日々是好日

撮った写真や思っていることなどを気の向くままに書いています。

「信州伊那梅苑」と「光前寺」

2021-03-31 07:00:00 | 国内旅行

毎年、桜を追ってあちこち歩き回るのだが、この年は南信州の桜を回る計画を立てた。

最初に訪問したのが「信州伊那梅苑」だった。

「信州伊那梅苑」は長野県箕輪町にある民間の観光梅林。

信州の春は花々が一斉に咲く、この梅林も同じだった。

ちょうど良い時期だったのか、遅咲きの梅と共に水仙、レンギョウ、桜、桃など、植えられているものすべてが咲いていた。

広大な敷地の中には水車小屋や水場、展望台なども設けてあった。

一段高くなっている展望台から見ると、一斉に咲いている花々が霞がかかったように見え、何ともいえない感じで、正に「桃源郷」だった。

(桃源郷って見たことないけど、こんなものかなと・・・)

 

 

 

一面のピンクや白の桃や桜の中に、レンギョウの黄色がアクセントとなっていた。

 

 

 

 

行った日はあまり天気が良くなく、周りの風景がよく見えなかったが、この場所の背景は中央アルプスと南アルプスになっている。

天気が良ければこの時期は雪をいただいた3000m級の山々が借景となって、一段と梅苑が映えるのかもしれない。

 


近くにはしだれ桜で有名な「光前寺」があるので、足を伸ばしてみた。

樹齢数百年の杉並木に囲まれていて、荘厳な雰囲気の境内がしだれ桜のピンク色で明るく染められていた。

また、このお寺の参道のには光苔が自生しているので、石と石の間を覗き込むと神秘的な光を見ることができるらしいのだが、残念ながら見えなかった。

 
 
 
 
 
 

 

 

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身延山

2021-03-30 07:00:00 | 国内旅行

身延山久遠寺は山梨県身延町にあり、しだれ桜の名所として知られている。

そして日蓮宗の総本山になっている。

 

ちょうど桜の時期に「青春18切符」が発売されていた。

東日本の電車路線はほとんど乗車済みだったが、身延線だけはまだ乗ったことがなく、電車に乗るだけの目的で出かけた。

日帰りで身延線を一周するつもりだった。

ところが途中、中央本線の「勝沼ぶどう郷駅」のホームの桜の見事さに目を奪われてしまった。

本当にすごい、としか言いようのないほどの桜だったから。

そこは18切符の良いところで、すぐに下車し、次の電車が来るまでの間、しばらく桜を堪能した。

同じようにホームで花見をしていた人から、「身延山久遠寺の桜もちょうど見頃」という話を聞いて、ただ電車に乗るだけの予定だったが、久遠寺まで行ってみようという気になってしまった。

 

甲府で身延線に乗り換えて約1時間半、で身延駅に着いた。

駅前に「身延山行」のバスが待っていたので、すぐに乗り込んだ。

終点の身延山バス停は「総門」を通過したところから、もう少し先にあった。

ここまでは約15分だった。

バスを降りたところに観光案内所があり、地図やお寺の案内図などを手に入れた。

 

 

少し歩くと目の前に大きくて立派な門があり、これが「三門」だった。

 

「三門」は身延山のシンボルで、なぜ「山門」ではなく「三門」なのか。

説明によると、「三門」とは「三解脱門」の意味で、仏教の「空・無相・無願」を表わしているということだった。

「身延山」の扁額は79世日慈上人の筆によるものだとか。

パンフレットにはこの「三門」は日本三大三門の一つになっている、と書いてあった。

日本人は三大○○が好きだなぁ、などと思いながら検索してみた。

三大三門は、京都・南禅寺、京都・知恩院、山梨・久遠寺となっていた。

三門をくぐると本堂へと続く287段の石段があった。

この石段は「菩提梯」と言い、上りきれば仏教の安らぎの地へと辿りつくと言われているらしい。

 

 

階段の下に立ってみると、石段の数もそうだが、一段一段が高い、これを登るのかと気後れしてしまった。

でも、階段の右脇に「男坂」と「女坂」と書いた立て札があり、上に続いている道があった。

それぞれが境内まで行けるらしい。

きつい順に「菩提梯子」、「男坂」、「女坂」ということだったので、一番ゆるい「女坂」を選んだ。

きっと、仏教の安らぎの地には行けないかも、と思いながら。

 

(身延山ロープウェイパンフレットより)

 

選んだ「女坂」でも山道だし、きつい場所もあり、20分くらいかかってやっと「甘露門」という場所から境内に出た。

境内も広く、「甘露門」から「五重塔」まで100mくらいありそうだった。

 

本堂で参拝し、境内を歩いた。

本堂脇のしだれ桜は終わりに近づいていた。

他の桜も満開を過ぎて少し葉が出ていたが、花びらがヒラヒラと舞い散っていて、これもまた趣があって良かった。

 

[本堂]

立派で荘厳な建物だった。

本堂も、祖師堂もすべて見学できたのだが、今回はパスした。

 

[本堂脇の桜]

樹齢400年もあるらしい。

 

 

 

[五重塔]

 

 

後になって知ったのだが、車で行った場合、駐車場から五重塔脇までは無料の斜行エレベーターがあるということだった。

階段や山道が無理な人でもお参りできるのはありがたい。

 

境内を散策し、戻り道は下りだからと、「菩提梯子」にチャレンジしてみた。

下りを侮っていた。

一段一段が高いので、足が・・・

やっとのことで階段を降り、門前町のお店などのぞく気にもならず、一目散にバスに乗った。

 

 
計画を立てずに出かけて、思いがけずに素晴らしい桜を見ることができたし、念願の身延線にも途中までだったが、乗ることができて満足した。
 
ただ、自分の体力のなさも気づかせてくれた旅だった。
 
 
 
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エリカ

2021-03-29 07:00:00 | 植物

今日の散歩で見つけた花---エリカ

 

子どもの頃住んでいた海辺の町でよく見かけた花、「エリカ」

もう何年も見ていなかった。

去年1月、南アフリカの植物園で色々な種類のエリカが咲いていたのを見た。

エリカは南アフリカ原産とヨーロッパ原産のものがあり、散歩で見つけたのは「ジャノメエリカ」で、南アフリカ原産のエリカ。

花が蛇の目のように見えるからと、こう呼ばれている。

 

 

 

 


学名:Erica

別名:ヒース

科名:ツツジ科

原産地:南アフリカ、ヨーロッパ

花期:4~5月

 

 

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近江八幡

2021-03-28 07:00:00 | 国内旅行

安土城の城下町として、また近江商人の町として発展した「近江八幡」

この町には歴史的建造物が立ち並び、昔ながらの街並みが残っていて、町を歩いているだけでタイムスリップしたような懐かしい気持ちになる。

また、近江八幡は琵琶湖の東岸に位置しているため、水郷の町でもあり、「水郷めぐり」や「八幡堀めぐり」などの船が町の数ヶ所から出ている。

 

町中の観光は後回しにして、「水郷めぐり」をしてみた。

「水郷めぐり」は数社が運行しているが、「近江八幡和船観光協同組合」という会社の舟を選んだ。

琵琶湖のほとりにある「西の湖(にしのこ)」まで手こぎ舟で行くコースだった。

普段は定期便で運行しているらしいのだが、桜の時期は人気があるためか、人数が集まればすぐに出航だった。

舟には8人が乗り、船頭さんが1人、全員で9人で出発した。

葦原の水路の周りは桜、菜の花ともに満開で、船頭さんの話も面白く、情緒たっぷりにゆっくりと進んだ。

 

 

 

 

水路には水鳥が泳ぎ、舟をこぐ音と、船頭さんの声以外は静かで、ゆったりとした時間が1時間ほど続いた。

狭い水路から広々した西の湖に出た。

「西の湖(にしのこ)」は、重要文化的景観にも指定されている場所。

一面の葦が繁っていたり、時代劇撮影でよく使われるらしい橋があったりして、変化に富んだ風景だった。

ここで船頭さんから「アシ」と「ヨシ」の話を聞いた。

両方とも同じ植物で、「アシ」は「悪し」に繋がることから「ヨシ(良し)」と呼ばれるようになったとか。

 

 

出発した場所に戻ってから、今度は近江八幡の名所の「八幡堀」も、また舟に乗って巡ってみた。

ここも数ヶ所の乗り場があるらしいが、選んだ乗り場がちょっと分かりにくかった。

お店の中を突っ切って行った先が八幡堀になっていて、そこから乗った。

 

 

八幡堀は琵琶湖から繋がっていて、古くからの歴史があって、かつては近江商人が商業用の物資を運ぶための水路だったらしい。

両側に白壁の家や土蔵が立ち並んでいる情緒ある風景を眺めながら進んだ。

狭い水路を行くと時代劇に出てくるシーンのようで、この場所は数多くのドラマや映画のロケ地として使われているというのが納得できた。

 

 

 

 

 

八幡堀もどこを見ても「桜」、「桜」だった。

「八幡堀めぐり」で時代を遡った後は、町歩きをした。

昔からの面影を残しているエリアが「新町通り」で、商人たちの立派な家が建ち並ぶを通りを歩くと、当時の繁栄ぶりがよく分かった。

また、近江八幡で有名なのが「近江兄弟社」。

ここは誰でも知っているブランド“メンターム”の会社。

その会社や「メンターム資料館」などもその一角にあった。

「新町り」から八幡堀に架かる橋を渡った先には、平安時代に創建されたという「日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)」があった。

ここは近江商人の氏神様になっているらしい。

 

 

 

 

すごく立派な神社だった。

約4万4000㎡もあるという広大な敷地には楼門、拝殿、神殿などがあり、国指定の重要文化財の「安南渡海船額(あんなんとかいせんがく)」や三神の木像などもあるということだった。

 

今回の旅にはもう一つの目的があった。

それは、「たねや」の和菓子を買うこと。

「たねや」は八幡宮の隣で、町並みに合わせたような造りのお店になっていた。

花より団子というわけで、ここで桜の時期限定の和菓子を購入した。

また、向かい側には「たねや」のもう一つのお店「クラブハリエ」もあった。

こちらは近代的な造りのお店だった。

もちろんこちらでも洋菓子を購入した。

 

この日の宿は「休暇村近江八幡」にとった。

どうしてこの宿を選んだかというと、ちょうど宿泊プランに「近江牛食べ放題プラン」があったから。

「すき焼き」や「牛のにぎり寿司」などだったが、本物で上質な近江牛を好きなだけ、これほど食べたのは、かつてなかったほどだった。

宿に近江牛を専門に扱っているお店が併設されていて、そこから仕入れているらしい。

もちろん近江牛もお土産として買った。

宿自体は公共の宿で、特記することはないが、近江牛・温泉とで、十分満足した宿だった。

 

[休暇村近江八幡から見た琵琶湖]

琵琶湖の桜の開花まではもう少しだった。

 

 

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飛鳥

2021-03-27 07:40:08 | 国内旅行

奈良駅から1時間ほどの距離にある明日香村。

「明日香村」なのに、どうして「飛鳥」と書くのかをボランティアガイドが説明してくれた。

元来日本には漢字がなく、ただ「アスカ」と呼ばれていたのが、漢字の伝来後は「明日香」となり、その後地名は2文字がしっくりくるということで「飛鳥」と表記されるようになった、と。

 

この村の観光は「飛鳥駅」から始まった。

駅前でレンタサイクルを借り、一応モデルコースと言われているコースを走った。

まず最初に寄ったのが大きな石のある場所で、それぞれ「鬼のまな板」「鬼のせっちん」となっていた。

これらは古墳時代の石棺の石材らしいが、鬼の伝説をからめてあり、現在では、欽明天皇陵の石室の底石と蓋ではないかと言われている。

そのすぐそばにあったのが、「天武・持統天皇陵(檜隅大内陵)」、ちょっと長いが「ひのくまのおおうちのみささぎ」と読む。

天武・持統合葬陵となっていたので、”合葬”されていたことに驚いた。

 

当たり前だと思うが、立て看板は宮内庁となっていた。

 

そして、次に出てきたのが「亀石」

長さ3.6m、幅2m、高さ1.8mの大きな石の下に動物の顔のような彫刻がされていて亀に似ていることからそう呼ばれている。

 

 

このような歴史に触れられるものが普通にあり、古代から続いている場所だと言うことを感じさせてくれた。

 

続いて向かったのが「橘寺」

お寺の前にあった立派な桜が「左近桜」で、京都御所紫宸殿に植えられた桜に倣っているのかも。

 

 

ここは聖徳太子生誕の地と言われていて、このお寺も聖徳太子が建立したお寺の一つになっている。

現在の本堂は江戸時代に建てられ、ご本尊として「聖徳太子勝鬘経講讃像(しょうとくたいししょうまんぎょうこうさんぞう)」が祀られている。

 

 

 

「橘寺」の敷地内にある「往生院」という建物の天井には素晴らしい天井画があるらしいのだが、今回は桜を探す旅だったので、天井画も見ずに次の桜を探して先を急いだ。

 

次は「石舞台古墳」へ。

「石舞台古墳」は古墳時代後期に造られた日本最大級の古墳で、巨大な石を用いた横穴式の石室になっている。

元々は土で覆われていたらしいが、現在では土がなくなり、石室が露出している状態で、誰のお墓なのかも分かっていない。

ここに行くまでの道は狭く、町並みを過ぎて坂道を登ったところで突然、古墳が姿を現した。

大昔の人がこの数個の巨石をどのように積んだのか、不思議に思いながら内部に入ると更にスケールの大きさが分かり、同時に当時の蘇我氏の権力の大きさも実感した。

 

 

石舞台古墳を後にして、次は北に向かい、自転車で15分ほどの「飛鳥寺」を目指した。

 

 

「飛鳥寺」は蘇我馬子が建立したお寺で、本堂には日本最古の仏像である釈迦如来坐像・通称「飛鳥大仏」があり、この大仏をご本尊として祀っている。

 

 

このお寺ではご住職が案内してくれ、詳しく説明もしてくれた。

この大仏、正面から見ると、頭部だけが少し右を向いた格好になっていて、説明によると、聖徳太子生誕の地である橘寺の方向を向いているということだった。(珍しく写真撮影はOKだった)

「飛鳥大仏」は推古天皇が、聖徳太子や蘇我馬子に命じて造らせたらしく、制作者は鞍作止利(くらつくりのとり)。

そういえばそんな名前の人のこと歴史の授業で習った覚えがあったな・・・と。

 

お寺の中に展示されている、さまざまな出土品を見た後、西門から少し歩いて行くと、「五輪塔(ごりんとう)」があった。

 

 

これが「入鹿(いるか)の首塚」で、蘇我入鹿は蘇我馬子の孫で、「乙巳の変(いっしのへん)」の際、中大兄皇子と中臣鎌足によってはねられた蘇我入鹿の首が、ここまで飛んできたという伝説になっている。

周辺はのどかな田園風景が広がっている中にポツンと「首塚」があった。

蘇我入鹿の首がここまで飛んできた後、「大化の改新」があったのだなぁ、などと思いながら「首塚」にお参りした。

 

「首塚」の後は頑張って自転車をこいで、飛鳥の中心にある標高150mほどの緩やかな丘、「甘樫丘展望台」に登った。

この展望台は蘇我氏の邸宅があった場所らしいが、頂上からは明日香村、大和三山(耳成山、畝傍山、天香久山)、当時の都の跡地などが一望できた。

高い建物もなく、昔と同じ風景なのだろうなと思いながら、村を見下ろしてしばらく休んだ。

 

 

1日中走り回り、モデルコースも一通り回ったので、後は駅に向かうだけだった。

駅に着く前にもう1ヶ所だけ「高松塚古墳」に寄った。

 

 

「高松塚古墳」は昭和47年に内部から鮮やかな壁画が発見されて有名になったところ。

当時のニュースはまだ覚えている。

でも、この古墳が誰のものかはまだ分かっておらず、かなり高貴な人物とではないかとされている。

古墳自体はあまり大きなものではなかったが、形はきれいで、良く整備されていた。

内部に入ることはできなかったが、古墳西側には高松塚壁画館があって、極彩色の壁画が復元されたものを見ることができた。

 

こうして飛鳥のサイクリング観光は終わった。

桜を追っての旅だった。

桜ももちろん良かったが、古代史を改めて勉強したくなるような、実りのある旅だった。

村の中をを流れる飛鳥川や田園風景、その中にある飛鳥時代のたくさんの古墳、史跡、お寺など、万葉の世界をもっと知りたいと思うようになった。

 

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