今日も初盆の灯籠終いのご縁にあちこちお参りさせていただきました。
皆さまそれぞれにひと月灯していた灯籠の灯りをどことなく懐かしそうにご覧になられていました。
ほのかに灯る灯り、ゆっくりとまわる灯り、ゆらめく灯り・・・
灯りって懐かしくて、あたたかくて、恋しいものですね。
阿弥陀さまはわたしたちにとっての灯りとなって、わたしたちをやさしく育ててくださっているのですね。
Yさんのお宅にお参りさせていただきますと、お仏壇に≪サクサクパンダ≫という小さなお菓子の箱がひとつ、真ん中にお供えされていました。
きっと、いつも遊びに来るひ孫ちゃんにおさがりとしてあげるためにお供えされているんだろうな、と勝手な想像をしていたのですが、おつとめが終わりお家の方とお話をさせていただく中に、
「あのお菓子は、ひ孫のH君が“じいちゃんにあげる!”と自分で買ってきてお供えしてくれたんですよ」
ということをお聞きしました。
H君は小学1年生。優しかったおじいちゃんのことが大好きだったのでしょうね。
それに、おばあちゃんがいろんなことをお話されながらお仏壇のお荘厳をなさっているのを、H君はちゃんと見ていたのでしょうね。
いつも大好きなお菓子や果物を、おばあちゃんがおさげしてからくださるのでしょうね。
心がポッとあたたかくなるようなお話でした。
仏さまにお供えしてからいただく、ということの大切さを改めて感じさせていただきました。
自分で買ったものは自分のもので当然!なのですが、その中に対価よりほかの見えないはたらきをいただいていることに気づかせていただくと、自分のもので当然という思いがひっくり返されます。
“おかげさま”なのです。“いただきもの”なのです。
H君はそれを自然にしてくださるのですね。
これも、阿弥陀さまのお育てなのでしょうか。
あたたかくて、ありがたいご縁でした。
皆さまそれぞれにひと月灯していた灯籠の灯りをどことなく懐かしそうにご覧になられていました。
ほのかに灯る灯り、ゆっくりとまわる灯り、ゆらめく灯り・・・
灯りって懐かしくて、あたたかくて、恋しいものですね。
阿弥陀さまはわたしたちにとっての灯りとなって、わたしたちをやさしく育ててくださっているのですね。
Yさんのお宅にお参りさせていただきますと、お仏壇に≪サクサクパンダ≫という小さなお菓子の箱がひとつ、真ん中にお供えされていました。
きっと、いつも遊びに来るひ孫ちゃんにおさがりとしてあげるためにお供えされているんだろうな、と勝手な想像をしていたのですが、おつとめが終わりお家の方とお話をさせていただく中に、
「あのお菓子は、ひ孫のH君が“じいちゃんにあげる!”と自分で買ってきてお供えしてくれたんですよ」
ということをお聞きしました。
H君は小学1年生。優しかったおじいちゃんのことが大好きだったのでしょうね。
それに、おばあちゃんがいろんなことをお話されながらお仏壇のお荘厳をなさっているのを、H君はちゃんと見ていたのでしょうね。
いつも大好きなお菓子や果物を、おばあちゃんがおさげしてからくださるのでしょうね。
心がポッとあたたかくなるようなお話でした。
仏さまにお供えしてからいただく、ということの大切さを改めて感じさせていただきました。
自分で買ったものは自分のもので当然!なのですが、その中に対価よりほかの見えないはたらきをいただいていることに気づかせていただくと、自分のもので当然という思いがひっくり返されます。
“おかげさま”なのです。“いただきもの”なのです。
H君はそれを自然にしてくださるのですね。
これも、阿弥陀さまのお育てなのでしょうか。
あたたかくて、ありがたいご縁でした。