西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

たまには短歌を

2008年03月17日 09時37分00秒 | 短歌
 実家に帰ると、母が私に短歌の添削をして欲しいと言う。私如き、添削など偉そうにおこがましいのではあるが、まあ年に何度かのことではあるしと、引き受けた。ついでにこの場を借りて、披露してみたいと思う。

 先日、母が大阪城公園に梅の花を見に出かけた時に詠んだ歌である。


  太閤の城美しく甦り梅ヶ香匂う平成の空


 綺麗な情景を描いた歌ではある。しかし「美しく」という形容詞の間口が広すぎて、鮮明さに欠ける。また「香」と「匂う」の意味が重複している。そして「太閤」秀吉から「平成」へと、時代の移り変わりも表したかった気持は分かるのだが、これも今一歩躍動感に乏しい。
 そこで私は、こんな風に手を入れてみた。


  太閤の城甦り輝きて梅の香戦(そよ)ぐ平成の世に


 「輝きて」という具体的な言葉によって、より情景を明確なものに。「匂う」を削り「香」に統一。「世」によって時代を表す。「梅の香」を戦がせることで、その時代や世の中の動きを表す。また「輝き」や「戦ぐ」は、字面的に見ても「太閤」秀吉に繋がる意味もある。
 
 まあ、どれもこじつけと言われればそれまでかもしれないが、三十一文字の中で、どれだけ奥深い意味を持たせていくかといった、短歌ならではの趣向を踏まえて添削したつもりである。
 「てにをは」ひとつの使い方や、漢字や仮名の使い方、あるいは言葉の登場する順序を変えることによっても、内容が随分と違ったものになる。これは短歌だけではなく、日本語全般に言えることでもあるが……。

 とは言え、これは飽くまでも私個人の考えによる添削。勿論、これが正解というものではない。違った人がまた違った添削をすると、そこにまた別の歌が出来る。それがまた短歌の……、ひいては文学文芸の、一種の魅力ではないだろうか?


 しかし御託を並べるのもほどほどにして、私自身も短歌を作らねばなぁ……。ここしばらく作ってないしなぁ……。


 もうひとつついでながら「そよぐ」を漢字で書くと「戦ぐ」になるなんて、いや知らなかった……。

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