泰蔵の転機
同じ寮生の蔑視の眼に耐え切れなくなり、福局は一年で啓沃校を退学し、一七歳で家に帰った。
つづいて福島は、奥利根の山寺に籠る。独学で十分だから、万巻の書を読み、
精神を修養し、己の進む道を考えるようにと、父泰七に諭された。
迦葉山竜華院弥勒寺という曹洞宗の寺で、当時、沼田から徒歩で何時間もかかる、
人里はなれた、当時は修行僧ぐらいしか行かぬ荒れ寺たった。群馬県の北はずれ、
利根郡上見知村(現在は沼田市)の、迦葉山頂上近くにあった。福島はこの山寺で
数え五歳から漢学の素読を自ら学んだ泰蔵には、仏教書、節書、哲学書を読み
理解することは容易い事であった。
現代の一七歳の高校生に、仏教書、節書、哲学書を理解できる人は皆無に等しい。
泰蔵は、ほかに歴史、詩文をも含めた乱読の中から人間形成、知識教養のうえで、
大きなものを学び取っていった。この山寺篭りが、人生の契機となった。
電灯がまだなかった時代で、夜は燈油が尽きるまで読み耽ったという。
福島はこの年の初夏から年明けの冬のさなかまで、半年あまりをこの山寺ですごし、
十八歳で多感な年に、山を後にした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます