virtual"the elf"

神戸の舞子,海岸近くのelf。'04幕を下ろし、その秋仮想空間にてゾンビのごとく甦る。マスター谷口の世界へ酔うこそ!

西国街道歩き(須磨まで)

2016-05-02 17:29:31 | 遊歩・KOBE(神戸ガイド)
頭の写真:須磨浦公園の西端にある「敦盛塚」
      源平合戦一ノ谷の戦いで熊谷真実に殺された少年、平敦盛の塚と言われてます・・

JR朝霧駅から須磨駅まで、ほぼ国道2号線を歩きました。

以前住んでいた西舞子1丁目の旧街道はチャリでたまに通るくらいなので、久々に歩くと・・
「あっ、ここの家建てなおした!」「ここの家は無くなった!」なんてローカル会話をしまいました。
知らなかったのですが、1丁目のつい近所に以前住んでいた方が参加されていたのです。

垂水~塩屋、風情あるコンクリート柵・・
柵から右は昔は海岸だったんですよ~
よって、柵のように見えますが、海岸を埋め立てたので防波堤の上部が出てるだけ。

夕方国道2号線を車で帰ると、塩屋~垂水のあいだはほんと海沿いで、
建物がなくて、夕暮れが綺麗かった印象がありますねぇ・・

須磨浦公園の西にある「境川」(界川)。
播磨国(左=西)と 摂津の国(右=東)を分ける境の川。
摂津国は大阪~須磨・鉢伏山の西の川までで"首都圏"!
川から西は山陽道・播磨国で"田舎"ですわ。

京都から遠く離れた須磨は首都圏の端っこ、首都圏の隅(すみ)。
これが"須磨"(すま)の語源とか。。

在原行平がわび住まいをした、
紫式部作の「源氏物語」で光源氏が一時住んだ、
「平家物語」の"一ノ谷の合戦"があった、
数々の歌に詠まれた・・

昔々から"須磨"はいろんなものに登場します。

江戸時代、松尾芭蕉が憧れの憧れの須磨にやってきたときには、
須磨の名所を巡り、源義経をまねて地元の少年に案内させて
一ノ谷の上の鉄拐山(鉄拐峯)にも登りました。

「かたつむり 角(つの)ふりわけよ 須磨明石」松尾芭蕉
(カタツムリさんよ こっちが須磨でこっちが明石やでと角で指示しなさいよ)

須磨駅に着いて、近くのお店でハモの天ぷらと細巻き鮨を買って、
ビールをお供に「おつかれさ~ん!」
 ハモ天、でか~い!
「かったばかり ハモ箸わけよ 君あたし」ガイド谷口
(買ったばかりのハモ天は 二人で分け分けです)

 いいお天気でした




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