん・・・???である。
顔をあげるとオジサンが近寄ってきていた。
いつも太っている太っていると知らない人に声をかけられる。
普段なら(太っているのは言われなくてもわかっているのよ、飼い主が一番!)と
心の中でプンプンしながら「そうですねー」と流しておくのだが、
そのオジサンにはなぜかカチンとこなかった。
不思議だな~と自分でも思っていると、
次の瞬間にワタシの眼前にスッと携帯電話を突き出した。
「うちにもいるのよーラブが」
「うちのも太ってるねーやっぱり。太りやすいんだよね。」
だって・・・。
「飼い主の責任だよね。」
だって・・・。
なんだ同罪か。。。

そしてオジサンは、「女房がやっちゃうんだよね。おやつ。」
どこのうちでもそうだが、
おやつをあげ過ぎて太らせているのは、家族の”誰か”で、
自分は「そんなにあげていない」(つもりな)のだ。

つんちゃの”メタボ”はワタシにも責任は十分にある。
でも、飼い主は「引責辞任」できないのだ。
わんこの一生を「お守り」しなければならない!
つんちゃに対し、
責任がとれるリーダーとなるべく、減量に取り組む所存でゴザイマス・・・。

久々、駅前につんちゃ登場
メタボ指摘オジサンと遭遇。

つん:うちの責任やない・・・。


駅前手作り花壇はつんちゃと1ヶ月違いの生まれみたいだ・・・。







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つっきーの木