本当に久しぶりに、義姉と神奈川音楽堂で音楽を聴いてきました。
コンサートと言えばコンサートなのですが。
西行マンダラ
去年聴いて大変すばらしかったので、今年はご案内が来てすぐにチケットを取りました。
まさか こんな事(父さんの入院)になるとは思わずに。
でも、だからこそ、気持ちを整えるためには最適だったようです。
去年の経験から、中央右より中段の席を取ったのです。
一つ後は、ホール中ほどの通路。
左一席あってくだりの通路。
これが大正解。
ステージを吉野、中段の通路を熊野に見立て、それぞれにお坊様たちが並びます。
西行の生涯が7首の歌を通じて、法会の形で仏法信仰のマンダラとして演出されています。
薄暗くなったホールに、四方からほら貝の音が響き渡ります。
天台声明、真言声明、それぞれのお坊様たちの厳かな声が聞こえてきました。
願ったとおりに、両側から入ってきた一行は、一つがステージに、もう一つは真後ろに(^^)v
力強い声明が、体中を包んでしみこみ、体が鳴動する気持ちがします。
なんと気持ちが良いのでしょう。
たまった澱を洗い流すつもりで、声明の振動に心も体も開放します。
オムバサラサタン バシャ ギャラカ バラサアラタンナ マドタラン・・・
大日如来を賛美する歌が続きます。
天台声明の如来を称える声。
真言声明の出家得度式の独唱と釈迦散華を唱える声。
真言声明は、力強くリズミカルです。
天台声明は、穏やかな大きなうねりが特徴です。
それぞれのリズムで唱えられる声明が、何ともすばらしいハーモニーとなって一体化していきます。
合間に西行の歌が唱えられます。
出家
山ふかくさこそ心はかよふとも すめであはれをしらん物かは
修行
深き山に澄みける月を見ざりせば 思出もなき我身ならまし
峯の上も同じ月こそ照らすめ所柄なるあはれなるべし
月澄めば谷にぞ雲はしづむめる 峯吹はらふ風にしかれて
旅
やみはれてこころのそらにすむ月は にしの山べやちかくなるらん
山端に隠るる月をながむれば われと心の西に入るかな
入寂
ねがはくは花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月の頃
(まったく!!)
この席にして よかったぁ~♪♪
すぐそばにお坊様がいらっしゃるのです。
もう声独り占め気分(^^)
若々しく張りのある、良くコントロールの効いた、体中から発せられる声に身を任せれば、心も体もクリアになっていきます。
生の音楽の良さって、ここにあるのです。
レコードやCDでは決して再現できない音域があるのです。
そしてその音こそが、体や心に作用する気がするのです。
と言うか、その音があって初めて、その曲本来の姿が現れます。
そして何も考えずに、すべてをホールいっぱいの音に没頭する良さ。
体と空間との垣根が取り払われた時、身も心も軽くなり、本当に疲れが取れます。
ああ、またコンサートに行きたくなりました。
最近はお給料が減ったので控えていたコンサートですが、心が疲れている時には、何よりの治療です。
今から探して、年内にいいのがあるかしら?
コンサートと言えばコンサートなのですが。
西行マンダラ
去年聴いて大変すばらしかったので、今年はご案内が来てすぐにチケットを取りました。
まさか こんな事(父さんの入院)になるとは思わずに。
でも、だからこそ、気持ちを整えるためには最適だったようです。
去年の経験から、中央右より中段の席を取ったのです。
一つ後は、ホール中ほどの通路。
左一席あってくだりの通路。
これが大正解。
ステージを吉野、中段の通路を熊野に見立て、それぞれにお坊様たちが並びます。
西行の生涯が7首の歌を通じて、法会の形で仏法信仰のマンダラとして演出されています。
薄暗くなったホールに、四方からほら貝の音が響き渡ります。
天台声明、真言声明、それぞれのお坊様たちの厳かな声が聞こえてきました。
願ったとおりに、両側から入ってきた一行は、一つがステージに、もう一つは真後ろに(^^)v
力強い声明が、体中を包んでしみこみ、体が鳴動する気持ちがします。
なんと気持ちが良いのでしょう。
たまった澱を洗い流すつもりで、声明の振動に心も体も開放します。
オムバサラサタン バシャ ギャラカ バラサアラタンナ マドタラン・・・
大日如来を賛美する歌が続きます。
天台声明の如来を称える声。
真言声明の出家得度式の独唱と釈迦散華を唱える声。
真言声明は、力強くリズミカルです。
天台声明は、穏やかな大きなうねりが特徴です。
それぞれのリズムで唱えられる声明が、何ともすばらしいハーモニーとなって一体化していきます。
合間に西行の歌が唱えられます。
出家
山ふかくさこそ心はかよふとも すめであはれをしらん物かは
修行
深き山に澄みける月を見ざりせば 思出もなき我身ならまし
峯の上も同じ月こそ照らすめ所柄なるあはれなるべし
月澄めば谷にぞ雲はしづむめる 峯吹はらふ風にしかれて
旅
やみはれてこころのそらにすむ月は にしの山べやちかくなるらん
山端に隠るる月をながむれば われと心の西に入るかな
入寂
ねがはくは花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月の頃
(まったく!!)
この席にして よかったぁ~♪♪
すぐそばにお坊様がいらっしゃるのです。
もう声独り占め気分(^^)
若々しく張りのある、良くコントロールの効いた、体中から発せられる声に身を任せれば、心も体もクリアになっていきます。
生の音楽の良さって、ここにあるのです。
レコードやCDでは決して再現できない音域があるのです。
そしてその音こそが、体や心に作用する気がするのです。
と言うか、その音があって初めて、その曲本来の姿が現れます。
そして何も考えずに、すべてをホールいっぱいの音に没頭する良さ。
体と空間との垣根が取り払われた時、身も心も軽くなり、本当に疲れが取れます。
ああ、またコンサートに行きたくなりました。
最近はお給料が減ったので控えていたコンサートですが、心が疲れている時には、何よりの治療です。
今から探して、年内にいいのがあるかしら?
お坊様達の訓練されたお声は音楽堂にも
疲れておられるチーママさんにも心に響いたようですね?
どのジャンルの音楽も心も体も癒してくれるので最高の良薬です。
みなとみらいホールでアヴェマリアの曲の
コンサートがあったと思いますが、お近くでしょうか?
そういえば野いちごさんは、いつもいつも生の音に触れていらっしゃるんでしたね。
だから元気溌剌なのでしょうね(^^)
きっとご主人さまも同じですね。
お互いを大事に思いやる気持ちがうかがえて、いつもほほえましく拝見していますよ。
アヴェ・マリアは慈しみにあふれていて良いですね。
早速あれこれ覗いてみますね♪