○年譜 其の弐
天保7年(1836)
4月末~ 6月一杯まで雨が降り続く。冷夏となり、夏に袷を着る。
8月29日 谷川岳、三国山に雪が降る。
9月 忠次郎、郷里に帰るが取締が厳しく、赤城山に籠もる。
大久保村の中島栄作(16)、赤城山に来て、忠次郎の子分になる。
11月 大間々を中心とした米騒動が起こる。
長雨冷害で作物できず、
力士崩れの境川の安五郎(22)、子分になる。
同 8年(1837)
2月19日 大坂町奉行所元与力大塩平八郎(1793-1837)、大坂で乱を起こす。
3月 飢饉のため穀相場が高騰する。
4月 諸国に疫病流行。将軍家斉、家茂に将軍職を譲る。
6月 忠次郎(28)、田部井村向原の磯沼の沼浚いを行うという説もある。
田部井村名主西野目宇右衛門は磯沼浚渫の費用を工面するため、 忠次郎の
博奕を黙認し、田部井村に出作地を持つ友蔵の出金に見せかけて、上がりの
17両を受け取る。
9月2日 将軍が代わり、巡検使が見回る為村方や宿場の取締が厳重になる。
この年 虎五郎(24)、江戸屋に入婿する。
冷害による凶作のため、利根・吾妻地方で多数の餓死者が出る。
同 9年(1838)
3月26日 三ツ木の文蔵、新田郡世良田村の賭場(朝日屋)で関東取締出役に逮捕され、
木崎宿の牢に留置される。同時に佐位郡八寸村の才市も捕らえられる。
忠次郎(29)は、文蔵たちを力で奪い返す計画を立て、子分多数を引き連れて
木崎宿近辺の三ツ木山に集結して隙を窺ったが、関東取締出役が農民などを動員
して厳戒体制を敷いていたため失敗する。その後、忠次郎らは旅に出る。
4月17日 御領所御巡検、伊勢崎に泊まり、国定村で御弁当を食す。
6月 幕府、農民・町人所持の金銀具を金銀座に差し出させる。
この年 関東取締出役、農村の諸営業調査を行う。
神崎の友五郎、紀州藩の手で召し捕られ、忠次郎の名を騙る。
兄弟分の清五郎、足を洗う。
同 10年(1839)
5月14日 幕政批判等により、渡辺華山・高野長英が捕らえられる。
この年勢多郡花輪村出身の戯作者二世十返舎一九、江戸から赤城山に隠れる。
忠次郎(30)、逃亡中。金毘羅宮に行く途中、岐阜で人助けをした話がある。
八寸村の才市(27)、さらし首にされる。
同 11年(1840)
1月 忠次郎(31)、逃亡中、四国の金毘羅宮を参拝したといられるが、確たる証無
4月 五目牛の千代松(31)、お徳(25)を妻にする。
6月 イギリスと清国間にアヘン戦争起こる。
6月29日三ツ木の文蔵(32)、伝馬町で斬首され3日間晒される。
9月 浪人大久保一角(42)、忠次郎の居候となる。
12月30日 平田篤胤(1776-1843)、著書発禁・江戸追放を命じられる。
神崎の友五郎(30)、さらし首にされる。
この頃 上総屋源七、木崎宿で飯売旅籠屋を始める。
12年(1841)
1月30日 11代将軍家斉(69)没。
5月15日 幕府、天保の改革を始める。
5月 関東取締出役に臨時取締出役26人が加えられる。
10月11日 渡辺華山(49)、三河国田原藩の蟄居先で自害する
暮れ 留守を守っていた山王道の民五郎(30)、利根河原で玉村の主馬になぶり殺しにされ。
主馬は子分の藤七、徳太、和蔵と四人掛かりで民五郎を三つ斬りにして、利根川に
投げ捨て、首だけを黄木綿に包んで、伊勢崎連取村の富豪多賀谷源兵衛方に行き、
生首を片に30両をゆする。源兵衛は15両出して謝る。
13年(1842)
1月 帰って来た忠次郎(33)、玉村に押しかけ、主馬を殺す。
子分の藤七、徳太も殺すが、和蔵に逃げられる。
2月26日 幕府、賭博を厳禁する。
3月11日 百々村の門次(紋次)死す。
3月15日 幕府、女師匠を禁止する。18日、隠売女を禁止する。矢場女も禁止。
6月4日 幕府、絵双紙を禁止する。
7月27日 笹川繁蔵(1819-44)の花会。忠次郎、参加する。
7月30日 幕府、役者絵を禁止する。
8月 弟の友蔵、忠次郎に40両借り、借用証文を書く。
友蔵は新田郡本町村糸繭商人仲間議定書に名を、連ねる国定村六人の
糸繭商人の一人。
8月19日 忠次郎は最大の拠点である田部井村の又八の家で、多数の人々を集めて
博奕を盛大に行う。これを知った関東取締出役の吉田左五郎は、大勢の捕手を
従えて又八の家を包囲し賭場を急襲する。この時、忠次郎と『兄弟の契り』を
していた無宿の浅次郎が姿を見せなかったので、子分と共に血路を開いて赤城山に
逃げ帰った忠次郎は、彼の行動に深い疑いを持ち、身の潔白を証明させる事にした。
浅次郎の伯父八寸村の勘助は博徒でありながら関東取締出役の道案内をしていた。
大勢の子分が捕まる。
9月13日 下植木(板割)の浅次郎、八寸村の目明し中島勘助(43)・太郎吉(2)父子を殺す。
槍で殺害、長脇差で首を掻き斬る。
忠次郎、関東取締出役より二度目の大手配となる。
直ちに、関東取締出役の中山誠一郎と富田錠之助が伊勢崎を
拠点として手配の指揮に当たる。
忠次郎、大久保一角(45)に連れられて下野都賀郡大久保村に隠れる。
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なを、旧暦の為、現在の暦とは、約三十日前後異なりますので、+30を加えて頂くと概略の日にちになります。
つづく