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日々是好日

撮った写真や思っていることなどを気の向くままに書いています。

スリランカの旅⑥  ヌワラエリヤ

2021-01-19 07:00:00 | 海外旅行

 

キャンディから日帰りでヌワラエリヤの観光をした。

ヌワラエリヤはスリランカ最大の紅茶の産地となっている。

ヌワラエリヤとは「光溢れる街」という意味で、スリランカの高原地帯のほぼ中央にある街。

そこで茶畑と紅茶工場の見学、市内観光を予定していた。

 

この日の観光はヌワラエリヤだけだったので、ゆっくりと朝食をとり、出発も遅い時間だった。

でも山道を通ったので思ったよりも時間がかかり、着く前に少し早い昼食になってしまった。

このあたりは山岳地帯で周りは山だらけ、見どころも食事をする場所もなく、唯一「ランボダの滝」の近くにレストランがあり、ここでビュッフェ形式の昼食になった。

 

 

昼食後は滝の下まで歩いて行った。

滝は日本人にはあまり珍しくないのだが、ガイドさんやドライバーさんには珍しいのか、はしゃぎながら写真を撮っていた。

 

山の中を走り続け、目の前が開けたと思ったら一面に茶畑が広がっていた。

この辺り一帯の茶畑は「Mackwoods Labookellie」 という会社のもので、山を登ってくるときにこの会社の看板をたくさん見た。

ここで茶摘みの女性たちに混じって一緒に茶摘み体験にトライした。

大きくて長い籠を背負い、お手本どおりに「一芯二葉または一芯三葉」のみを傷つけないように摘んだ。

摘んだら後ろの籠に投げ入れ、それを延々と続ける。

遊びでやるのは楽しいが、1日中これをやっている人は大変だなぁ、というのが感想だった。

 

 

茶摘み体験の後は「ラボケリーティーセンター(Mackwoods Labookellie Tea Centre)」で工場見学。

工場内を丁寧に案内してくれ、その後はお決まりの売店での購入タイム。

それでも無理に勧める訳でもなく、工場見学も含めて全体に良い印象だった。

コーヒー派の自分にはあまり興味がなかったが、日本で買うと高価なBOP(ブロークン オレンジペコ)とやや渋みの強いBOPFなどの試飲もでき、日本の3分の1ほどの値段で買うことができたようだ。

紅茶好きな人には最高だと思う。

 

紅茶工場のあとはヌワラエリヤ市内に向かった。

ヌワラエリヤ一帯は高原地域のため、イギリス植民地時代には避暑地として栄えていた。

そのため、今でもイギリス風の建物が点在し当時の面影が残っている場所だった。

でも、特に見どころがあるわけではないようで、街並みとグレゴリー湖だけを見てすぐにキャンディに戻った。

 

 

[郵便局]

おしゃれで立派な建物だった。

 

[トゥクトゥク]

三輪タクシーで、東南アジア地方では有名な乗り物。

街の中にたくさん走っていた。

 

[ヌワラエリヤの街並み]

 

 

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スリランカの旅⑤ キャンディ

2021-01-18 07:00:00 | 海外旅行

 

シーギリヤのホテルからキャンディまでは約4時間かかった。

スリランカは小さな島国だが古代遺跡や8ヶ所もの世界遺産が点在している。

シンハラ王朝最後の都、キャンディも「聖地キャンディ」として世界遺産に登録されている。

 

王朝の象徴であった仏歯(釈迦の左の犬歯)は遷都のたびに運ばれ、現在ではキャンディの「仏歯寺」に安置されている。

この歯は王位継承の印とされていた。

スリランカにとって仏歯はなくてはならない国の宝の1つになっていて、歯が安置されている「仏歯寺」は仏教徒の聖地になっている。

 

キャンディに着いて最初に行ったのがマーケットの見学だった。

マーケットは地元の人と観光客で賑わっていた。

中庭はきれいに手入れされていて、1階には食料品、2階には衣類やお土産物などのお店が並んでいたが、お世辞にもきれいとは言えず、やはり他の東南アジアの国と同じように、臭いがきつかった。

 

 

ここのイチオシはスパイスだとか。

定番の物から珍しい物まで種類も豊富で値段も安かった。

 

買い物を終えてから仏歯寺に向かった時は夕方になっていた。

周りは薄暗くなっていたが、車窓から仏歯寺の南に広がるキャンディ湖はよく見えた。

この湖はキャンディのシンボルで、王朝最後の王であったスリー・ウィクラマ・ラジャシンハによってられた人造湖。

かつては湖に浮かぶ島には王のハーレムがあったと伝えられている。

 

[キャンディ湖]

 

 

[仏歯寺]

 

仏歯寺は真っ白な八角形をしたシンハラ建築の建物だった。

プージャと呼ばれる礼拝の時間が1日に3回あり、その時にのみ仏歯の祀られている部屋が開放されるらしい。

ガイドさんは夕方6時半の礼拝の時間に合わせてこのお寺に連れてきてくれたようだ。

でも、実際見ることができるのは仏歯が祀られている入れ物だけで、仏歯自体は見ることができない。

それなのにどの時間帯も仏歯を一目見ようとたくさんの人が訪れるということだった。

 

セキュリティチェックを受けて敷地内へ入った。

本堂の脇で靴を脱ぎ、堀を渡って中へ入ると、ゾウが通れる大きさになっているというアーチ型天井の通路があり、「ペラヘラ祭り」の様子が描かれた壁画がたくさんあった。

「ペラヘラ祭り」はアジア三大祭りのひとつとされていて、7~8月ごろ、およそ1週間にわたって仏歯を納めた容器を背に乗せ、電飾で飾られたゾウを先頭に音楽隊やダンサーなどの一団が街中を歩いてパレードするお祭り。

現在では仏歯に敬意を払うことの他に、仏歯は恵みの雨をもたらすと言われているため雨乞いの儀式を合わせているらしい。

「ペラヘラ」とは行列を意味する言葉だとか。

壁画の通路から先へ進むと、仏歯寺の中で一番古い2階建てのお堂があった。

そのお堂の2階に仏歯が祀られているので、階段を上って2階に向かうのだが、とにかく人が多い。

周りには素晴らしい彫刻や絵があるのだが、ただ押し流されているだけで、全く見ている暇もなかった。

1階に太鼓を持った人が2人現われ、太鼓とラッパの演奏が鳴り響きてプージャの時間になった。

この時、2階ではいつもは閉じられている祭壇の扉が開いた。

 

 

仏歯の入った金色の入れ物は全員がゾロゾロと歩きながらチラ見するだけだった。

一応は見たけれど、何だかなぁといった感じだった。

もしここで見られなくとも、1階の祭壇の脇に設置されたモニターでその映像を鑑賞することも可能だったらしい。

こっちの方がはっきりとしていたかも。

 

仏歯寺を出てからは近くの劇場に行き、「キャンディアンダンス」の鑑賞もした。

キャンディアンダンスは、数分程度の演目がいくつか組まれ、それぞが違った演出になっていたので、結構面白かった。

スピード感あるダンスや曲芸、アクロバットのようなもの、最後はファイヤーダンスで燃える火の上を裸足で歩くといったような演目あった。

 

[キャンディアンダンス]

 

キャンディアンダンスの鑑賞後はすぐ近くにある「クイーンズホテル」に向かった。

このホテルで2泊することになっていた。

仏歯寺の真正面にある立派なホテルで、コロニアル調の歴史あるホテルらしく、キャンディでは有名なホテルのようだった。

 

明日はヌワラエリヤに行き、再びキャンディに戻ってくる予定。

 

 

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スリランカの旅④ ポロンナルワ

2021-01-17 07:00:00 | 海外旅行

 

午前中はシーギリヤ・ロックに登り、エレファント・ライドで楽しんだ後、午後からは次の観光地の「ポロンナルワ」に向かった。

普通はシーギリヤからポロンナルワまでの移動は難しく、バスだと直行便がないからダンブッラで乗り換えなければならないし、他にはタクシーかトゥクトゥクをチャーターするしかないらしい。

そういったことを考えるとツアーってとても便利だなぁと思う。

便利なツアーバスでシーギリヤから「ボロンナルワ」に移動した。

1時間半くらいかかった。

 

「ポロンナルワ」は10世紀から12世紀にかけてシンハラ王朝の都として栄えた場所で、全盛期にはタイ、ミャンマーなどから僧が訪れるほど仏教都市として繁栄したところ。

現在ではアジア有数の大遺跡群として知られていて、ここも世界遺産に登録されている。

じっくり見ると一日では足りないほど大きな遺跡群だが、その中で主要なスポットだけ回った。

遺跡の中心はクォードラングル(Quadrangle)と呼ばれ城壁に囲まれて12の建物があった場所。
Quadrangleとは、四辺形のこと。

 

[ワタダーゲ]

クォードラングルの中でも、一番目立つ外観の遺跡。

スリランカ独特の円形の仏塔で、7世紀に造られ、中には東西南北に4体の仏陀の座像があった。

正面に見えるのが釈迦仏で、4体の中の一つ。

 

[宮殿跡]

 

宮殿は幅13m、奥行き31m、1000の部屋があったと言われている。

壁の空洞部分は焼失した床柱を通した跡。


 

 

 

 

やはりここも遺跡に入る時は裸足になった。

あまりにも広いし歩き疲れて、他の観光客も遺跡に腰掛けていた。

 

次に回ったのがポロンナルワの中でも最高傑作だと言われている、一枚岩の巨大石像の「ガル・ヴィハーラ」

ここには巨大な4体の大きな岩から作った仏像があった。

 

 

 

 

中でも一番大きな石像が全長14mもある涅槃仏。

とても岩を掘ったとは思えなかった。

この石像たちはブッダが悟りを開くまでを表したとも言われている。

 

この日の予定はこれで終わった。

この後はシーギリヤのホテルに戻るだけだった。

シーギリヤ・ロックの階段を登ったり、遺跡を歩いたりして目一杯動いたから少し疲れたので、帰りがてら「アーユルヴェーダ」を体験してみようということになり、ガイドさんにお願いしてお店に連れて行ってもらった。

アーユルヴェーダのことはよく知らず、疲れたときのオイルマッサージのつもりだった、でも違っていた。

アーユルヴェーダは世界3大医学の一つで、インド・スリランカで生まれた5000年以上の歴史を持つ世界最古の伝統医学らしく、専門の学校もあるほどで、一口で説明できないほど深いものだとか。

本当ならば1週間以上滞在して施術しなければならないらしい。

それでも観光客相手だと思うが、日帰りでも出来るというお店を紹介してもらった。

そこはホテルのすぐ近くにあり、森に囲まれた広大な敷地の中に竹と石を使用したスリランカの伝統的な建築様式のコテージのような場所だった。

そして、そのメニューはドクターのカウンセリング、シロダーラ(頭部の滴油療法)、ボディトリートメント(オイルマッサージ)、ハーブスチームが全てで90分、約1万円だった。

2人がかりで施術してくれ、その間ずっとヒーリング音楽が流れていて、気持ちよくて眠ってしまった。

自分にとっては上手なマッサージを受けたような感じだった。

でも、1日の疲れが取れたようだった。

その間ガイドさんは待っていてくれ、終わってからホテルに送ってくれた。

 

スリランカの中央部にあるアヌラーダプラ、ポロンナルワ、キャンディの三都市を結んだ三角形の内側のエリアはシーギリヤ・ロックをはじめ世界有数の遺跡群が集中する場所で「文化三角地帯」と呼ばれている。

古代からのシンハラ王朝は初めは北のアヌラーダプラに都を置いたが、インドからの侵略を受け、南下を余儀なくされた。

その後ポロンナルワへ移動し、さらに南下し、シンハラ王朝最後の都はキャンディになった。

 

翌日はこのツアーも南下して、キャンディに向かう予定になっていた。

 

 

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スリランカの旅③ シーギリヤ・ロック

2021-01-16 07:00:00 | 海外旅行

 

ホテルでブッフェの朝食後、シーギリヤ・ロックにチャレンジしに行った。

スリランカを旅行先に選んだ目的がここだったので、すごく楽しみだった。

今まで写真でしか見たことのない岩山の上の宮殿跡と一時期有名になった「シーギリヤ・レディ」を実際に見ることができるのだから。

 

 

シーギリヤ・ロックは広大なジャングルの中にそびえたつ200mの高さの岩山に造られた宮殿で、スリランカを代表する世界遺産になっている。

岩山に登る中腹には神秘的な美女たちのフレスコ画「シーギリヤ・レディ」が描かれていたり、その下にはその絵の美女たちを映し出していたと思われるミラーウォール(鏡の回廊)もある。

また、王宮のあった山頂へ登る階段の入り口には巨大な岩で出来たライオンの前足があり、王宮を守っている。

 

シーギリヤ・ロックに登った時の記事は過去に書いた。→「シーギリヤ・ロック」

 


 シーギリヤの伝説 

 

5世紀シンハラ王朝時代、身分の低い母を持つカッサパ1世は、正妻の子供であるモッガラーナに王座継承権を渡さないため、父親を殺害し王座に就いた。

復讐を恐れたカッサパ1世は王宮を岩山の頂上に造り、下の堀には周囲にはワニの大群を放った。

18年間王位に就き、そのうちの11年間をこの岩山の宮殿で隠れ住んでいた。

結局はその後、弟の王子との戦いに敗れてしまいカッサパ1世は自害し、そしてシーギリヤは陥落してしまった。

 


 

やっぱりずっと階段の登りはきつかった。

のんびり登るのではなく後ろからどんどん人が押し寄せてくるから、自分のペースで登れなかったこともある。

期待していた「シーギリヤ・レディ」もゆっくり見られなかったし、ミラーウォールも当時は光輝く壁だったらしいが、今ではその名残は感じられず、単なる壁にしか見えなかった。

 

 

それでも旅の目的は達成できたので満足した。

 

午後からは「ポロンナルワ」観光に向けて出発した。

途中、シーギリヤロックからほど近い場所で「エレファントライド」を楽しんだ。

このツアーにはゾウに乗る体験もプランに入っていた。

シーギリヤロックを遠くに望みながら、象の背中に乗り、周辺を30分ほど探索し、ゾウに餌を与えたりもした。

 

[シーギリヤ・ロックをバックにエレファントライド]

 

ゾウの名前は「ラニー」、乗せる人数が少ないときは籠なしで直接背中に乗るらしいのだが、自分たちは籠付きの「ラニー」に乗せてくれた。

人数と重量は比例しないし、年齢も年齢だから考慮してくれたのかも。

カメラを渡すと象使いのお兄さんがシーギリヤ・ロックを入れて色々な場面で写真を撮ってくれた。

これもサービスになっているらしい。

 

この後は「ポロンナルワ」を目指した。

 

 

 

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スリランカの旅② ダンブッラとアヌラーダプラ

2021-01-15 07:00:00 | 海外旅行

 

2日目は朝からシーギリヤから車で1時間ほど北西方向にあるダンブッラに向かった。

ダンブッラには岩山の頂上に「黄金寺院」がある。

このお寺は石窟寺院となっていて岩をくり抜いた天然の洞窟に仏像や極彩色の壁画がある。

そして、ここはスリランカ国内で最も保存状態が良い石窟寺院と知られていて、世界遺産にも登録されている。

 

車で走行中、前方に建物の上に大きな黄金の仏像が見えてきた。

この建物は博物館で、その上に仏像が乗っていた。

 

 

この博物館の右手にある入場券売り場で入場券を買ってから、左手にある長くてきつい階段を登っていったところに「ダンブッラの黄金寺院」があった。

この周辺には80以上もの洞窟があるらしい。

そしてそれぞれに仏像や絵画が描かれているとのことだった。

見学できるメインの洞窟は第1から第5までの洞窟に分かれていた。

中に入るときは土足厳禁で、裸足になって入らなければならなかった。

ここだけでなく、これ以降ずっとすべての寺院見学は裸足だった。

入り口から遠いところにお寺がある時などは小石のゴロゴロしている道を裸足で歩かなければならない場所もあった。

 

「黄金寺院」はこのように大きな岩を繰り抜き、建物が造られていた。

中に入ったときは女子学生の一団と一緒だった。

 

入ってすぐの右手、第1窟は「聖王の石窟」。

高さ14mの釈迦の涅槃(ねはん)像が安置されていた。

涅槃像とはお釈迦様の入滅(亡くなった)姿だとの事で、それが分かるのが左右の足の裏が微妙にずれているからだとか。

建国の王様ウィジャヤの手が真っ赤だったことにちなんで、この涅槃仏の手のひらと足の裏は真っ赤になっているらしい。

 

 

第2窟「マハラジャの石窟」。

黄金寺院で最大規模の石窟で、16体の釈迦の立像と40の釈迦の座像、涅槃像が安置されている。

壁や天井に描かれているのは、仏陀の生涯や戦争といった、スリランカの歴史をモチーフとしたフレスコ画。

 

 

この第2窟の中に天井から湧き水がしみ出て、ポタポタと滴り落ちている場所があった。

この水は聖なる水らしく、病気を治す効力があると信じられているらしい。

また、儀式を行う際に、僧がこの水を飲むと数日間飲食しなくともは過ごせるとのこと。

 

 

 

 

5ヶ所の洞窟に入ってみたが、大きさが違うだけで同じような仏像と壁画ばかりだったので、宗教心のない自分には区別がつかなかった。

正直同じような物が続いて最後の方はちょっと飽きてきた。

写真もどの洞窟のものなのかも分からなくなってしまった。

洞窟内の写真撮影は許可されていたが、仏像と一緒に撮影したり、仏像に背を向けて撮影するのは禁止だった。

 

洞窟の前の池に咲いていたスイレン。

鋸葉になっているので「熱帯性スイレン」だと思う。

仏像よりもこういったものの方が目に付いた。

 

 

午前中に「黄金寺院」の見学を終え、午後からはアヌラーダプラへ向かった。

約2時間かかった。

聖地アヌラーダプラは紀元前5世紀から紀元11世紀にかけて、スリランカの民族であるシンハラ人の王朝として繁栄した古都で、現在では「聖地アヌラーダプラ」として世界遺産に登録されている。

 

アヌラーダプラに入ってから最初に寄った場所が「イスルムニヤ精舎」

ここはアヌラーダプラの中でも古い仏教寺院で、本堂は大きな岩を彫って造られており、通称「ロック・テンプル」と言われている。

 

[仏像が納められている本堂]

 

本堂の中には涅槃仏があり、これは日本の浅草寺が援助して色の塗り替えをしたらしい。

本堂の後ろには大きな岩と最近建立されたダーガバ(仏舎利塔)があった。

そして手前には大きな池があり、この池は沐浴場となっていた。

 

 

本堂脇の岩には沐浴するゾウが掘られていた。

 

街を走っているといくつかのストゥーパ(半球状の仏塔)が見えてきた。

大きなものも小さなものもあった。

でも、このストゥーパは後回しにして先に「スリー・マハー菩提樹」に向かった。

 

 

スリー・マハー菩提樹は仏陀がその下で悟りを開いたといわれているブッダガヤの菩提樹を分けたもので、現存する最古の菩提樹らしい。

菩提樹は鉄柵で囲まれていて、ただ「大きな菩提樹」とは分かってもあまり神聖さは感じられなかった。

ここに来るまでの道には猿がたくさんいた。

塀や屋根の上、あらゆるところを走り回っていた。

トクモンキー、ハイイロオナガザルと教わったが両方とも尾の長いサルだったので、区別はつかなかった。

 

この後は先程見かけた「ルワンウェリ・サーヤ大塔」へ。

このストゥーパは大きくてこの街のシンボルになっているようだった。

大勢の信者たちが参拝していた。

やはりここもずっと手前から裸足になって歩いた。

 

 

高さは55mあり、紀元前2世紀に建設されたとのことだった。

巨大な仏塔の下には取り囲むように黒い象の彫刻があり、仏塔を守っているようだった。

 

 

 

 

 

 

大きなストゥーパと比べて小さいものもあった。

次に行ったのがやはり白い仏塔であるトゥーパーラーマ・ダーガバ」

先に見たルワンウェリ・サーヤ大塔と比べるとかなり小さめだが、アヌラーダプラ最古の仏塔で、仏陀の右鎖骨が収められているという由緒ある仏塔らしい。

参拝客もあまり見かけなかったためか、こちらの仏塔の方が良かった。

 

[トゥーパーラーマ・ダーガバ]

 

こうしてアヌラーダプラの観光も終わり、再びシーギリヤのホテルに戻った。

 

 

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