小さい頃はドラッグストアらしきものは少なく、薬局(薬屋)の認識が植え付けられている。そんな事でカゼ気味になれば、「病院で注射打って安静に」なんてのが早く治す方法と思っていた。食べ物もオジヤかおかゆの消化の良いもに、精のつく生卵だとか。今でこそそんなことしないが、当時はそんな環境の中で育てられたんだと振り返る。しかしながら、大事な仕事を目の前にした5-6年前、「病院注射」をやろうとして診断してもらったところ、くも膜下出血が発覚。生まれてこのかた大病の無い私は、「これから手術します」と言われ、「どこを?」「頭」でガーン。注射射ちに来たのに、頭手術。オペは4時間ぐらいの予定が14、15時間かかった。オペ後の先生の話では、普通のタイプと違い何年前からの出血かは不明。小さい時かららしい。MIRでは見えなかったが開けてみて頭には相当の血があり除去するのに時間がかかったようだ。当時の行動パターンは、朝起きて首がだるい→カゼか→明日大事な仕事→勤務先遠距離→高速道路でかっとび→健康診断受けた病院にしよう→病院注射→オペ。3~4日間ほど自己意識は無かったと思う。自分だと気づいた瞬間、生きてたんだとわかった。2週間ぐらいで退院らしいが、記憶力のことを考えあと1週間。病院注射が体育会系ボーイの一命を救ってくれたお話です。車で送ってくれた今村君ありがとう。一緒にココスで昼飯食べたの覚えてるよ。
蜂谷くんおめでとう派遣先で久々の好青年に遭遇。(未知との遭遇?)彼はいつもデバンニング作業を好んでお仕事。髭づらだがしっかりした話し方が出来ている。聞き上手でもある。写真はかえりのバス停で携帯でカシャ!フラッシュもたかず、真っ黒け。現場は写真の様なかんじ。そんな彼が安定した仕事をGETする為、就活面接に挑み合格とのこと。不況の中、「ありがとう」や「おめでとう」と云う言葉を発する機会が少ない今日この頃。おもわずオメデトウ。その笑顔を忘れず頑張ってほしい。
正月休みなしで1/1から1/4と連ちゃんで働いたのに、その後正月明けから仕事がパッタリ。三日に一辺ぐらいの仕事しかない。というよりは大企業のあおりを受けて、下請けの現場(特に郊外)はヒマの様相を呈している。いままで人生で経験したことのない危機である。賃金の高い安いはあれど、現場はあったはず。もちろん場所そのものはあるんだけど、仕事自体が緊縮したムード。ポジティブに考えこの荒波に乗ってゆきたいと考える。
やったね、おめでとう
OBとして応援に行けませんでしたが、さきほど深夜の放送で都大会予選を観ました。俺たちの時と同じように部員数が少ないようだけど。練習では自分でスパイク打って、自分でボールを拾いに行かなくちゃならないね、ガンバッテ。
OBとして応援に行けませんでしたが、さきほど深夜の放送で都大会予選を観ました。俺たちの時と同じように部員数が少ないようだけど。練習では自分でスパイク打って、自分でボールを拾いに行かなくちゃならないね、ガンバッテ。