鎌倉の朝は穏やかでした
一日の始まりはやはり気持ちよくいきたいものです
と、考えているけれど
一日は始まり
そして終わる、
やはり移動した後の翌日は疲労感が残っています
一見普通のように見える
普通のように生活できる・・・ような気もするのですが
ちょっと違うような感覚
そして、いつの間にかこれが普通の日常になっている
・・・
都会(とは言わないか)と、故郷との生活の長さが
いつの間にか逆転している
しかし、時間の長さではなく記憶の重さ・・・
のようなものがあり、
その記憶に触れると何かがリセットされるような気がする
旅をするとこの以前の記憶と同時に旅するのだろう・・・
体の中に移動した記憶が残されていて、
その土地その場所で何かしら身体のどこかに触れるものがあれば
きっと遠い昔、この土地を訪れた自分の血をつないでいるものが
呼び覚まされた瞬間なのではないか・・・と
本能が生きるために組み込まれたDNAのプログラムならば
この記憶感というものは、ただ生物として生きるだけではなく
人間として生きてゆくための感覚的本能なのではないか・・・と
移動が苦にならないのは、自分は土着傾向ではなく
遊牧傾向の記憶の中に生きているのかもしれない・・・と
と、
さて、そんなことを考えながらも一日が始まります
自分はどこへ行くのだろう
一日の始まりはやはり気持ちよくいきたいものです
と、考えているけれど
一日は始まり
そして終わる、
やはり移動した後の翌日は疲労感が残っています
一見普通のように見える
普通のように生活できる・・・ような気もするのですが
ちょっと違うような感覚
そして、いつの間にかこれが普通の日常になっている
・・・
都会(とは言わないか)と、故郷との生活の長さが
いつの間にか逆転している
しかし、時間の長さではなく記憶の重さ・・・
のようなものがあり、
その記憶に触れると何かがリセットされるような気がする
旅をするとこの以前の記憶と同時に旅するのだろう・・・
体の中に移動した記憶が残されていて、
その土地その場所で何かしら身体のどこかに触れるものがあれば
きっと遠い昔、この土地を訪れた自分の血をつないでいるものが
呼び覚まされた瞬間なのではないか・・・と
本能が生きるために組み込まれたDNAのプログラムならば
この記憶感というものは、ただ生物として生きるだけではなく
人間として生きてゆくための感覚的本能なのではないか・・・と
移動が苦にならないのは、自分は土着傾向ではなく
遊牧傾向の記憶の中に生きているのかもしれない・・・と
と、
さて、そんなことを考えながらも一日が始まります
自分はどこへ行くのだろう