西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

近鉄河内松原駅

2008年06月11日 00時03分00秒 | ステンショから
 近鉄南大阪線「河内松原(かわちまつばら)」駅。

 初めてこの駅を利用したのは、1980(昭和55)年の5月だったと思う。大学の友人の下宿する、アパートを訪ねたのがきっかけ。
 アパートはその名を「いずみ荘」といい、駅から北へ1kmばかり歩いた所。海泉池という溜池の畔にあった。

 いずみ荘には、同じ大学同じ学科で同じクラブの友人が2人。その他にも同じ大学の学生が4人住んでいた。

 私がいずみ荘を訪れて、2度目だったか3度目だったか……? 4号室にいた学生が、早々と引っ越して出ていったという。そこで友人にも勧められて、私がその4号室に入居することになる。丁度、河内長野の下宿が不便で、適当な下宿先を探していた私にとっては、渡りに舟の話であった。

 そして6月初めから、このいずみ荘4号室に入居。

 風邪で寝込んでいたら、連日先輩たちが数人でやってきて、料理を作ってくれたり、深夜までカラオケに興じたりしたこともあった。
 恋愛話で、ハッキリしない発言をした私に、友人が突然激昂。落ち込んだこともあった。数日後、私の部屋にその友人からの手紙が入っていた。友人の詫びと激励の文面に、涙が止まらなかった、などという思い出もある。
 初めて出来た彼女を招待した(連れ込んだ?)のもここ。
 何度か飲み会もしたなあ……。

 しかし、さすがはボロアパート。やがて2階からの排水が、土砂降りの雨のように漏り、私の部屋は何度も水浸し。管理人さんに直してもらったものの、日当たりの悪い部屋は、なかなか匂いが取れず。おまけに私が所属していた放送研究会の会長を、翌年度から務めなければならくなり、そういったことが引き金となって、より大学に近い富田林の喜志へ引っ越すことになったのが、その年の12月。

 松原市に住んでいたのは、結局、半年間であった。

 何年か前に、この思い出多き松原を、探索したことがる。
 駅は1993(平成5)年に橋上駅舎化され、駅前には大きな商業施設も出来ていて、昔とは随分景色も変わってしまっていた。


 勿論の如く、思い出がたくさん詰まった、あのアパートいずみ荘も、今ではその跡形も残ってはいない……。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。