うえぽんの「たぬき鍋」

日々のつれづれ、野球ネタ、バカ話など、何でもありの闇鍋的世界?

君は青春に何をかける?ついでに料理には何をかける?

2005-09-20 21:07:10 | バトン
何か面白いブログのネタないかなぁ…と、適当にサーフィンしていたら、面白そうなバトン企画を発見。

「調味料バトン」

別に回されてませんが、勝手に乗ってみます(笑)。

★次のメニューにどんな調味料をかけますか?薬味は含みません。

・目玉焼き……………塩。
・納豆…………………スミマセン、納豆だめなんです…。
・冷奴…………………醤油(鎌田のだし醤油ならなおよろし)
・餃子…………………醤油(ラー油が苦手なんです)
・カレーライス………何もかけません。ただし、自由軒のカレーにはウスターソース。
・ナポリタン…………何もかけません。
・ピザ…………………普段はかけないけど、たまにタバスコ。
・生キャベツ…………中濃ソース。
・トマト………………何もかけません。
・サラダ………………ダイエーで売ってるドレッシング
・カキフライ…………中濃ソース。でもカキは一度当たったので実は苦手です。
・メンチカツ…………中濃ソース。
・コロッケ……………中濃ソース。
・天ぷら………………天つゆ、あるいは塩。
・とんかつ……………中濃ソース、あるいはとんかつソース。
・ご飯…………………何もかけないか、少量の醤油。 
(おかず無しの時)

★周囲に意外だと驚かれる、好きな組み合わせはありますか?

みそ汁のだしが少ないときは醤油を入れることがありますが…。

★それが一般的なのだとは知っているが、苦手な組み合わせはありますか?

わさびの辛さが苦手なので、刺身は純粋に醤油だけで食べます。でも最近は少しずつ克服の兆しあり。

特に回しませんので、興味のある方はぜひTBしていただくか、コメント欄でどうぞ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さらば、マリーンズのスター

2005-09-19 19:30:46 | 野球
ロッテの初芝が現役引退
(Yahoo!スポーツより)

秋のプロ野球と言えば、優勝争いや日本シリーズ、オフのドラフトやストーブリーグなど、色々と動きのある時期である。好きだった選手の引退にガックリと肩を落とすこともしばしばだが、とうとう、この人もバットを置くというニュースがやってきた。正直、大魔神佐々木の引退よりもはるかにショックである。

どういうわけか、この人に関しては1989年にプロ野球の世界に入ってきた時から心を惹かれるものがあった。プレーを全く見ていないにもかかわらずである。選手名鑑で彼の欄を見た途端に「あ、この選手は活躍するんじゃないか?」という直感が走ったのである。理由は未だにわからないが、そのころから「初芝オーラ」が出ていたということなのだろうか。まさかその6年後、私が彼の母校の系列の大学に行くことになろうとは、予想もしなかった。
果たして彼は1年目から一軍の戦力として立派に働いた。打っても守っても豪快そのもの。三振やエラーをしても、なぜか憎めない。フライが上がって初芝が捕るとスタンドから大歓声が起こったものだ。凡フライを処理して大歓声が上がるのは、初芝の他には鈴木尚典古木克明(ともに横浜)ぐらいなものだろう。
ある本で、広島の名スカウト・渡辺秀武氏が、思い出に残る選手として真っ先に彼の名を挙げた。

「高校ではレフトをやりながら大会ではピッチャーもやっていたんです。しょっちゅうケガばかりしていて、目も悪かったんでフライはすぐ落としちゃうし、こんなに(主力選手に)なるなんて思いもしませんでしたよ(笑)」

高校時代から、やっぱり「初芝さん」だったらしい。

「調査には行ってたんだけど、西武が3位で指名するというのでボクはやめたんです。でも結局西武が指名しなかったんで東芝府中に入ったんですけど、キャンプなんか行くとボクもかわいがってね…」

当時の西武といえば、黄金時代直前の時期である。もし入っていたら、彼のような守りに不安のあるタイプは西武の首脳陣には恐らく好まれなかったろう。芽が出ないまま辞めていたのではないか。そう考えると、野球選手は生きるも死ぬも入る球団次第だなぁという、恐ろしい気分になる…これは何も野球に限ったことじゃないな。

「でも、知りすぎるとかえって取れないんです。目が悪いとか知ってるから。それが打点王は獲るは、1億円プレーヤーになるわけだから、醍醐(当時のロッテスカウト・醍醐猛夫氏のこと)さんは見る目があったんですね」

広島に入っていたらどうなっていただろうか。当時の広島は、守り主体のチームだったから、やはり使いどころは限定されただろう。西武に入るよりは出番もあっただろうが、やはりロッテで正解だったのだ。指名を見送った西武も広島も正しかったし、最後まで見捨てなかった醍醐スカウトと、指名に踏み切ったロッテもえらかった。

今年のロッテは、プレーオフ次第では優勝の可能性がある。ぜひ、ぜひ、初芝を日本シリーズで見たい!最高の晴れ舞台で最後の胴上げを見たい!頑張れ初芝、頑張れロッテ!!

初芝清選手、17年間お疲れ様でした。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八幡様

2005-09-18 22:21:34 | 表へ出ろ
もうすぐ店仕舞いの時間ですが、まだまだ混んでました。
例年二日間やって、大体一日は天気悪いんですが、今年は両日とも好天に恵まれてよかったです。十五夜がやけにきれいだったなぁ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが町内の

2005-09-18 14:37:09 | 表へ出ろ
御輿であります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お祭りでポン!

2005-09-18 14:32:16 | 表へ出ろ
御輿が遠くてほとんど見えませんが、お囃子はばっちり聞こえますでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アキバヘGO!

2005-09-17 17:46:37 | 表へ出ろ
父が明日台湾に戻るので、一族で集まろうという話になりまして、その前に話の種に秋葉原のヨドバシカメラを見に行くことに。人が多すぎて、それだけで疲れました。
個人的には、秋葉原と言えば、小さい店が細々並んでいる情景なので、広々としたヨドバシはある意味「邪道」なのですが、電気街とは線路を隔てているので、別世界のようなもんだからいいか、という感じもします。

なお、お祭りリポートは、可能であれば明日お送りする予定です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋祭りだホイ!

2005-09-16 22:46:54 | 雑記
このところ、夕方以降がグッと過ごしやすくなって、もう秋だねぇとしみじみ思う今日この頃。明日と明後日は地元の八幡様の大祭だ。おそらく目黒区内の神社では一番スケールが大きいお祭りじゃないかしらん。何せ参道が長く、境内も広いので、屋台の数が半端じゃないのである。普段は静かな鎮守の森も、この時ばかりは一大イベントパークと化す。

有名人も遊びに来たりするから侮れない。数年前にはYOUが子連れで来ていたという話を聞いた。ちなみに、最近は営業で大木凡人が毎年来ている。演芸大会の司会らしい。凡ちゃんは目黒在住らしく区内での目撃例が何度かあり、友人ながの氏(やはり区内在住)も、緑が丘(自由が丘の隣町)で見たそうだ。今年も彼は八幡様の能舞台で、かつての人気番組「街かどテレビ11:00」(関東ローカル)よろしく名調子を繰り広げるのであろうか。タイミングが合えば、ぜひ見てみたいものである。

祭りが終われば、本格的な秋の到来だ。実は私、秋生まれのクセして秋があんまり好きではない。確かに過ごしやすくはなるけれど、日没が早くなってすぐ暗くなるし、そうなると何の理由もなく物悲しくなってくるのである。秋はうえぽん一族の記念日満載なのだが、イマイチ好きになりきれない。あ~あ、早く春来ないかな(気ぃ早すぎ!)。

(余談)ちなみに、記念日がどれだけあるか、早い順から列挙。
9月
A・祖父(母方)誕生日
10月
B・両親結婚記念日・祖父母(母方)結婚記念日…※偶然同日
C・祖父母(父方)結婚記念日・伯母(母の姉)結婚記念日…※これも偶然同日
D・祖母(父方)誕生日
E・祖母(父方)命日
F・私誕生日
11月
G・伯母(父の姉)誕生日
H・母誕生日

ここまで集中してるのも珍しいでしょ。しかも、CとD、EとF、GとHは1日違いなんだぞー。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青春とは何だ!

2005-09-15 20:53:34 | バトン
先輩・花菊師匠のブログで「青春の蹉跌バトン」なるものを発見。面白そうなのでやってみようか。

★人生で一番最初の挫折は?
初恋の相手だったフミちゃんが、小学校2年の時に転校しちゃったこと。幼稚園の頃からずーっと好きだったから、そりゃもうショックでショックで。しかも、転校先が北海道…!関東地方ならまだ「また会えるかも」という希望も芽生えただろうが、あまりにも遠すぎたよ北海道。今は埼玉にいるらしいが(親同士が手紙のやりとりをしていた)、元気かなぁ。

★過去に戻れるとしたら、いつ?
戻りたくありません。やり直したいことがあまりに多すぎて、やり直せる自信がないんです。どうしても戻らなければならないというなら、完全にゼロポジションから、つまり生まれるところからスタートしたい…。

★今だから謝りたい人
いっぱいいるんですが、ここでは昨日の記事(「注意一秒、ケガ一生。」)で書いた、私をはねた(と言うか、私が飛び込んでしまった)車のおじさんを代表として選びたいと思います。あの事故におじさんの責任は全くありません。迷惑かけてすみませんでした。

★今だからありがとうと言える人
これは、今まで私に関わってきた全ての方へ。中には当然「二度と顔も見たくねぇ!」というようなイヤなヤツもいましたが、それも「あんなヤツにはならないようにしよう」という反面教師になったわけですから、ある意味役に立っているわけです。もちろん、ほとんどの方には非常によくしていただき、ここまで何とかやってまいりました。皆様、どうもありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

★青春の定義とは?
いろんなバカがやれる、何でもありの特殊な時間。

バトンですが、別に回さなくていいみたいなので、興味のある方はぜひやってみて下さい。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

注意一秒、ケガ一生。(追記あり)

2005-09-14 20:51:20 | 雑記
所用があって大森まで自転車で行ったその帰り道。環七(環状七号線)をダラダラと走っていると、馬込のあたりで外回りの車線が異様に渋滞して来た。先の方でサイレンが聞こえる。何じゃどうした、事故か?野次馬根性旺盛な私は、自転車の速度を上げて、渋滞の先頭へと向かった。すると、そこには大手運送会社のトラックが止まり、救急隊員が慌ただしく動き回っていた。野次馬も大量にいる。被害者は小学校低学年ぐらいの男の子二人だった。どうやらトラックに二人まとめてはねられたらしい。一人は歩道で座り込み、救急隊員が介抱している。呆然とした表情だが、顔は血だらけだ。その視線の先はもう一人の子がいた。横断歩道上で仰向けに倒れ、救急隊員から心臓マッサージを施されていた。やはり口や鼻から血を流し、目はうつろだ。そのあとすぐ救急車が到着したところまで見届けてその場を去ったが、彼らは助かっただろうか。非常に心配である。

私も、彼らと同じぐらいの年にの頃に車にはねられたことがあるから、他人事ではない。あれは23年前、小学校1年の時の話である。私は小学校から帰った後、近所に住む友達の家に遊びに行くことになっていた。「いってきまーす!」と勢いよく家を出て5分も経たない内に、悲劇は起こった。その悲劇にはある伏線がある。当時、我々ガキどもの間ではとんでもない遊びが流行っていた。走ってくる車の前でわざと飛び出して間一髪で渡るという、今から考えたら説教どころじゃ済まされない「自殺行為」である。

そういえば、昔は走ってる車にドングリを投げつけるとか、落書きを全然知らない家のポストにばらまくとか、みんなと迷惑千万な遊びばっかりやってたなぁ、怖いもの知らずで。今はその反動ですっかり臆病者なんですけど(笑)。

それはさておき、この日もいつものように車が走ってくるのを待ちかまえ、「今だっ!」とダッシュした…次の瞬間、私はドーンと空中に跳ね上がり、地面に叩きつけられたのであった。車からおじさんが「だ、大丈夫かい!?」と慌てて飛び出し、介抱してくれた。誰かが家に知らせてくれたらしく、母が青い顔をしてやってきた。やがて救急車に乗せられて、近くの脳神経外科に搬送されたのだった。もちろん、人生初救急車体験である。この間、体はどこも痛くなかった。たぶん、神経が興奮状態にあって、痛みの感覚を忘れていたのだろう。
ここから、あまり記憶がない。覚えているのはCTスキャンの検査を受けたことと、その間に、強打したおでこが激しく痛み出して泣いたことぐらいだ。病院の名前は覚えているのだが、中がどんな感じだったかとかどんな先生だったかとか、どういう治療を受けたかとか、そのあたりの記憶はすっかり飛んでいる。やはり頭を強打していたせいだろうか。
確かに強打はしたものの、打ったのが前頭部だったため、多少おでこのつくりに歪みは生じたが(笑)、脳にはほとんどダメージを受けず、入院の必要もなくて済んだ。そしてこの後、私は貴重な体験をすることとなる。

パトカーに乗ったのである。

入院の必要がないということで、さっそく事故に関する事情聴取ということで、所轄の警察署に連れて行かれたのだ。その時の交通手段が、パトカー。普通なら、警官になるか、逆に捕まるかしなければ乗れない車である。中は普通の車と大して変わらなかったが、「そこの車、止まりなさーい!」とか叫んだりするためのマイクと、指名手配者とおぼしき人相の悪い男の写真が貼ってあったのが印象に残った。警察署では「はねたおじちゃんを死刑にする?」なんて聞かれて内心「本当はボクが悪いのに…!」と動揺した覚えがある。
結局、たんこぶ程度で助かったのだが、その後の人生に良くも悪くも少なからぬ影響を与えた事件ではあった。

まぁ、私の場合はこうしてブログのネタにできるような話で済んだからいいようなものの、もしあの時打ち所が悪かったら今頃ここにいなかったかも知れないわけで、交通事故というのは本当に、恐ろしいことである。被害者も加害者も、そしてその周りの人々までも一瞬にして不幸になってしまう。皆様も交通ルールを守って、くれぐれも私のような目には遭いませんようお気をつけ下さい。

最後に、あの子供二人が、何とか助かるよう祈っています。

※追記
つい先ほど、新聞でこの事故の記事を見ました。残念ながら、一人は亡くなられたということです(もう一人は軽傷)。恐らく心臓マッサージを受けていた子でしょう。ご冥福をお祈りいたします。助かった方の子も、体はともかく精神的に強いダメージを受けているのではないかと心配です。一日も早く元気を取り戻せますよう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TXに乗ってみよう。Part4

2005-09-13 15:50:45 | 表へ出ろ
そのまま戻るのも何なので、つくば駅からフラッとバスに乗って、土浦に出てみました。土浦に来たのは人生2回目で、前回は11年前でありました。学ランの下に赤いTシャツを着たリーゼントのヤンキー兄ちゃんを目撃し、「今時まだいたのかよ、こんなベタな格好したヤツが…!」と、感動すら覚えた記憶があります。さすがに今回はいませんでしたが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする