少年の頃、買ってもらった野球帽を被って野球をした。野球帽を被っただけなのに、なぜかうまくなったような気がした。プロ野球選手になったような気分になれた。
月日が経つにつれ、野球帽を被ることがなくなった。でも今でもついつい買ってしまう帽子。あの日の思い出よ、もう一度・・・。それがTBS・・・。 (Tuneaki Bousi Shuushuu)
第2回 日本大学フェニックスの帽子
What:大学アメフト界東日本の名門・日本大学フェニックスの帽子です。これは主に父兄の方々が観戦に被っておられました。日大の付属校あがりで、日大の名のつくところに10年間お世話になった私にとってフェニックスは強い日大の象徴であり、自分も大学生なったら甲子園へ甲子園ボウルを見に行くんだなんて憧れを持ったものでした。そんな気持ちが働いてなぜか買ってしまったのでしょう。
When:これはもう12年くらい前のものだと思います。
Where:旧川崎球場です。グッズ売り場で買いました。36代部長さんもいたと思います。甲子園ボウルの関東代表を決める試合。今で言うところの「クラッシュボウル」という名前です。対法政戦でした。結果は確か14-21でフェニックスが負けました。これ以降フェニックスは長い低迷期に入ります。
(横にはフェニックスの刺繍が施してあります)
Which:フェニックス観戦用父兄しか被れんだろう系帽子でしょう。私は人前で被ったことはありません。ハーフタイムで買って、そのままお蔵入りです。
(後ろです。PHOENIXの刺繍がまたしても)
Who:これは伝説の映画「マイフェニックス」主演:宍戸開レベル3でしょう。
How much:2000円くらいしたような気がします。買ったら販売しているおばちゃん(たぶん父兄さん)があれもこれもとサービスしてくれました。ファンブックとかカレンダーとかステッカーとか盛りだくさん。
寸評:大学卒業後、年間すごい勢いで観戦しに行った時期がありました。たいてい試合が大井の球技場で開催していたので、車で30分くらいでしたから3・4試合は観にいってました。でもその頃は、弱くなってしまっていて、昔では考えられないようなチームに負けていたり、2部との入れ替え戦にも出るくらい落ちんでいました。僕自身はアメフトは未経験でしたし、ルールもいまだかつてわかっていませんが、僕の母校というもの中に、必ずといって良いほどフェニックスがあったので、その想いが財布の紐を緩くしてしまったのでしょう。フェニックス帽についてはまだまだ続きがございますが、それはまた別の機会に。
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