西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

祖父

2011年02月14日 15時06分00秒 | ステンショから
 世間はバレンタインデーで盛り上がっている今日であろうが、私にとっては、祖父の命日でしかない。それも今年、30回目を迎えた。


 京阪本線「香里園(こうりえん)」駅。




 駅名にある「園」という文字が示すように、その昔、ここには遊園地があったようで、現在の「ひらかたパーク」の前身的な存在であったらしいが、今ではその痕跡すらない。

 昔、ここに祖父が住んでいた。
 私にとって祖父は「祖父」であって、せいぜい「おじいさん」と呼ぶことはあっても、決して「オジイチャン」などと親しく軽々しく呼んだことは、ほとんど記憶にない。

 家庭の事情で若くして日本銀行に入り、総裁である井上準之助(後の大蔵大臣)のカバン持ちを皮切りに、叩き上げで出世。ノンキャリアでありながら、その後も金融畑で手腕を発揮し続けた。
 親族の中でも尊敬に値する、偉人ではある。

 だが一方で、祖父は家庭的な人ではなかった。
 若くして亡くなった先妻(私の実祖母)のあとに納まった後妻(私から言えば継祖母)が酷い女だった。
 母姉弟は命にも係わる程の継母いじめを受け、晩年には祖父の死を実の娘である母に知らせず、秘密裏に密葬を済ませ、家を二束三文で売り飛ばし、遺産を独り占めにして、当時ほとんど付き合いもなかったはずの九州の妹の許へと逃げる算段をしていた。

 その情報を辛うじて事前にキャッチし、何とか遺産の全額持ち逃げだけは食い止めた母であったが、その結果分け与えられたものは、実子としては到底納得のいく額ではなく、母は大いに落胆。祖父にとってもまた、散々たる最期となってしまった。

 私も母に連れられて、年に一度か二度訪問していた程度で、宿泊した経験も、私が大学受験した前後に一晩か二晩泊っただけの家。
 そんな祖父の家があった土地も、その後すぐ縁もゆかりもない赤の他人に売り渡されている。

 あれから30年。電車でこの駅を通過する度、やはり様々な思いが交錯し、親しみというものではなく、心のどこかに引っかかるものを未だに感じてしまう。


 今の私の個人的イメージとしては、成田山不動尊に参拝する以外では、残念ながら楽しい気分で利用出来ない、駅である。


 合掌。


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