前回の続き
小学校の近所にきて、久しぶりに小学校敷地内へ足を踏み入れた僕。
いろいろと当時の思い出がこみ上げてきたが、併設する中学校・高等学校のグランドの横を通った時、ある思い出がこみ上げてきた。
今は人工芝のいいグランドになっていますが、振り返ればまだ年号は「昭和」の頃。灰色の空、土のグランド。
当時、年に2回、近所の日出小学校と野球の定期戦を行っていました。
春は日出にて、冬は昭和にて、野球やサッカー、バスケの試合を行っていたのを覚えております。
春の試合は、うまい子は5年生でもベンチ入りできましたが、基本は6年生中心のチーム。
小5の春は、小生1塁コーチ。背番号はありませんでした。そして迎えた小5の冬。
レギュラー争いに敗れた小生は控え選手。背番号12。それでもはじめてもらった背番号はうれしいもので、試合の日を指折り数える日々でありました。
ここからの詳しいスコアなどは曖昧なことをお許しください。僕の記憶の中での「だった」で話は進みます。
その日、確か1-4でリードされていたと思います。
7回裏最終回。
ノーアウトか1アウト、ランナー1塁2塁だったような。同級生の控え選手左打ちの「竹さん」が三振をして、さらに代打攻勢が続き、代打に送られたのが小生であります。
ピッチャーは右のサイドスロー。
カウントは覚えていませんが、何か無我夢中で振り切ったバットに何かの感触が残りました。
チームメイトと曰く「たまたま振ったバットにボールが当たって打球はふらふらとセカンドの頭を越えてライト前にポトリと落ちた」
らしいです。
「走れ!!走れ!!」
とチームメイトの声。とにかく1塁に走ったのですが、僕の走力は運動会で転んだ人に抜かれるほどの鈍足。今思えば「駿足」が開発されていればなぁと思う次第でございます。
1塁が遠いような気がして、次に耳に入った言葉は「滑れ!!滑れ!!」
でした。
一塁に滑り込んだけれど、審判の声が聞こえて「アウトォーーー!!」
ライトゴロでした。
確かここでゲームセット。2塁ランナーはこの間ホームに達していたので、僕がセーフならば1点追加。さらに1塁・3塁で同点の芽も出る場面だった記憶してます。
それからはよく打ったと褒められもしたが、大半は「足遅せーよ」という声。
不思議と悔しさはなく、生まれてはじめて野球の試合に出た、ということの喜びと興奮が自分の中では続いていました。
学校に戻って、チーム全員に肉まんが振舞われ、残った肉まんを「残念賞」としてもらった記憶があります。
幻のライト前ヒット。
6年生になって春の試合には7番レフトで出場しましたが、1打数0安打1四球1三振1盗塁1エラー(大量失点につながるエラー)
小学生時代の試合でヒットを放つことはありませんでした。
久しぶりに見たグランドで「走れ!!走れ!!」と声が聞こえてきた。
高校生のサッカー部が練習していた。
女子高だった中学・高等部が今は共学になっていることに時間の流れを感じ、僕は小学校を後にした。
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