「つねさんぽ」は不定期更新 Since 2009

TSUNEAKI THE ADVENTURE Since 2009

自己満足

2021年10月30日 | 学校のこと
2週間前の土曜日、箱根駅伝の予選会で、母校日本大学が
予選総合21位という日大駅伝史上最悪の結果で敗退し
ました。
自分としてはこの結果は、とてもじゃないけど受け入れ難く、
もうしばらくは、箱根路で母校の姿をみることは、
無いのではないかと不安になりました。

床宗さんは「日大が出場できないのは残念だが、箱根駅伝
という大会が好きだ。だから箱根駅伝を観に行く」
とおっしゃってました。

正直それはそうだと感じました。
ただ二年続けての予選敗退は初めてのことで、
去年も18位という成績からみると、
復活にかかる時間は、長いのではないかと思います。

とりあえず10年位は、結果がどうだと気にしないで
待とうと気持ちの整理を付けました。
長いかな?
二週間たって、やっと気持ちの整理というか、
長い目で、母校の復活を待ちたいと思います。

追伸
未練がましいですが、50回大会を最後に総合優勝
から遠ざかってますのであと2大会で50年を経過
してしまいます。
自分の人生の中で優勝してくれるか楽しみです。

スポーツ日大

2021年06月22日 | 学校のこと
日本大学硬式野球部が、東都大学野球リーグ1部復帰を果たした。
2017以来なので、戦国東都というだけあって、2部に転落すると
1部復帰は難しいことになる。
2部とはいえど、専修大学や東京農大など名門チームが蜘蛛の糸
にしがみつこうと、競い合っているからだ。

日大の野球部の指導者は一気に若返った。
これが吉とでた。
だけど、駅伝を見る限りは野球部のようにうまくいっていないの
かもしれない。
全日本大学駅伝予選会も惨敗であった。
ここ3年で指導者が3人も変わるのは、外野から見ても迷走甚だしい。
昨年の箱根予選会18位は正直言って凹んだ。
高速化についていけない。
有望な新入生が伸びない。
頼みの留学生が機能しない。
ここは、沈むところまで沈んで、有能な若いOBを連れてきて育てる。
もしくは、プライドを捨てて他大学からの指導者を招く(これは
現状では絶対に実現しない事)
有能な寮母さんの育成。
大学入学時のスタートラインは、どこの大学生も一緒と思いたい。
それを活かせられないのは、環境が悪としか言いようがないのでは
ないのかなと、保守派のOBとしても言いたくもなる。

おかしれぇ学校を目指せ

2021年06月15日 | 学校のこと
娘の三者面談に、母校へ。

毎年、OBとしてなんか言ってやるぜ。
と意気込んでいきますが、
例えるならば、水戸天狗党のごとく、
烈公の教えを一橋さまに訴えるのだ!!
と意気込むも、
「昔の学校と違って、先生方と生徒の距離が
近くなってて感激です!!」
なんて、日和っちゃってます。
「真 健 和」
初代理事長、加納金助烈公のお言葉です。

烈公でおま。
日本大学農獣医学部、現在の生物資源科学部の前身である東京獣医畜産大学の理事長を務めたと。
最近知りました。ちょっと親近感湧いちゃうじゃない。
御三家、日大一、日大二、日大三
のなかで、どちらかというと水戸的な立場の日大一。
かつては過激な思想を持つ者を武力を持って弾圧し、
お代官様(教師)の絶対的権力、日大(朝廷)
の服従、男子校だったゆえ鎖国状態が長かったので異性を排除する攘夷思想を
もつ本学は、下記の説明書の通りで
ございます。
最近、知名度、活躍度からもあまり二高、三高ほどメジャーじゃ
ない。

なので、いろんな生徒を集めて、おかしれぇ人材を
育ててもらいたいですな。

N時計

2021年05月28日 | 学校のこと
久しぶりに
昔もらった卒業記品らしい腕時計の電池を交換してもらった。



大学の教授を昔訪ねた時、もらいました。

1999年と書いてあります。
自分の卒業年度は1996年ですので
3年後輩です。

ベルトは数年前に換えました。
この時計、結構電池が減るのが早い。
しょっちゅう換えてる印象です。










禁じられた遊び

2020年05月22日 | 学校のこと
先日、友人の「みの」と会った。
「みの」とは小学校からの友人だ。
年に数回くらいしか会わないが、今回は仕事がらみである。
小学校の4・5・6年の3年間同じクラスだったが、同じクラスではない1・2・3年生の頃から仲が良かった。
私は、小学校は地元の小学校ではなく隣の千葉県市川市にある私学の小学校に通っていた。
なので、あちこちから生徒は通ってくる。
みのとはそんな通学路で一緒の友人であった。
西船橋、という駅がある。
JR(当時国鉄時代もあり)総武線や武蔵野線、京葉線と地下鉄の乗り換え駅だ。
人が行き交うだけの乗り換え駅。という当時の西船橋のイメージしかないが、僕とみのはその西船橋駅内が放課後の遊び場だった
僕は西船橋から地下鉄東西線に乗って帰る。みのは武蔵野線に乗って帰る。
ちょうど西船橋は別れ際の駅だ。
何をして遊ぶというか、遊びという遊びはない。
ただ駅をうろついているだけだった。改札の駅員さんがリズム良く切符を切る音を聞いて、駅員さんにやたらと定期券をみせびらかし改札を出たり入ったりしたり、ミルクスタンドのおばちゃんと話したり、おばちゃんから当時流行った「牛乳のキャップ集め」からのメンコ「キャップメン」のキャップを貰ったり、キヨスクのおばちゃんと話したり、立ち食いそばの前で架空の「飲み屋ごっこ」をしたり、ホームの端っこで、やってくる電車の車掌さんを出迎えたり、平和な日々だった。
ある土曜日の昼下がり、みのが「おれ本当に立ち食いそばでそばを食べる」と言い出した。
当時の土曜日は「半ドン」半日授業だった。
みのがとうとう憧れの立ち食いそばを食すという。
「買い食い」はご法度である。誰かに見られ、先生にそのことがバレたら、「朝の会」でクラスのみんなの前で吊し上げだ。





それでもみのの決意は固かった。
僕は早く帰って、「女の60分」やら「グラハムカーの世界の料理ショー」やらテレビを見ながら昼を食べたかった。
ドキドキしていた。
友人が遠くへ行ってしまう気がした。
少年特有のマッシュルームカットが似合うみの。エレクトーンが上手なみの、「キャプテン翼」のタイガーショットを一生懸命練習していたみの、寺尾聡の大ファンだったみの。
みのが僕から離れて大人になってしまう。ような気がした。
その時だった。
店のおばちゃんが、「あんた達、まだ早いよ」といってみのを諫めてくれた。
道を外しそうになった僕らを止めてくれた立ち食いそばのおばちゃん。
おばちゃんフォー・エバー。
すみませんと行って走り去る2人はなぜか少しホッとしていた。ような気がした。

数日後、みのと下校中に本八幡駅にあるカレーショップの前を通った。
「そのうちC &C(カレーショップの店名)でカレーを食おうぜ」
みのは大人になる事をやめないのだなと、子供ながら思った。

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