サンカと云う呼び名は、あくまでも外部からの呼称であり、近代(明治以降)になってから官憲用語として使われ始め、
一般でも使われるようになった様です。
しかし明治以前にもサンカと呼んでいた地方があったようで、地方により箕作り・箕直し・テンバモン・オゲ・ポン・
カワラコジキ・などと呼ばれていたようです。
自らはサンカと呼ばれることを嫌いショケンシ(世間師)・ケンシ・ヤコモンなどと称していたようです。
山窩と云う言葉のイメージには、当時の国の方針により、あまりにもネガティブ(犯罪者集団など)で差別的なものがあり、
本来は使いたくはないと思っております。
実体を現わしたものとは思えませんが、民俗学一般にて使われているので、あえて使う事に致しました。
アメリカにおいてインディアンの呼び名がネイティブアメリカンと呼ばれるようになったように、
本来は原日本人(倭人)と呼ぶべきかもしれません。
続く
>携帯のサンプル、車にアンテナだけを付けて、・・・夏車のウインドーを閉じて中で、団扇を煽いでいた方も・・・
とは、笑い話ですね。^^
電動ウインドーのように、手動でウインドーを上下させるというネタの漫才で笑いましたが、先端機器をもちたいという向上心をくすぐりますネ。
幻の民サンカは、被差別民のようでもありますね。
次は、の親分である浅草弾左衛門の話題です。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/0c8ec7d0a1e9271c9d5e3c1e1c659474
サンカは、日本の原住民と考えております。
その、過程まで遡る事が出来れば私は良いと
思いますが、兎に角時間は掛かかりますが、
出来るとこまで調べてみたいと考えています。被差別民については、現代於いては
江戸時代と異なる認識を私は持っております
昔の身分制度が現在の差別につながっているのは理解できますが、当時、とはどのように区別されていたのか分かりません。調べようとすると古文書の読み方から勉強しなければなりません。その前に、そんなことを調べてどうする?というような冷たい空気に接することになりますが。差別問題は今では触ってはいけないもののようになりつつあり、根源がウヤムヤになりつつあるように感じます。