ほんわか亭日記

ダンスとエッセイが好きな主婦のおしゃべり横町です♪

房総のむら

2017-01-05 | 日記
2017年1月5日(木)

さて、そろそろ”仕事始め”ならぬ、”お仕事始め”。
今日は、公民館で、ダンスサークルの場所取り始めです。
最初に公民館長さんのお話があって、
「こういう場所があるのだから、みなさんもサークルの人数減とか、
いろいろあるでしょうが、頑張って、使い続けて下さい」と。
う~む、他のサークルでも、人数減からの解散とか、いろいろと問題が
起きているような新年のご挨拶でした・・。

済んでから、ダンスのお仲間と、地元の神社に初詣に行ってきました。
込み具合も適度だし、甘酒を頂きながら、みんなで引いたお御籤を広げた。
ウィステは、「吉」だったんだけれど、これが、すごいの。
「枯れ木も春に遭って、再び芽を出す」
「前途は、幸せ」
「佳き人のめぐみ、ひきたてを得る」
「財宝を車に積んでゆくべし」
・・・これで、「吉」って、「大吉」の人は、どんななんだろうね。(^^)

「あまり良くなかった」という人も「吉」で、よく読むと、
最後には、とても良くなると書いてあるよ。
この神社の神様は、とても心優しい神様ですねと、話しました。

その後、車で、「房総のむら」というところまで、足を伸ばした。
入場料は、高齢者は無料ということで、み~んな無料。
中は、江戸時代の宿場町が再現されていて、蕎麦屋、甘味屋、呉服屋、
鍛冶屋、染物屋等々、いろんなお店がある。時代劇の撮影もよくあるそう。
武家屋敷や、庄屋の屋敷などもあって、お客様は表側、家族は、裏側という
生活があったんだなあ・・と、見てきたよ。
昔は、質素で、寒そうだった。(^^;)
刀を抜いた武士たちが、ばらばらっと出てきそうな木立の先は、林で
その中に、丸く盛り上がった場所が散在していた。そう、古墳です。
「古墳は、昔のお墓だから、登ってはいけません」という表示もあった。
今の子たちには、分からないものね。
竪穴住居は、燻蒸していた。虫が多かったろうねと、話ながら、
資料館へ。
そこには、石器とか土器とか、昔、昔から、いろんな人が千葉に
住んでいた跡が展示されていた。
ウィステなんかは、土器などは、ささっと見て、埴輪のお顔には、
鼻筋が通っていて、結構イケメンとかいう感想でしたが、
絵の趣味のある人は、土器が、時代によって、薄くなっていったとか、
煮炊きに使う物は、底があるのか?(←なかったけれど)とか、
土器の作り方が、洗練されていくとか、細かく見ていた。
土器に墨で書き込みがあるのは、「当時のブランド品だね」と、笑い合った。
いや、当時は、すごい物だったんだろうね。
ナウマンゾウの骨格見本とかもあったよ。
昔から、人間だけじゃなく、動物たちも千葉までやって来たのは、
住みやすかったからなんだろうね、今も・・。(^^)

ウィステがびっくりしたのは、仏教の時代の頃。
かなり早くから、古代仏教は千葉に広められたそうで、展示には、
古代の仏像の頭のレプリカ、ものすごく大きいものがあった。
奈良のお寺のご本尊の頭部で、それが、別のお寺の床下から見つかったのだそうだ。
当時のお寺同士の抗争があったのだろうが、なんということ・・。
古代の仏教は、戦闘的だったんだな・・。

それから、奈良のお寺の梵鐘が、千葉で見つかったと展示されていたよ。
どんな事情があったのだろう?
盗まれたか、売られたか、戦乱の中、都から遠く流れて、東国へ・・
どんな物語があったのだろうと、古い梵鐘を見たりした。
でも、東国の人たちは、きっと、喜んで、大切にしたろうね・・。

階段のところには、大きなタペストリーがかかっていた。
それは、穏やかな房総の村の絵。田畑が広がり、農家が点在し、里山が
あり、段々畑もある・・、そして、下の道には、自動車。
ずっと、古代の房総の村の遺物を見て来たけれど、それらが、この現代の
房総の村に繋がっていくのだな・・。(^^)

帰るために園内の道を歩いていたら、職員の人たちが、竹を伐ったり、
小枝を束ねていたり。来週辺り、どんど焼きをするので、その準備のよう。
房総の村の伝統行事を守っているんだね。

なんか、穏やかな気持ちになる「房総のむら」で、さあ、今年を始めようと
いう気分になったわ。(^^)











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