良い日なので・・・
日の良し悪しを言われる方が多くいらっしゃいます。
御門徒の墓地が落成されたのですが、そのご法要にどうしてもこの日に・・・とおっしゃるのです。
「なぜにこの日ですか?」ってお尋ねしますと、「日が良いのです。」
「浄土真宗ではそのような日の良し悪しは申しませんよ。雨になる予報も出ていますので別の日にされたら如何でしょうか?」
「あ~そうですか・・・日の良し悪しは関係ないのですね・・・雨になったら迷惑も掛かるし、それでは別の日に・・・」
ということで別の日にお約束をし電話を切ったのですが、間なしに電話が鳴ります。
「やっぱりこの日ではいけませんかな・・・」
電話を切っていろいろ考えるのでしょうね。
約束した日は良い日でないし、この日にご法要をお勤めして後々災いがあってもいけないし・・・
そんなところでしょう・・・
「おじさん、そんなにその日にということであればご縁に会わせていただきましょう。でも、こちらにも予定がありますので勝手を言うのですが朝早くにお参りさせていただきますね。」
「そうしてくださいますか!やっぱりその日が良い日ですので・・・」
「だから・・・おじさん、真宗では日の良し悪しは関係ないのです。仏さまに包まれる人生はいつでも安心なんですよ!その日が良い日だからお参りさせていただくんじゃないんですよ。どうしても・・・とおじさんがおっしゃるのでお参りさせていただくんですから・・・」
「はいはい・・・」
多分聞いて下さっていないのでしょうね・・・
何と言われようがこの日にしてもらえばそれでいい・・・ってな感じなのでしょう。
尊いご縁に会いつつもいただき方が異なるとしんどいですね。
お墓をきれいに整えられる・・・大変な事業であります。
「ま~、ワシが入らんといけんけんのう~」何て言った人もいましたが・・・
「こんなとこに入るんかな~」って思わず言ったことも・・・
さあ、この良き日に永遠の住みかを仕立てましたよ!
どうぞ、このきれいなところで安らかにお眠りください。
そして、私たちに災いを起こさんようにじっとしといて下さい。
そんな思いを感じて仕方がありません・・・
以前、ある方の法話で「お墓が出来ましたので性根を入れて下さい」と言われたそうな・・・
すると、その講師さんは御門徒の方に向かってお勤めをしたとか・・・
「なぜ、お墓に向かってお勤めされないのですか?」
「性根を入れんといけんのはあなたの方ですよ!」っとおっしゃったとか・・・
作り話かどうかは存じませんが思わず笑ってしまいましたが・・・
「なるほど!」と思える話ではありましたが、人生の先輩に向かってそんなことが出来よう筈がありません。
入れんといけんのは、常にコイツの問題なのです。
長い人生歩まれてきて、そりゃ、いろんなことがあったと思うのです。
その都度、災いを払い良いことが起こるようにひたすら願われて歩まれたのかもしれません。
生きるために・・・
生き抜く為に・・・
その人生を誰にとやかく言われる筋合いがあろうか・・・
歯を食いしばって頑張って来られた人生なのですから・・・
願わくば、その人生を深く省みられるひと時にしていきたいことです。
愛するあなたは墓の下ではなく、仏さまのおはたらきにならしていただきず~っと抱きしめ支えて下さっていた今日この日だったのですね・・・って気付きながら気付きながら歩ませていただきたい。
なんと、毎日が大安(仏さまの憩いの家)でありました!