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マイフェニックス そこの中坊チョコチップ買ってこいや編

2017年12月18日 | 学校のこと

2017年12月17日 日曜日
大学フットボールの日本一を決める決戦
甲子園ボウルが阪神甲子園球場で行われた。
27年ぶりの日本一を狙う日大フェニックスの
応援に土曜から大阪の地に足を踏み入れた。

その前に、私と日大フェニックスという事で
少々27年前、1990年まで時計を戻したい。

1990年、平成2年。日本がバブル景気にかげりが
みえはじめた頃。
私は高校1年生。当時付属校の高校1年生だった。
その時を最後に日大は甲子園ボウルでの勝利から
遠ざかっていく。

甲子園しかり箱根駅伝もしかり、当時付属校の
男子校にいて、悶々とした学生生活を送る私にと
って、そういった大学スポーツとは、大学生活に
おいて、男女仲間と肩を組み応援し青春を語り合う
普通で健全な学生生活を
送れる場だと想ってやまなかった。

普通で健全な・・・。
小学校を卒業して間もない岡本少年にとって
中高一貫の男子校は強烈な日々だった。
毎日が理不尽の連続であり、暴力と欲望に
飢えた思春期の男子が1800人、狭くて細長く
て茶色くて、歪んだ青春の落書きに満ちた
「下町の学習院」と称される学び舎に押し
込められていた。
国歌からお風呂の正しい入り方まで教えてもらった
6年間。

早くここを出て、自由でそしてバイトや恋愛
に大忙しの「ホイチョイムービー」的な
キャンパスライフを夢見ていた。

まあ、それも大学にあがったら中高時代と似たよう
な環境下の中で過ごすことにはなるのだが、
まだその頃の少年には思いも知らぬことではあった。

その前の年、つまり1989年、中学3年生の岡本少年は
ある映画に強制的に出会わされた。

マイフェニックス。
日本大学100周年記念に制作された、愛と勇気と
友情と山田顕義(学祖)と日大崇拝映画である。
記憶が定かではないが、とある都内の公会堂を
借りて封切前のありがたい映画を全校生徒で
出席単位と引き換えに観に行った記憶がある。
同時上映で大島紬を織る人みたいなドキュメ
ント映画だったような気がする。

フェニックスとの出会い。
私のマイフェニックス。

つづく

2ne


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