週末の8日・9日は、福島・宮城へ法人会青年部で視察会に行きました。
3年前のあの日、14時46分に大地震があり、会社にいた自分は会社の無事を確認して自宅へ自転車で戻りました。
長女が幼稚園の年中組で、帰宅途中。
妻と二女で幼稚園バスが帰ってくる場所で他の父兄さんとバスを待ちました。
余震がくる中、バスが定刻にも到着せず、みんな気を揉んでいました。
災害時、園としては園に児童を待機させるということを聞いていたので、きっと園にとどまっている事も考えました。
電話も通じない中、迎えに行こうとした矢先、曲がり角から園バスがこちらへ向かってきました。
小さな歓声がわく中、子供達が帰ってきたのですが、その頃宮城では幼稚園が早く親元に返したいと判断し、園バスを走らせたことから悲惨な結果を招いてしまいました。
前から決まっていたルールと解かりながら、園を出発してしまったこと。
そして、江戸川区にももし津波がきたらとか、堤防が決壊して0m地帯に2mもの水が溢れたら・・・。と考えると他人ごととは思えません。
ただその時は、子供が帰ってきたことの安堵感しか僕にはありませんでした。
例え園にとどまっていたとしても、迎えに行く途中、もしくは帰り道、何が起こってもおかしくはありません。
防災訓練、家族内で決めた災害時のルール。
果たしてその時、しっかり守れるのでしょうか?
今回、被災地に行き、そればかり考えていました。
家族や知人を失う悲しみ、ゼロにはならないでしょうが、年に数回、毎月11日でもいい、家族内で確認しあうことが大事だと感じました。
大きなことはしなくてもいい。身近な人を守ること、それがみんなで大切な人を災害で失わず悲しまずに済む事だと感じました。
多くの人の犠牲を無駄にしないために、今日の日をまた見つめ直したいと思います。
そんな感じです。
2014年3月11日 岡本恒明
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