根津教会入り口、改修工事の際はこの細い通路しか通るところがなく、解体の為の重機も入れられず手作業で行った由。
「疲れたもの、重荷を負う者はだれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
と墨書されており、クラッとなった。
八百万の神さんも良いけれど、こちらの神様も、魂の安寧を得、やがて迎える死に静かに向き合うには極めて有効な気がする。
教会のお隣に建つ四軒長屋、こまい作りの土壁の痕跡が見える、震災も空襲も共に免れているのだとしたら相当古い建物だろう。
看板には「小さなお土産や 月夜と眼鏡」 とある。 大きなてるてる坊主が怪しい、、
鍋谷牧師様自ら、説教壇に立たれお話くださった。牧師様の説教に集注し、十字架にしっかり向き合える位置として説教壇は
四角い部屋の一隅にあり、倚子はそこから半円形を描くように配置されている。メゾチスト系キリスト教会建築の特徴なのだそうだ。
大正8年当時のままのシンプルな美しさをあらわす、シャンデリア。
入り口からのバリアフリーのアプローチ
教会外壁の浅黄色になじむような心に残る色合いを心がけたというステンドグラス、
教会入り口の門扉も楠ご夫妻の手によるもの。
実に心に残る手作りのぬくもりのある作品です。
二階のライブラリー兼事務所の灯り、なんて心惹かれる造形美
二階に上がる階段はひろくて、傾斜をゆるくしてもらいウエディングセレモニーの際の
バージンロードとして活用するのだとかで牧師様の特注だとか、、
元商社マンの牧師様はお酒もタバコも猛烈に嗜むご様子で
ご自分の書斎は24時間対応の空気清浄機が稼働しているらしい
大正8年当時と修復後が比較出来る屋根裏部分を見せて下さり、色々なエピソードもお話くださった気さくな
鍋谷牧師様
二階ライブラリー兼事務所 とても機能的。壁部分を万便無く有効活用しており、
そんなに広い空間ではないはずなのにゆったり感がある。
一階テラス
牧師様の書斎。 分厚い神学書がひらかれていた。
何とも心惹かれる家屋の風情、、
かわいそうな夏の名残の簾が片ほうを北風になぶられている、このサミシサがなつかしい、、
根津とはその昔は不寝とかいたのだとか、明治半ばまでこの辺りには遊郭があり、遊女の数、何百人の繁盛振りだったのだそうだ
が東大もあり、けしからぬということで江東区の州崎に移転をしたのだとか、、
教会からほんの数分歩くと、又別の日本の神様の根津神社がある。
今から1900年昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社。
文明年間に太田道灌が社殿を奉建している。
御祭神は
須佐之男命 大山咋命 誉田別命 大国主命 菅原道真公
どんないわれのあるお家なのだろうか、かなり古い洋風建築
銅葺きのアーチ型玄関が目を引く。
12月の芸大に引きつづき、台東区の町並み探検はとても懐かしさを呼び覚ますものとなった。
大正・昭和を上手く混在させながら魅力的な街を形成している。
建物を単に保存させるだけではなく、建物と共にそこにまといつく人のあたたかさ、ぬくもり、が
あってこそのものだ。
長い年月愛され続けてきた建物だからこそまとっている精霊のようなものがそこには住みついているに違いない。
その後、谷中の「ぎゃらりー81」に伺い、二月に予定している風呂敷伝道師のパフォーマンスの打ち合わせをしてきた。