月のひびき (徳正寺だより)

“いま”出遇えた一瞬をパチリ
それは仏さまとの日暮らし…

永遠之語

2010年12月24日 17時28分44秒 | 仏々相念(住職日記)

止まりません・・・

 

ご縁をいただく中にいろんなことを思い出されていたとか。

その時感じたことを語って下さる。

止まることのない語り口。

 

話の内容は・・・

でも、すごいな~、よくここまで語れるよな~

話すことの苦手な私は、ただただ羨ましくこんなにベラベラ話せたらいいよな~って・・・

すれば、楽しいのかな~って・・・

 

焦って話そうとすればするほど、「モコモコ」になってしまう私。

やっぱり、私はこれでいいかな・・・

 


距離感0のはなし

2010年12月23日 20時38分07秒 | ふうわりふわり(坊守日記)
今日はY様ご一家がお父さんの一七日のご縁にお参りに来られました。
娘さんはお二人とも憔悴しきったご様子で、悲しい別れの涙はおつとめ、ご法話の間にも溢れて頬をつたっているようでした。

県外にお住まいの娘さん方。
お父さんの闘病中には、さぞかしその故郷との距離が切なくもどかしく感じられたことでしょう。

その身をもって、いのちのはかなさ、尊さ、厳しさをご教化くださったお父さんのただいまのお姿は、仏さまのお姿です。

先に仏さまになってくださって、このわたしの人生に帰りきてくださっているのだと聞かせていただいています。

まさに、これよりは距離感0の日々なのです。

いつも一緒にいてくださって、
誰にも見せられぬ心の内を、
誰にも語れぬ心の声を、
見ていてくださる、
聞いていてくださるのです。

そのことひとつ胸においての歩みは、きっと心丈夫なものでしょうね。

ともに、歩ませていただきましょう。
阿弥陀さまが照らしてくださるこの道を……
距離感0のあなたと一緒に…

なんまんだあぶ~…

喪主挨拶

2010年12月22日 19時21分05秒 | 仏々相念(住職日記)

悲しみを堪えながら・・・

 

最後のお別れをされる喪主様、母の顔を擦っては言葉になりません。

搾るように漏れ出た、「ありがとう・・・」

いろんなことを考え、思い、別れ難いひと時となる。

 

葬儀の挨拶では、自らの言葉でお礼を述べられました。

葬儀社の用意されている原稿を読むのもいいのですが、

やはり一言でもいい、自分の言葉でおっしゃった方が嬉しいいように思います。

 

「ありがとうございました」って・・・

 

「私のことをずっと注意してくれた母、その声をもう聞けないんだと思うと寂しいです・・・」

 

生きている時にはうるさい言葉としか聞けなかったが、亡くなった今、自分を案じて下さる言葉であったと出遇うのでしょうね・・・

だから泣けて、泣けて・・・しようがなくなるのでしょう。

 

その悲しみを胸に置くことによって、必ず優しくなれるのです・・・

 

「悲しみに出会うたび、あの人を思いだす・・・」(中村雅俊「ふれあい」)


去年今日

2010年12月21日 22時02分36秒 | 仏々相念(住職日記)

同じひと時が・・・

 

悲しいご縁に遇うと優しくなれます。

忘れている大切なことに出遇うから・・・

 

大切に生きろ!・・・

 

今日も悲しいご縁に遇わせていただき夜遅く帰宅すると三門に坊守が立って待ってくれていました。

ご縁が重なったために坊守に一件お願いしたことですが、丁度坊守も帰ったところだったのです。

嬉しいことです、ここで待ってくれているおはたらき・・・

二人で暫く境内に立ち雨上がりのきれいなまんまるお月さま眺めたことです。

 

去年の今日も同じひと時だったのです・・・

最近ブログ書く前に、去年の今日どんなこと書いてんだろうって読むのですが、

疲れきって帰ってきた私を娘を連れて帰った坊守が三門に立って待ってくれていたのです。

 

今も変わらずそのおはたらきのなかに命あることに感謝・・・

今も変わらず優しい微笑みのなかに人生あることに涙・・・


雨あがりのお月様のはなし

2010年12月21日 20時54分16秒 | ふうわりふわり(坊守日記)

今日は三年ぶりの皆既月食でした……が、その時間はちょうど雨降りでした。
残念…

まんまる明るいお月様を地球の影で隠してしまう皆既月食…
見えなくても、確かにそこにお月様はあるんですね。

厚い雨雲の向こうにも、確かにお月様はあるんですね。

目に見えるものだけがすべてでない世界を知らせていただきます。

お通夜のご縁の帰り道、すっかり雨があがった空に、清かに清かにまんまる明るいお月様が照っていました。

あら…境内にできた水たまりの中にも、まんまる明るいお月様が映っています。

ようこそ、雨あがりのお月様。