先日の記事に関して風爺ぃ様からコメントをいただいたのだが、そのレスで私の高校受験の話になったので、これで1本書かせていただく。
私の世代は、まだ受験戦争も大して激しくなかった。私も、別に進学校に行くつもりはなかった。確かに「大学は行っておいた方がいいかも」という漠然とした思いはあったが、上を目指してガツガツやるというのは私の性分ではなかった。マイペースで生活が送れる学校であることがまず第一の条件である。第二の条件に学力の問題が来て「あまりバカでも困るから、それなりの偏差値があること」。そして第三の条件は「共学であること」(いくらモテなくても、女っ気のない生活なんてイヤだったのだ)。この三つさえ満たしている学校なら、私は十分だった。
この条件に叶いそうな都立校があった。気の合う友人数人もそこを受けるつもりだという。しかも、自転車で通える距離だ。私は、そこの学校と、もう一つ気に入った私立校を軸にして受験するつもりでいた。
しかし、そこに親が口出しをしてきた。もっとレベルの高い高校を受けろと言うのだ。親が、自分の子供に少しでもいい学校に行ってもらいたいという気持ちは当然である。それは私だってわかっていた。しかし、親が「ここを受けろ」と言ってきた学校は、当時の私の学力をはるかに上回る超進学校だった。東京六大学の某校の付属校である。私の両親は私の学力を知っていたはずだ。しかし、そこの学校がよほど気に入ったらしく執拗に勧めてくる。
私としては、レベルが違いすぎてついて行けそうにないこと、家から遠いこと、男子校であることなど、行きたい条件を何一つクリアしていないので受けたくなかったのだが、とても聞き入れて貰えそうにない。結局、中学校での進路相談で、渋々承諾させられた。そのせいで、担任から「滑り止めのランクを一つ下げた方がいい」と言われ、行きたかった都立校を受験させてもらえず、一ランク下である別の都立校を受けさせられる羽目になった。
完全に頭に来た私は、親がノリノリで申し込んでいた某大手進学塾の冬期講習を度々すっぽかした。講習に出ても、まともに話も聞かなかった。面と向かって反抗できない小心者のささやかな抵抗である。今にして思えば「自分で申し込みに行く」と言って、そのまま授業料をパクってしまったほうが進学塾の懐が潤わずに済んで良かったかも知れない。実に悔やまれる。
すっかりやる気をなくして受験に挑んだ。当然のように某付属校には落ち、意中だった私立校(ここも実は付属校)も落ち、最初は受けるつもりのなかった都立校に受かった。合格発表を見に行き、一応進路が決まってホッとはしたが、「こんなとこ受かって当然!」という思いもあって、嬉しさは全然なかった。どこのヤツだか知らないカメラマンが写真を撮っていて「もっと笑って」みたいなことを言われて「人の気も知らないで…!」と怒りを覚えた記憶がある。
フタを開ければ、この高校が私にとっては天国のようなところで、中身が濃くて非常に楽しい三年間を送ることができたのだった。しかし、それはあくまで結果論である。高校受験のイヤな思いがあったから、大学受験に関して親には一切相談しなかった。「あそこがいいんじゃないか」「ここを受けろ」という勧め(強制?)は「ハイハイわかりました」と生返事をし、完全に黙殺した。親の気持ちはわかるが、行くのは私なのだ。だから、あくまで自分の意志を通した。
マジメな受験生ではなかった割に、自分の肌に合っている高校、大学に入れた。ラッキーなことである。もっとマジメに勉強していればもっとランクの高い学校に行けたかも知れないが、楽しい高校、大学生活を送れたかどうかはわからない。ただやみくもに高いところに行くだけが受験じゃない。自分に合った道、自分が決めた道に行くのが一番幸せなのだと思う。
おまけその1
「十年一昔(我、かくて大学に合格せり)」の記事を書いた時に、資料として代ゼミの講師紹介を見たのだが、各講師のメッセージを読んでいると、みんなもっともらしいことばっかり書いてあるんですよ、これが。「受験勉強を超えた本物の論理思考力を鍛える」とか「漢文の語法・語彙・文体を、一つの外国語として体系的に学習し、正確に読解する力を養成する」とか。予備校で得た知識やテクニックは確かに受験には役立ったけど、大学入ったらほとんど行使する機会なんてなかったぞ。漢文に至っては大学の「漢文入門」という授業で、やっと目からウロコが落ちたぐらいだし。まぁ、確かにそういうことでも書かないと生徒が集まらないからなんだろうけど「予備校で教える受験勉強と大学でやる勉強は、やっぱり別物だなぁ」というのが正直な感想である。
おまけその2
私が代ゼミ時代に古文を教わっていた、椎名守先生。大変わかりやすい授業が受験に大いに役立った。現在も人気講師なのだが、それもそのはず。彼はもう一つの名字「千明(ちぎら)」を使っていて、國學院大學栃木短期大学で助教授を務めているのだ。國學院大學で講師もしている。私がいた頃はまだ助教授じゃなかったと思うが、大学の先生が受験について教えてるんだから、そりゃわかりやすいですわな…。
私の世代は、まだ受験戦争も大して激しくなかった。私も、別に進学校に行くつもりはなかった。確かに「大学は行っておいた方がいいかも」という漠然とした思いはあったが、上を目指してガツガツやるというのは私の性分ではなかった。マイペースで生活が送れる学校であることがまず第一の条件である。第二の条件に学力の問題が来て「あまりバカでも困るから、それなりの偏差値があること」。そして第三の条件は「共学であること」(いくらモテなくても、女っ気のない生活なんてイヤだったのだ)。この三つさえ満たしている学校なら、私は十分だった。
この条件に叶いそうな都立校があった。気の合う友人数人もそこを受けるつもりだという。しかも、自転車で通える距離だ。私は、そこの学校と、もう一つ気に入った私立校を軸にして受験するつもりでいた。
しかし、そこに親が口出しをしてきた。もっとレベルの高い高校を受けろと言うのだ。親が、自分の子供に少しでもいい学校に行ってもらいたいという気持ちは当然である。それは私だってわかっていた。しかし、親が「ここを受けろ」と言ってきた学校は、当時の私の学力をはるかに上回る超進学校だった。東京六大学の某校の付属校である。私の両親は私の学力を知っていたはずだ。しかし、そこの学校がよほど気に入ったらしく執拗に勧めてくる。
私としては、レベルが違いすぎてついて行けそうにないこと、家から遠いこと、男子校であることなど、行きたい条件を何一つクリアしていないので受けたくなかったのだが、とても聞き入れて貰えそうにない。結局、中学校での進路相談で、渋々承諾させられた。そのせいで、担任から「滑り止めのランクを一つ下げた方がいい」と言われ、行きたかった都立校を受験させてもらえず、一ランク下である別の都立校を受けさせられる羽目になった。
完全に頭に来た私は、親がノリノリで申し込んでいた某大手進学塾の冬期講習を度々すっぽかした。講習に出ても、まともに話も聞かなかった。面と向かって反抗できない小心者のささやかな抵抗である。今にして思えば「自分で申し込みに行く」と言って、そのまま授業料をパクってしまったほうが進学塾の懐が潤わずに済んで良かったかも知れない。実に悔やまれる。
すっかりやる気をなくして受験に挑んだ。当然のように某付属校には落ち、意中だった私立校(ここも実は付属校)も落ち、最初は受けるつもりのなかった都立校に受かった。合格発表を見に行き、一応進路が決まってホッとはしたが、「こんなとこ受かって当然!」という思いもあって、嬉しさは全然なかった。どこのヤツだか知らないカメラマンが写真を撮っていて「もっと笑って」みたいなことを言われて「人の気も知らないで…!」と怒りを覚えた記憶がある。
フタを開ければ、この高校が私にとっては天国のようなところで、中身が濃くて非常に楽しい三年間を送ることができたのだった。しかし、それはあくまで結果論である。高校受験のイヤな思いがあったから、大学受験に関して親には一切相談しなかった。「あそこがいいんじゃないか」「ここを受けろ」という勧め(強制?)は「ハイハイわかりました」と生返事をし、完全に黙殺した。親の気持ちはわかるが、行くのは私なのだ。だから、あくまで自分の意志を通した。
マジメな受験生ではなかった割に、自分の肌に合っている高校、大学に入れた。ラッキーなことである。もっとマジメに勉強していればもっとランクの高い学校に行けたかも知れないが、楽しい高校、大学生活を送れたかどうかはわからない。ただやみくもに高いところに行くだけが受験じゃない。自分に合った道、自分が決めた道に行くのが一番幸せなのだと思う。
おまけその1
「十年一昔(我、かくて大学に合格せり)」の記事を書いた時に、資料として代ゼミの講師紹介を見たのだが、各講師のメッセージを読んでいると、みんなもっともらしいことばっかり書いてあるんですよ、これが。「受験勉強を超えた本物の論理思考力を鍛える」とか「漢文の語法・語彙・文体を、一つの外国語として体系的に学習し、正確に読解する力を養成する」とか。予備校で得た知識やテクニックは確かに受験には役立ったけど、大学入ったらほとんど行使する機会なんてなかったぞ。漢文に至っては大学の「漢文入門」という授業で、やっと目からウロコが落ちたぐらいだし。まぁ、確かにそういうことでも書かないと生徒が集まらないからなんだろうけど「予備校で教える受験勉強と大学でやる勉強は、やっぱり別物だなぁ」というのが正直な感想である。
おまけその2
私が代ゼミ時代に古文を教わっていた、椎名守先生。大変わかりやすい授業が受験に大いに役立った。現在も人気講師なのだが、それもそのはず。彼はもう一つの名字「千明(ちぎら)」を使っていて、國學院大學栃木短期大学で助教授を務めているのだ。國學院大學で講師もしている。私がいた頃はまだ助教授じゃなかったと思うが、大学の先生が受験について教えてるんだから、そりゃわかりやすいですわな…。