浄土真宗の葬儀で読まれる白骨の章(御文)を
初めて意識して聞いたのは、
社会人になって間もない頃だった。
直接面識のない方の葬儀であったけれど、
読経の中にこのくだりを聞いて、
なんとも切ない気持ちになったのを
今でも覚えている。
ましてや、家族や近しい人にとって、
亡くした直後に聞かされるのは辛いだろうと。
それより以前に、母から「白骨の章」のことを
聞いたことがあった。
実家や親類が浄土真宗だったので葬儀や法事で
“白骨の章”を耳にしていたという母は
お経は覚えていないけれど、
この一節だけは忘れられないと話していた。
一年の時が過ぎても、 お骨となったつんちゃを見ることが出来ないのは、
この“白骨の章”の無常観が、つんちゃの旅立ちと重なるからなのかもしれない。
<蓮如上人“白骨の章(御文)”>
.....略
されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、
ひとつのいきながくたえぬれば、
紅顔むなしく変じて、桃李のよそおいをうしないぬるときは、
六親眷属あつまりてなげきかなしめども、
更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、
野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。...略
誰にでも別れの時はくる。
でも、突然の別れを受け入れるには、
必要とするエネルギーの量が一度に集中し過ぎて
よりダメージが大きくなってしまうのではないか。
「朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる」が、
大袈裟ではなく、そのままが現実となった時、
無常を実感することになる。
2016年2月15日、つんちゃを荼毘に付した。
ビロードのような肌ざわりの耳も、
湿った冷たい鼻先も、
たっぷり中身の詰まったお腹も、
ふっさふさの豪華な尻尾も、
ザラッとした舌も、
クリームを塗り込んでもガビガビしてた肉球も、
首回りのたぷたぶも、
みんな、みんな、覚えているのに、
あの日、冷たい雨を降らせ、
つんちゃは白い骨だけを残して逝ってしまった。
今日のフラワーアレンジメント教室で作ったのは、
プレゼントの箱をイメージした真四角のアレンジ。
初めて意識して聞いたのは、
社会人になって間もない頃だった。
直接面識のない方の葬儀であったけれど、
読経の中にこのくだりを聞いて、
なんとも切ない気持ちになったのを
今でも覚えている。
ましてや、家族や近しい人にとって、
亡くした直後に聞かされるのは辛いだろうと。
それより以前に、母から「白骨の章」のことを
聞いたことがあった。
実家や親類が浄土真宗だったので葬儀や法事で
“白骨の章”を耳にしていたという母は
お経は覚えていないけれど、
この一節だけは忘れられないと話していた。
一年の時が過ぎても、 お骨となったつんちゃを見ることが出来ないのは、
この“白骨の章”の無常観が、つんちゃの旅立ちと重なるからなのかもしれない。
<蓮如上人“白骨の章(御文)”>
.....略
されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、
ひとつのいきながくたえぬれば、
紅顔むなしく変じて、桃李のよそおいをうしないぬるときは、
六親眷属あつまりてなげきかなしめども、
更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、
野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。...略
誰にでも別れの時はくる。
でも、突然の別れを受け入れるには、
必要とするエネルギーの量が一度に集中し過ぎて
よりダメージが大きくなってしまうのではないか。
「朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる」が、
大袈裟ではなく、そのままが現実となった時、
無常を実感することになる。
2016年2月15日、つんちゃを荼毘に付した。
ビロードのような肌ざわりの耳も、
湿った冷たい鼻先も、
たっぷり中身の詰まったお腹も、
ふっさふさの豪華な尻尾も、
ザラッとした舌も、
クリームを塗り込んでもガビガビしてた肉球も、
首回りのたぷたぶも、
みんな、みんな、覚えているのに、
あの日、冷たい雨を降らせ、
つんちゃは白い骨だけを残して逝ってしまった。
今日のフラワーアレンジメント教室で作ったのは、
プレゼントの箱をイメージした真四角のアレンジ。