JR東海道本線「山科(やましな)」駅。
私が生まれてから、19歳まで住んでいた街、山科唯一のJRの駅。
比較的遠く、特に他府県へ出かける時にはほとんど必ずと言っていい程、この駅から旅立っていた。
頻繁に利用したのは、高校1年生の1学期のみ。徒歩~バス~国鉄~徒歩という通学に少々負担を感じた私は、2学期からは市バスを乗り継ぐ通学に変えている。
故にか、あまり深い思い出といったものが、浮かんでこない。
私にとってこの駅は「父の最寄り駅」という印象が強く残っている。
亡父は毎朝毎夕、この駅から勤めに通っていた。
私が子供の頃は、朝8時過ぎに玄関から外の道まで出て、手を振って見送っていたこともあった。
夕方、テレビで「ひょっこりひょうたん島」が始まる午後6時5分過ぎになると、何かで計ったようにきっちり帰宅した父だった。
40年もの間、何万回も父が乗り降りした、駅である。
一昨日56歳の誕生日を迎えた兄が、この曲を聴いて泣いたのだという。
FUNKY MONKEY BABYS「ヒーロー」 羽鳥アナウンサー出演!!
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夕方、テレビで「ひょっこりひょうたん島」が始まる午後6時5分過ぎになると、何かで計ったようにきっちり帰宅した父だった。
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