最初に気がついたのは、その年配女性がイス三つを占領する大荷物だったことだ。
前のテーブルにはランチセットらしい食べ終わりのトレーが食い散らかしたようにあり、時折何かつぶやく。
声は思いのほか明るく軽やかだが、何を言っているかは分からない。
あまりじろじろ見るものじゃないから、気にしないようにしているのだが、どういう訳か行った時にはその並びにしか席が空いておらず、仕方なく座るものだから、どうしてもチラチラ視界に入る。
何度か見かけるうちに、どうやらホームレスかもしれないと思い始めた。
何しろの大荷物の上、書類かと思ったそれがなにやらのチラシの束だったり、コートのポケットに覗くものがごみの様なものだったりする。
盛んに用ありげにゴソゴソ動いたり、荷物の整理をしたりするが、荷物の中はスーパーの袋などが雑然として何か必要なようにも思えず、単に時間稼ぎに思えて次第に悲しくなってきた。
それでもご本人は、時折「ふふふ・・・」と笑っている。
実はこのあたりには、ホームレスの人は多い。
昼間の公園はそうした人々が所在無げに、でも常にそうである慣れた様子で座っていたりする。
JRの高架下の茂みには、きちんとダンボールがたたんで置かれている。
どうやら各自必要なものをたたんだ段ボールではさみ、紐をかけて立てかけるのがお約束のようだ。
中にはぬれないようにブルーシートで包んだものもある。
初めは不思議に思い、後に判明したのだが、これは寝床である。
それが判明したのは、土曜出社日のことだった。
市役所周辺のビルには、市庁舎だけでは収まらなかった部署が入っているビルがあり、その中のひとつがビルの1/3くらいが外部エントランスになっているところがある。(つまり出入り口が奥まっていて、車が軒下に止められるようになっている。)
当然お役所は土曜は休日で、進入禁止のロープなど張ってはあるが、そこに沢山のダンボール寝床が出来ていたのである。
いつの頃からか、ひとつの方法とした確立されたその作り方は、見ていても「なるほどなぁ」と思える作りになっている。
四方と頭部分をダンボールで囲ったようにして、人間一人分、畳縦に半畳ほどのスペースを確保し、雨風をしのぐようになっている。きっと下にもダンボールを敷いたり、上も覆うのかもしれない。
その要領の良さは、ひとつの文化かもしれないなどと思うのは、失礼なことかもしれないが。
でも生き抜くためのサバイバル術ではある。
それでも冬場ともなれば、そこで寝るのは命がけではないかと思う。
でももう一つ気がついたことがある。
暖かい日差しの昼間、公園のそこここでありったけの衣類をかぶって寝ている姿を見かけるのだ。
「ああ そうか。昼間は寝て、夜は動き回って寒さをしのぐのかもしれない。」
などと思ったりもする。
一昔ならば、こうしたことは年配男性がほとんどだった。
それも見るからに汚れきった様子のすえた臭いもすることが多かったが、最近はそれなりの身なりの人が圧倒的に多く、そばによると臭うような人はそうそういなくなった気がする。
もっとも、横浜駅の地下街のはずれ、いつも行く手芸店の途中の階段に、人通りが途絶える時間を待つようにいつもうつむいて座っている男性は、心配になるほどの様子だが・・・・・・
やがて比較的若い人も混じり始める。
そしてここ数年。時折年配女性も見かけるようになった。
女性の場合は、はやり目立つ。
大荷物で、あるだけのものを着たような姿で、化粧どころか頭をなでつけることもなく歩いている姿に、何とか寝起きする場所だけでもと願ってしまう。
それにしても、例のカフェの女性はどうなのだろうと、始めは首をひねった。
というのは、そのカフェでランチをすれば結構お高く、600円以上する。
600円出すなら、すぐ前の讃岐うどん屋さんでかけそばを頼めば、290円で十分においしく量もたっぷりの食事が出来るのに。
私は割高のカフェのランチセット(それもサンドイッチだ)など、恐ろしくて馬鹿らしくて決して頼まない。
事実、私が毎日通うのも、一杯210円のブレンドがチケットを買うと6杯分で1050円であり、それも月曜に購入するとその場で1杯おまけになるので7杯分となり、実質1杯150円で飲めるからだ。
他に安いところもあるのだが、味が良くて、なおかつ砂糖が好きなだけ使えるので、すっかりここが気に入っている。
本当は、それすら贅沢な話なのだが(^^;;
ホームレスだとしたら、こんな割高な食事をするかしらん?
自宅にいるのがさびしくて、外食しているとか?
でも思いついたことがある。
もし年金受給者だったら。
で、家がないということは家賃も光熱費も何もない。
6万近く(介護保険などは勝手に差っぴいて支給されるから)の年金が、食費や身の回りの品だけの生活費なら、一人でなんとか出来るはず。
ん?? でも住所不定で年金支給は続くのか?
高架下に札があった。
「構内で寝起き禁止」(--)
ケチな事 言いなさんな!!
冬の雨風くらいしのがせてあげなさいよ。
市庁舎の中の郵便局と銀行に、月に2回ほど開く前から人の列が出来ることがある。
顔ぶれを見ていると、なんとなく雰囲気が違う。
公園にいる感じの人たちや年配者だ。
何かの支給日なんだろうか?
大昔ならば、そうした生活をするものは、その人自身の責任だという風潮があった。
しかし今では何も個人的な資質や問題ではなく、運命に翻弄されるようにして、そうした状況にはまってしまうことも多い。
会社の倒産やリストラで、人の運命はどうにでも転がってしまう事態を垣間見たこともあるから、人事ではないのである。
そして一度入るとなかなか抜けられないのが、現実である。
特に年配者では、ホームレスでなくとも、アパートを借りることが難しい。
一度家を失うと、なかなか手に入れることが難しい現実がある。
居住する住所がある、雨風をしのげる家がある。
これがいかに大事なことか、青天の霹靂のようにある日突然そうした事態に追い込まれることが、決して人事ではないこの時代だから、身につまされてしまう。
加えて数年前TVで見た、市営住宅で年金だけで暮らす高齢女性の姿は脳裏から離れた事がない。
年金から家賃や光熱費や健康保険など必要なものを払うと、食費などほとんどなく、野草を摘んでおかずにしていた。
いまや年金だけじゃ、生活保護以下の生活しか出来ないのが現実だ。
そして恐ろしいことに、失業率が上がっている今、国民年金だけしかない人が多い。
企業も厚生年金を負担する必要がない範囲でのパートやアルバイトを雇うから、働いているからといっても将来年金だけ暮らしという人は多くなるはず。
そして、年金は確定ではなく、将来の保証はない。
制度を変えれば、いくらでもどうにでもなるのだから。
下手をすれば今暮らすのがやっとで、年金すら払えない人もいて・・・。
もっとも居住できる部屋があっても、最近は孤独死、それも餓死などということがある。
中には身内との生活の軋轢がいやで、飛び出してしまう人がいるらしいから、、そうしたことを考え始めるとなんとも暗い気持ちになる。
市役所周辺だから公的機関も企業も多いし、地裁や家裁があるから弁護士会館や弁護士事務所も多い。
そうした横浜市の心臓部ともいえる場所と背中合わせのようにして、社会の底辺の人がいる。
そのギャップに、時々ため息が出てしまうのである。
凍てつく風が吹く日には、なおのことつらさがしみる。
どうか雪など降らないで欲しい。
何とか寒さがしのげる場所があって欲しい。
早く暖かくなって欲しいと思うばかりである。
前のテーブルにはランチセットらしい食べ終わりのトレーが食い散らかしたようにあり、時折何かつぶやく。
声は思いのほか明るく軽やかだが、何を言っているかは分からない。
あまりじろじろ見るものじゃないから、気にしないようにしているのだが、どういう訳か行った時にはその並びにしか席が空いておらず、仕方なく座るものだから、どうしてもチラチラ視界に入る。
何度か見かけるうちに、どうやらホームレスかもしれないと思い始めた。
何しろの大荷物の上、書類かと思ったそれがなにやらのチラシの束だったり、コートのポケットに覗くものがごみの様なものだったりする。
盛んに用ありげにゴソゴソ動いたり、荷物の整理をしたりするが、荷物の中はスーパーの袋などが雑然として何か必要なようにも思えず、単に時間稼ぎに思えて次第に悲しくなってきた。
それでもご本人は、時折「ふふふ・・・」と笑っている。
実はこのあたりには、ホームレスの人は多い。
昼間の公園はそうした人々が所在無げに、でも常にそうである慣れた様子で座っていたりする。
JRの高架下の茂みには、きちんとダンボールがたたんで置かれている。
どうやら各自必要なものをたたんだ段ボールではさみ、紐をかけて立てかけるのがお約束のようだ。
中にはぬれないようにブルーシートで包んだものもある。
初めは不思議に思い、後に判明したのだが、これは寝床である。
それが判明したのは、土曜出社日のことだった。
市役所周辺のビルには、市庁舎だけでは収まらなかった部署が入っているビルがあり、その中のひとつがビルの1/3くらいが外部エントランスになっているところがある。(つまり出入り口が奥まっていて、車が軒下に止められるようになっている。)
当然お役所は土曜は休日で、進入禁止のロープなど張ってはあるが、そこに沢山のダンボール寝床が出来ていたのである。
いつの頃からか、ひとつの方法とした確立されたその作り方は、見ていても「なるほどなぁ」と思える作りになっている。
四方と頭部分をダンボールで囲ったようにして、人間一人分、畳縦に半畳ほどのスペースを確保し、雨風をしのぐようになっている。きっと下にもダンボールを敷いたり、上も覆うのかもしれない。
その要領の良さは、ひとつの文化かもしれないなどと思うのは、失礼なことかもしれないが。
でも生き抜くためのサバイバル術ではある。
それでも冬場ともなれば、そこで寝るのは命がけではないかと思う。
でももう一つ気がついたことがある。
暖かい日差しの昼間、公園のそこここでありったけの衣類をかぶって寝ている姿を見かけるのだ。
「ああ そうか。昼間は寝て、夜は動き回って寒さをしのぐのかもしれない。」
などと思ったりもする。
一昔ならば、こうしたことは年配男性がほとんどだった。
それも見るからに汚れきった様子のすえた臭いもすることが多かったが、最近はそれなりの身なりの人が圧倒的に多く、そばによると臭うような人はそうそういなくなった気がする。
もっとも、横浜駅の地下街のはずれ、いつも行く手芸店の途中の階段に、人通りが途絶える時間を待つようにいつもうつむいて座っている男性は、心配になるほどの様子だが・・・・・・
やがて比較的若い人も混じり始める。
そしてここ数年。時折年配女性も見かけるようになった。
女性の場合は、はやり目立つ。
大荷物で、あるだけのものを着たような姿で、化粧どころか頭をなでつけることもなく歩いている姿に、何とか寝起きする場所だけでもと願ってしまう。
それにしても、例のカフェの女性はどうなのだろうと、始めは首をひねった。
というのは、そのカフェでランチをすれば結構お高く、600円以上する。
600円出すなら、すぐ前の讃岐うどん屋さんでかけそばを頼めば、290円で十分においしく量もたっぷりの食事が出来るのに。
私は割高のカフェのランチセット(それもサンドイッチだ)など、恐ろしくて馬鹿らしくて決して頼まない。
事実、私が毎日通うのも、一杯210円のブレンドがチケットを買うと6杯分で1050円であり、それも月曜に購入するとその場で1杯おまけになるので7杯分となり、実質1杯150円で飲めるからだ。
他に安いところもあるのだが、味が良くて、なおかつ砂糖が好きなだけ使えるので、すっかりここが気に入っている。
本当は、それすら贅沢な話なのだが(^^;;
ホームレスだとしたら、こんな割高な食事をするかしらん?
自宅にいるのがさびしくて、外食しているとか?
でも思いついたことがある。
もし年金受給者だったら。
で、家がないということは家賃も光熱費も何もない。
6万近く(介護保険などは勝手に差っぴいて支給されるから)の年金が、食費や身の回りの品だけの生活費なら、一人でなんとか出来るはず。
ん?? でも住所不定で年金支給は続くのか?
高架下に札があった。
「構内で寝起き禁止」(--)
ケチな事 言いなさんな!!
冬の雨風くらいしのがせてあげなさいよ。
市庁舎の中の郵便局と銀行に、月に2回ほど開く前から人の列が出来ることがある。
顔ぶれを見ていると、なんとなく雰囲気が違う。
公園にいる感じの人たちや年配者だ。
何かの支給日なんだろうか?
大昔ならば、そうした生活をするものは、その人自身の責任だという風潮があった。
しかし今では何も個人的な資質や問題ではなく、運命に翻弄されるようにして、そうした状況にはまってしまうことも多い。
会社の倒産やリストラで、人の運命はどうにでも転がってしまう事態を垣間見たこともあるから、人事ではないのである。
そして一度入るとなかなか抜けられないのが、現実である。
特に年配者では、ホームレスでなくとも、アパートを借りることが難しい。
一度家を失うと、なかなか手に入れることが難しい現実がある。
居住する住所がある、雨風をしのげる家がある。
これがいかに大事なことか、青天の霹靂のようにある日突然そうした事態に追い込まれることが、決して人事ではないこの時代だから、身につまされてしまう。
加えて数年前TVで見た、市営住宅で年金だけで暮らす高齢女性の姿は脳裏から離れた事がない。
年金から家賃や光熱費や健康保険など必要なものを払うと、食費などほとんどなく、野草を摘んでおかずにしていた。
いまや年金だけじゃ、生活保護以下の生活しか出来ないのが現実だ。
そして恐ろしいことに、失業率が上がっている今、国民年金だけしかない人が多い。
企業も厚生年金を負担する必要がない範囲でのパートやアルバイトを雇うから、働いているからといっても将来年金だけ暮らしという人は多くなるはず。
そして、年金は確定ではなく、将来の保証はない。
制度を変えれば、いくらでもどうにでもなるのだから。
下手をすれば今暮らすのがやっとで、年金すら払えない人もいて・・・。
もっとも居住できる部屋があっても、最近は孤独死、それも餓死などということがある。
中には身内との生活の軋轢がいやで、飛び出してしまう人がいるらしいから、、そうしたことを考え始めるとなんとも暗い気持ちになる。
市役所周辺だから公的機関も企業も多いし、地裁や家裁があるから弁護士会館や弁護士事務所も多い。
そうした横浜市の心臓部ともいえる場所と背中合わせのようにして、社会の底辺の人がいる。
そのギャップに、時々ため息が出てしまうのである。
凍てつく風が吹く日には、なおのことつらさがしみる。
どうか雪など降らないで欲しい。
何とか寒さがしのげる場所があって欲しい。
早く暖かくなって欲しいと思うばかりである。