VOICE of TSUCKY

ラブラドールのいる風景
出演者紹介:カテゴリー”VoT紳士録” 
用語辞典:カテゴリー”つきペディア”

白骨の章

2017-02-15 | 月世界
浄土真宗の葬儀で読まれる白骨の章(御文)を
初めて意識して聞いたのは、
社会人になって間もない頃だった。
直接面識のない方の葬儀であったけれど、
読経の中にこのくだりを聞いて、
なんとも切ない気持ちになったのを
今でも覚えている。
ましてや、家族や近しい人にとって、
亡くした直後に聞かされるのは辛いだろうと。

それより以前に、母から「白骨の章」のことを
聞いたことがあった。

実家や親類が浄土真宗だったので葬儀や法事で
“白骨の章”を耳にしていたという母は
お経は覚えていないけれど、
この一節だけは忘れられないと話していた。

一年の時が過ぎても、 お骨となったつんちゃを見ることが出来ないのは、
この“白骨の章”の無常観が、つんちゃの旅立ちと重なるからなのかもしれない。

<蓮如上人“白骨の章(御文)”>
.....略
されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、
ひとつのいきながくたえぬれば、
紅顔むなしく変じて、桃李のよそおいをうしないぬるときは、
六親眷属あつまりてなげきかなしめども、
更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、
野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。...略

誰にでも別れの時はくる。
でも、突然の別れを受け入れるには、
必要とするエネルギーの量が一度に集中し過ぎて
よりダメージが大きくなってしまうのではないか。
「朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる」が、
大袈裟ではなく、そのままが現実となった時、
無常を実感することになる。

2016年2月15日、つんちゃを荼毘に付した。
ビロードのような肌ざわりの耳も、
湿った冷たい鼻先も、
たっぷり中身の詰まったお腹も、
ふっさふさの豪華な尻尾も、
ザラッとした舌も、
クリームを塗り込んでもガビガビしてた肉球も、
首回りのたぷたぶも、
みんな、みんな、覚えているのに、
あの日、冷たい雨を降らせ、
つんちゃは白い骨だけを残して逝ってしまった。



今日のフラワーアレンジメント教室で作ったのは、
プレゼントの箱をイメージした真四角のアレンジ。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2月14日

2017-02-14 | 月世界
まるで選んだかのように、「愛の日」につんちゃは旅立った。
月から付けた名前、つっきー。
竹取の翁と嫗や、帝や貴人達がどれほど手を尽くしても、
また、それが叶わぬとなれば、嘆き悲しんで引き留めても、
天上人が連れて行ってしまったかぐや姫と同じく、
2016年2月14日、突然、つんちゃは月世界へ帰ってしまった。


辛い記憶を封印して一年という歳月が流れた。
きっとどんなに時が経とうとも、
あの2月14日を振り返ると、
同じ涙が流れるだろう。

魂は永遠だという。
時を超え、形を変えて、
いつか巡り逢うことができるのだろうか?

つんちゃに聞きたいことがたくさんある。
ひとつだけでも答えてくれないかな。
あの日、最後の瞬間に目が合った時、
ワタシに言いたかったことがあった?

つんちゃ、つんちゃ、ワタシの大切なかぐや姫。
あの物語の帝のように、不老不死の薬をもらったとしても、
ワタシもきっと富士山頂からばら撒いて捨ててしまうだろうな。
そして何度でも生まれ変わって、
つんちゃに再会する確率を上げるだろうな。

今日は暖かな日差しの穏やかな一日だった。
会社を休んでつんちゃと日向ぼっこ。


悲喜こもごもが展開されているであろう世の中とは異なる思いを抱くバレンタインデー。
夜、お茶うけにチョコレートの月餅を食べた。


犬はチョコレートは食べられないけれど、つんちゃのために月のデザインを選んだ。
なんの因果か、一年のうち一番チョコレートが消費される日につんちゃは旅立ったんだね。


昨夜から、つんちゃが帰って来る時に迷わないようにずっと灯りをつけておいた。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月のいざない

2017-02-13 | 月世界
家の近くまで帰って来て、ふと、つんちゃ球場のある公園に目をやると、
東の空に十六夜の月が出ていた。
あゝ、つんちゃが野球場へ行こうって言っているんだと
久しぶりに公園を一周してみた。

真冬の夜の公園は静かで、つんちゃとのふたりだけの時間を
振り返るのにちょうどよかった。
遠くに車が通る音も、周りのマンションの部屋の灯りも、
切り離したように夜の公園はひっそりと闇の中にあって、
かつてそこにつんちゃと過ごした時間があった。

今は月がじっと照らしている。
あの頃のように、暗闇の中のつんちゃの姿を探してじっと目を凝らしてみた。
やんちゃ盛りで走り回ってなかなか帰らなかったつんちゃの姿も
座り込んでなかなか帰れなかったつんちゃの姿も、
どのつんちゃもワタシの大切な大切なつんちゃの姿なのだ。
野球場の暗闇は映画館、月明りはまるで映写機のようにつんちゃのいろいろなシーンを思い出させる。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つんちゃに捧ぐ、*いつも何度でも*

2017-02-12 | 月世界
宮崎駿の大ヒット作品である「千と千尋の神隠し」の主題歌
「いつも何度でも」をよく聞いている。

それまで心惹かれる曲ではあったけれど
繰り返し聴いていたということはなかった。
木村 弓の揺らぐような高音の声と、珍しい竪琴が印象的な曲だから
一度聞いたら誰の心にも残りやすいと思うが
つんちゃがいなくなって、あの曲が文字通り琴線に触れるように耳に、心に、入ってくるのだ。


つんちゃとの別れをゆっくり準備することが許されなかったワタシにとって、
直接的な事物に触れることは辛く難しいことだった。

だから、心が何か別な方法を探していたのだろう。
常に花を置いておかずにいられなかったことも、
ちょっと荷が重いかなという役目の仕事を受けたことも、
思い切って長い休みを取って、お遍路の満願成就に拘ったことも、
みんなつんちゃとの別れの苦しみから自分を守る為にしたこと。

そんな弱さも、まわりの人たちは理解を示して支えてくれた。
それでもやっぱり辛い時には、
じっとしているしかない。
手負いの動物がするように。
そんな時、悲し過ぎず、明る過ぎず、聴いていられるのが
魂の存在を思わせるこの曲だった。
いつも何度でも、つんちゃに会いたい。

閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く

かなしみは 数えきれないけれど
その向こうで きっと あなたに会える

歌詞とメロディが言い聞かせるように
ワタシに語りかける。
悲しみを増幅させるような曲ではないところが
いいのかもしれない。


海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから

そうなれるまでには、まだ時間がかかるけれど
つんちゃと過ごした歳月を、そんな風に思えるようになれたらいいナと思う。

トンポッチおばちゃんとオコ坊から
つんちゃがプリントされたブランケットをいただいた。


つんちゃ前広場には、おいしいものが並んだ。
横浜と言えば崎陽軒。
その崎陽軒はシュウマイだけではなく、月餅も作っていた!
つんちゃの名前にぴったりなお菓子だね。


多摩の別荘からつんちゃ家に届けてくれたのは、希少な限定ラベルのワインだった。
風神雷神図をラベルにしたワインを仁王像のようにデシの両脇に据えると、
つんちゃの被毛で毛糸を作って編みぐるみにしてもらった「阿吽のつんちゃ」を思わせる。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お花畑の中で

2017-02-11 | 月世界
つんちゃが花に囲まれている。
あの世の風景にお花畑を描写したものが多いのは、
事実、そういう世界があるのか、この世の人の願望によるものなのか。
何れにせよ、花の存在は幸福感をもたらすアイテムになっている。

つんちゃの旅立ちの時を見送ってくれた花たち、
仏教界において、その魂がまだこの世に在籍しているとされる四十九日内に
つんちゃを見守ってくれた花たち、
つんちゃを可愛がってくれた人達から頂いた花は
ワタシと家族の心をどれほど慰めてくれたことか。

慟哭する悲しみはあっても、
視覚的な淋しさを残さずに済んだのは、
ただ眠っているかのような穏やかなつんちゃの姿が
たくさんの花々に囲まれていたからだ。

つんちゃの旅立ちから一年が経とうとしている。
今日はつんちゃを可愛がってくれた友人も来てくれて
チームつんと一緒に「つんちゃ会」を開いた。

般若心経も一緒にあげてもらい、
こちらへの里帰りの「ファーストクラスチケット」を
送ったようなものだ。
どうぞ快適な空の旅を。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つっきーの木