「渡部のラジオ 復帰せず終了」
渡部さんは謝罪会見はせぇへんのぅ?
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麻雀をやった。2020年1回目。メンツは山篠高村。三密に気を付けながらマスクを装着のもとやりましたとさ。
結果は+98。いやぁ危なかった。じゃあ最後の半荘ねと言って始めた結果、-150くらいだったのだが、高がもう半荘やりましょうと言ったので、本当の半荘をやったところ、なんと俺様、4巡目で四暗刻を聴牌。そして自摸上がる強運。結果+98になりましたとさ。
なんか久しぶりなのかなんだか知らないけど、好配牌の度がすごかった。山はダブリーでタンピンイーペー三色ドラドラ的な上がりを見せるし、俺も配牌でほぼ混一色できてるじゃん的な的な。
やっぱ麻雀は楽しい。今年はあと何回できるかな。
成人してしばらくたってから、急にそのことを思い出した。すぐにネットで調べたが情報はヒットしなかった。なんせインストゥルメンタルなので歌詞がないし、曲名も知らないのだ。手がかりがない。鼻歌をもとに曲名を検索できるアプリに頼ったこともあるが、ダメだった。そこからの20年くらい、時々思い出しては検索して、ダメでを繰り返していたのだが、先日とうとう見つかった。
ブラームス作曲の「ハンガリー舞曲第5番」とリムスキー・コルサコフ作曲の交響組曲「シェエラザード」
「AIWA」と「demotape」をキーワードに画像検索をしたら、見覚えがあるデモテープがヒットした。画像を拡大表示して見えた曲名に見覚えはなかったのだが、Youtubeで検索して流れた「ハンガリー舞曲第5番」は知っている曲だった。デモテープの曲はオリジナルをアレンジしたものだったが、聞いたことがあるフレーズに「これだ!」と思った。だがそれはすぐに疑念に変わった。「これだ!」と思ったのがデモテープで聞いたことがあるからなのか、有名な曲なので誤認したのかどっちだ?と。
もうひとつのリムスキー・コルサコフ作曲の交響組曲「シェエラザード」もYoutubeで検索したのだが、これがまったく聞き覚えがない。しかもアンキャッチーな曲なので、聞いているのがつらい。だが別作業をしながらBGM代わりに聞いていると、たしかに聞いたことがあるフレーズが一瞬流れ、疑念は払拭され確信へと変わった。「あーあれなんだっけ、もうそこまで出かかってるんだけど、思い出せない~」のロングロングバージョンが解消された。
ここまでくる間に一度はつぶれたAIWAブランドが復活。そのタイミングでAIWAの広報に連絡して、ダメもとで調べてもらったのだが、これが調べる以前にポンコツ広報でムキーっとなったりしてからの解消だったのもうれしい。
ただ正直、ここまでが半分だと思っている。次は実際にその曲をもう一度聞いてみたい。現状ではネットで検索しても見つからない。ヤフオクなどでAIWAのデモテープを探してみても見つからない。これを探すのはこれからの20年でケリがつくのだろうか。20年後、俺は70歳前なのだが。もう死にそう。
不安を感じるのは、黒沢本人のコメントが出てこないところ。志村けん同様に。
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新型コロナウイルスがテレビからのニュースではなく身近に忍び寄ってきている。
いま会社ではもしコロナウイルスに誰かが罹患したら…という想定のもと、それでも業務が継続できるように。同一業務をしている人たちの座席を物理的に離したり、停止しても大丈夫な業務は何か?などの切り分けをしている。というかその作業は終わり、それで仕事をしている。可能な人はテレワークでの作業もしている。
そんな中、先週の頭に罹患した可能性がある人が発生。熱が何日間か続いた上に、肺に影があるのを確認されたらしい。この時期に肺に影ってもうダメよ。俺的にはその人がどこの誰なのかは知らないし、同一ビル内に勤務はしているものの、フロア階が違うから感染リスクは少ないと思っていたのだが、なんか数日前にトラブルがあったらしく、その人は俺のフロア階に降りてきて会議をしたりしていたらしい。
そのためその人と会議をしていた部長は濃厚接触の可能性ありとして、自宅に待機。俺のフロアに来ていたなら、エレベータや会議のドアノブ、トイレなんかも共有していたのかもなと多少の不安を感じていたのだが、結局陰性になり事なきを得た。だがそういった話は一方からだけではなく、親戚の叔父の勤め先で罹患者が出たらしい。
FBなんかはリアルに付き合いがある人としか繋がっていないのだが、コロナウイルス関係で刺々しい発言が目に付いたりして、気が滅入ったりする。
今日は海外における食糧輸出制限なんかの話題をネットで目にしたけど、このまま日本が首都閉鎖なんかを免れたとしても、生活への影響が出続けるのだろうなぁと危惧している。
とりあえず俺のスタンスとしては、今までと変わらず、正しくコロナウイルスを怖がっていければと思う。
海老名のSAで大量にマスクを買っている中国人がいた。なぜ海老名SAで?と思った。
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無料で日帰りの修善寺バスツアーに行ってきた。なぜ無料なのか? ホームセンターの何かの企画に応募したらしく、1等賞の修善寺バスツアー1名様に当たったから。そのバスツアーがなかなか怪しかった。
そもそも参加前に郵送された旅行の日程を見ると宝石ショップに90分参加と書かれていた。はぁ?修善寺には行きたいけど、なんで宝石ショップに? しかも90分も。こりゃなにか売りつけられるパターンじゃね?と思ったが、興味本位でバスツアーに参加。んで、やっぱり怪しかった。そもそもなにかの企画に応募して当選したのに、参加者のほとんどが中年女性という偏り。おひとり様での参加は俺だけ。数名男性がいたが、中年女性に付き添った旦那さんと思われる。無作為の抽選ならこんな結果にはならないよね。
ツアーの最初に連れてこられたのは宝石ショップ。入店するとまずは職人の作業工房を見せられる。5分ほど。そしてすぐに別部屋を通される。ここからが怪しいゾーン。やけにハキハキしゃべるオバタンが宝石に関して説明をおっぱじめ。「これからクイズを出しますよ~。1月の誕生石はなんですか? はい、あなた。はい正解です。じゃあこれ上げます。おめでとうございます」的なやり取りが始まった。
この手の胡散臭いのは久しぶり。どんな御託を並べるのだろう。優れた話術でも飛び出すだろうか?と5分ほど興味を持って聞こうとしたのだが、一部の参加者(サクラ?)が手を挙げてクイズに答えて商品をゲットしようとする場の雰囲気が気持ちが悪いので、早々にトイレに行くふりをして退散。そのトイレがかなり怪しかった。建物の構造的に女性の個室トイレが廊下から丸見えの作りになっていたのだが、個室が10ほど並んでいた。にもかかわらず、男性の個室トイレは1つ。この建物は女性が大量にやってくることを前提に建てられているのだ。恐ろしい。
30分ほどすると怪しい説明会が終わったので、トイレから出て団体と合流して2階へ。するとそこは宝石売り場だった。ここが本丸。売り場に入ると女性店員が声をあげた。「どんどん身に着けてみてください。これはチャンスです。お似合いでしたら購入いただくことも可能ですよ!」的なことを。売り場には、日本ジュエリーベストドレッサー賞受賞者のサインとともに、宝石を提供してくれてありがとう的な感謝状が展示されていた。誰でも知っているような人のサインがいくつも。
あの手の賞って業界全体を盛り上げようという趣旨もあるのだろうけど、受賞者たちが間接的な広告塔になってしまうのだろうなと思った。怪しい説明会を聞いた後に、誰でも知っている芸能人からの感謝状を見たら「この会社は信用しても大丈夫そうね。何か買っちゃおうかしら」と思う人もいるだろう。事実33万円のネックレスを購入している夫婦がいた。夫婦がサクラであると思いたいが、もしガチだとしても、こういう人がいるから俺が無料でバスツアーに参加できるんだな。
個人的にはまったくもって怪しいぜ。ぷんすか。しかも宝石ショップに滞在中の90分間はバスに戻ることが許されない。その時間はバスがどこかに行ってしまうという徹底ぶり。もちろん、こりゃ怪しいぜ!と思っている別客もいるのだが、ある客は店員にこのツアーはなんなんだ?と聞いていた。俺的には店員の回答が意外だった。てっきり自分たちの宝石ショップは信用できるから!大丈夫だから!と、ごまかしまやかしの類を言うのかと思ったら、
「うちの会社は店にふらっと立ち寄る個人の方は対象にしていないんですよ。バスをチャーターしてお買い求めいただけそうなお客様をターゲットにしているんですよ」的なことを言っていた。このやり方が自分たちのビジネススタイルであって、別に怪しくはないんですよというスタンスのようだ。たしかにツアーに参加すると強制的にお土産屋さんに連れていかれる。そこで買うか買わないかはお客さんが決めること。それが33万円の宝石であっても、決めるのはお客さん。というビジネススタイル。そう聞くと、そんなビジネススタイルがあっても良いかもねと思ったりしたが、それならツアーの当選を隠れ蓑にして旅行とは関係がない宝石ショップに行かせるなよとも思った。
ただまぁ怪しいのは宝石ショップだけで、その後にはちゃんと修善寺には連れて行ってもらえたし(60分だけだけど)、ちゃんとした昼食も食べることができた。ただやっぱこのバスツアーを怪しく思う人は俺だけではなくて、ネットで調べるとツアー憤慨ブログなどが容易に見つかる。今回俺はほぼ無料で参加できたから良いが、当選者に同伴した旦那さん方は数千円を取られているはずである。その人たちは「なんで金を払って宝石ショップに行かないといけないんだ!」と思っていたことだろう。
「「正解は一年後」の年末放送を見据えての復帰だよね?
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今日は父の四十九日だった。思うに葬式に参列することはしばしばあっても、四十九日はそんなにない。そんな状態での喪主はそれなりに手こずったが、一応父親に関する大きなイベントはこれで終わったので、スッキリした気持ちが大きい。あとは家の中のことを片付けなくては。まだ数か月かかるのだろうな。
応援している。
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2019年を振り返る。
1.副業で売り上げ100万円を目指したい。
→はて? 5万円いったかどうか…。
2.アンドロイドアプリをつくりたい。
→作れそうな所までは来たけど、なんか折れてしまった。
3.豪華客船に乗りたい。
→なんじゃそら。
4.小説を一本書く。
→なんじゃそら。
2020年の目標
1.アンドロイドアプリをつくりたい。
→まぁいつものこと。
2.小説を一本書く。
→まぁいつものこと。
やりたいことはあるのだが、子供が小さいとなかなか時間が取れなくて…。
なんかヤラセくせぇ。
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今年を振り返る。
6位…平成が終わり令和が始まった。
昭和が終わった時と比べると、どうということもなく。結局平成とはどういう時代だったのだろうか。テクノロジーが進化した時代だったのかな。それは令和で加速する。
5位…iPhoneが使えなくなった。
パスコードを忘れてiPhoneロックからの初期化しいののデータ全部吹っ飛び。すごい困るということはなく、なくてもへっちゃらというわけでもなく。
4位…死をテーマにしたトークイベントに参加
死に関する話を聞いているのは楽しい。色々と考える機会にもなる。
3位…台風による避難
大きな台風が来たので近くの中学校に避難をした。災害による避難を初体験。毛布は貸してもらえるけど、食事が出ないというのが分かった。
2位…子供たちの成長
3年生の長男とは普通に会話が成立するようになってきた。2歳の長女と意思疎通が取れるようになってきたけど、おしめがまだ取れない。
1位…父の死
精神的な支えがなくなった感じ。
こんなものかな。印象深い出来事が10個も上げられない。芸能ネタで覚えているのは吉本の闇営業問題くらいかな。
2019年12月1日に父が癌で亡くなった。思ったことを記しておく。
・完治したと思っていた父の膀胱癌が、肝臓に転移していると医者から告げられたのは2019年の夏のことだった。肝臓の癌はそれほど大きくないと医者は説明したが、ステージに関して尋ねるとマックスである4と言われた。転移が認められた時点でステージは4になるらしい。父の年齢や癌に罹患した部位のことを考えると、抗癌剤による治療しかないと医者は言った。母は抗癌剤での癌治療を試みたが、結局ダメだった。だからこの時点で、父はもうダメなのだろうなと思った。我が家の家系は癌に罹患して命を落としていった人たちが多い。恐らく自分も癌になるだろう。事実、数年前に癌の卵のような細胞が大腸から見つかっており摘出している。父が抗癌剤で治らないのであれば、自分はもう抗癌剤には頼らない。その見極めをしようと思った。
・抗癌剤治療以外に、放射線などによる治療はできないのかと医者に尋ねたが、それはできないと言われた。理由はあまり覚えていないが「肝臓だから…」というのが理由だったかと思う。その他の治療法がないというのが正しいとした場合、自分たちは抗癌剤を使わないという選択もできた。天秤にかけられた抗癌剤を使うor使わないの選択。結局のところ、どちらの方が長生きできるのか?の賭けに出ることになる。父は抗癌剤を起因とする肺炎で命を落とした。もし抗癌剤を使っていなかったら、いまもまだ生きていたのだろうか。この「たられば」が、決断を迫られたあの日から今日まで思案している。この答えを知るには、自分が癌に罹患した時に、抗癌剤を使わないという選択をするしかないのだろう。
・父がステージ4の癌になったと聞いて、良かったと思える部分もある。人の死は避けられない。大切な誰かの死が交通事故などで突然やってくるよりは、癌に罹患してゆっくりとその日が訪れるのを待つ方が心の準備ができる分、その人と会話をする時間をとれる分、良いのではないかと思う。じゃあ自分が父と満足いくほど会話をしたのかというと否ではある。自分と父は日常的に会話をするような間柄ではなかった。子供の時などほとんど会話をした記憶がない。父に対して知っていることは僅かだから、死の日が近づいてきても聞きたいことが思いつかなかった。それに関して悔やむ気持ちは特にないのだが、そういう関係性しか築けなかったことに関して寂しさを感じる。
・父がそろそろかもしれないという時、病院から4人部屋から1人部屋に変更する提案があった。最後は家族で過ごせるようにという病院からの配慮だ(と思いたい)。しかし俺の頭には病室代のことが頭をよぎった。これはひどく冷たい考えなのだろうか? それとも人間なら誰しも考えてしまうことなのだろうか? 昔見た小津安二郎監督の「東京物語」で、重い病気を患った遠方に住む親を見舞いに行く娘が、喪服を一緒に持っていくべきか悩むシーンがあった。映画の中ではひどく冷たい娘であると描かれていたが、なんだ俺も一緒なのか、いいや映画のケースとは違う、じゃあその線引きはどこなのだろう。そんなことを考えた。
・浄土真宗大谷派。丸に隅立て四つ目。それが我が家の宗派であり家紋であり。こんなことを知らなくても葬儀は執り行われる。浄土真宗大谷派ではお焼香を2度指でつまんでから合掌をする。つまんだ焼香は額には持っていかない。つまんで置くだけ。これは葬式前に葬儀社の人に聞いたので正しい作法だと思う。しかしこのやり方をしている親族はほとんどいなかった。結局、その程度のものなのだろう。この作法だって故人と自身のどちらの宗派にあわせるのかわからない。故人にあわせるなら参列者は事前に個人の宗派を調べる必要が出てきてしまうし、自身の宗派で良いなら、極端な話、なんでもいいということになってしまう。結局、その程度のものなのだろう。
・昨晩、葬儀社の人が家に来て、浄土真宗の色々な話を教えてくれた。浄土真宗では人が死ぬとすぐに仏になると教える。他の宗派では四十九日になってから仏になるらしい。そのため他の宗派では四十九日に魂を位牌に移すためお経を唱えるのだが、浄土真宗はすでに仏になっているので、位牌に移す魂がすでになく、位牌も作らないらしい。
・これを書いている時は喪中である。喪中のため忘年会や新年会は控えている。個人的には故人を思ってお祝いの席を慎むべきなのだろう程度に考えていたのだが、そうではなかった。身内に不幸があった人が会に参加すべきではないのは、周りの人への配慮らしい。もし参加した会の出席者の誰かが帰宅途中に交通事故にあってしまったとする。そうすると身内に不幸があった人が、災いを持ってきたんだと考える人がいるらしい。因習だとは思うのだが、会社の忘年会などの大きな会の場合、そう考える人がいてもおかしくない。だから喪中の人は祝い事の席には参加しないのだ。
・昔の人は喪中になると家から一歩も出なかったらしい。現代の感覚だと閉鎖的で大袈裟だなぁと感じるかもしれないが、その頃は疫病などで亡くなった場合、当然家族もその病気にかかっている可能性が高く、二次被害を防ぐために家から一歩も出ないという考えは、生活を守るために必要な行動だったんだなぁと思う。
・故人に捧げるお線香を立てずに寝かせるのが浄土真宗のやり方。
・
何か思うことがあればまた書く。
「台湾でAKIRA挙式 市民も祝福」
おめでたいけど、AKIRAと見ると俺はマンガの方を思い浮かべてしまい、がっかりしてしまう。
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よみうりランドへ行った。2歳児が無料入場券を福引でゲットしたので。いまはイルミネーションをやっているらしい。それも結構評判らしい。
事実奇麗だったけど寒かった。子供が喜んでいて良かった。
「田代容疑者 薬物で5回目の逮捕…なぜ」
昔は「田代ってこりないなぁゲラゲラ」的に思っていたのだが、今回とか「本当に薬物って怖い。もし自分がその立場でもやめられないかも」的に思うようになり興味深い。
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2011年に購入した「SSD:crucial/Crucial m4 CT064M4SSD2」が壊れた。SSDの寿命が5年とか言われているので、まぁ長持ちしたほうか。
だもんで、これを購入。以前の奴は64GBで8480円したのだが、今回は240GBで3630円。時代ってすごい。
あわせてOSも購入。Windows7のサポート期限が切れるからね。考えてみるとパッケージのOSを購入するのははじめて。いままではPCにプレインストールされていたり、DSP版を購入していた。OSはWindows10Home。Proはいらないっす。お値段19330円。Windows7のDSP版はもっと安かったけど、これも時代。
加えてExcel2019も購入した。Office製品を買うのも初めて。いままではExcel2003を使用していた。別にこれでも良かったのだが、さすがに会社の環境のリボンExcelに慣れているので、まぁね。お値段16270円。
あわせて
SSDが3630円
OSが 19330円
Excelが16270円
合計39230円也。
これは自作だからこの金額で済んでいたものの、メーカー製だったら新PCを購入していたかもしれない。これが自作PCの良いところ。
「徳井が自粛 後釜収まる芸人は」
俺の中ではなんか「徳井が可哀そう」的な気持ちが強い。徳井が悪いのは、もちろんわかっている。
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来世をテーマにしたトークを聞いた。色々な考え方があって面白かった。
・来世があるのでは?と考えている日本人なら「生まれ変わるなら人間がベストだよね」と思っているのでは? しかしチベット仏教的には何であれ生まれ変わること自体が良くないことで、何モノでもない解脱こそがベストという考えは面白い。
・輪廻転生とはなんだろうか? 人が死んで生まれ変わることなのだろうか。人の細胞は数か月~数年ですべて生まれ変わるという。死を迎えなくても細胞単位なら、人は何度も生まれ変わっている。その解釈に無理があると考える場合、その根拠の一因にアイデンティティがあると思う。しかしそのアイデンティティ自体が割と怪しいもので、大人になると幼児期の記憶なんてないに等しい。そうすると自分が生まれてからずっと自分であるというアイデンティティの継続性は割と怪しく思われ、生きている状態が継続していたとしても、もしかしたら輪廻転生に近いことは起きているかもしれないという考えは面白かった。
・結局のところアイデンティティの確認なんて、それを思った瞬間瞬間でしかできないんだなぁ、なんて話も面白かった。
・トークの中で来世に関する切り口が、ほぼ宗教絡みだった。俺は科学的な切り口での来世を信じているのだが。
・霊を見てしまったとかのオカルトとは違って、輪廻転生に関しては割と信憑性がありそうな話って聞く。信憑性はほぼないのだが、個人的には長男が生まれる前年に俺の母親が亡くなっていて、長女が生まれる前年に奥さんのお父さんがなくなっている。ある理由から、この子たちは生まれ変わりなのかもしれないなぁと思うことがある。
「ジョーカー 日本でなぜヒット」
もひとつ良いのが、ヒース・レジャーのジョーカーが見劣りしていないということ。
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本格的にiPhoneを復活させようと動く。しかしauショップに行ったら、「iPhoneはauでは直せないので、AppleShopに行け」と言われる。んでAppleShopに行ったら「あんたのiPhoneはガッチガチにロックがかかっているから、AppleShopでは直せない。auショップに行って購入証明書をもらってきてくれ」とか言われる。購入証明書を使っての復旧は数日かかるらしい。んで結局のところ、充電池がバカになっている昔使っていたiPhone5を使って、ロックがかかっていると思われるIDのパスワードを設定しなおして、iPhoneXRを復活させた。
しかし復活したのは主に機械だけ。唯一古いアドレス帳は復活していたものの、思い出の写真やゲームのデータなどは全部消えてしまった。ただ消えたゲームの中で「ドミネーションズ」のセーブデータが消えたのは良かった。数年間、毎日のようにやり続けたゲームで何千円かは課金もしていたが、このゲームに縛られていた気がする。いまはやれなくなって身が軽くなった。
スマフォを使わなくなると解放感があるとか、逆に禁断症状がでるとか聞いたりするが、そのどちらもなかった。スマフォがなければ暇な時間を考え事をするのに使えばいいし、ネットの情報は夜にPCを使えばいい。ただ今回は会社の携帯を持っていたので、家族と連絡を取ることができたが、これがなかったら禁断症状うんぬんではなく、やっぱスマフォをもっていないと社会から孤立しかねないなぁと思った。
「ユッキーナDM騒動 店側怒り」
ユッキーナは安定のクズとして、店側の言い分を読んだら納得のいくものだったし、ユッキーナの姉の言い分も納得いくものだったのが、この騒動の面白いところ。
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2019/10/12、数十年に一度くるレベルの台風19号が関東に上陸した。オレ、iPhone使えないのに。
俺の家は戸建てで多摩川に近い。氾濫したら被害をこうむるのは必須のレベル。家を購入する時も、この辺りは台風による洪水や、大地震の津波による被害が予想される地域と説明を受けていた。今回の台風19号。政府は危険を喧伝していたが、正直、やっぱり大丈夫じゃね?と楽観していた。しかし我が家には小さな子供がいる。変に突っ張って被害にあうのはかっこ悪いのと、一度避難というものを経験したいなと思い、歩いて100メートルの場所にある中学校の避難場所に家族で向かった。
避難場所と思われた中学校は4階建て。避難をしたのは16時くらいだったかな。避難をしている人は100人くらいだった。避難は簡単な紙切れに代表者の名前と家族の人数を書くだけ。実に簡単。それさえ済めば、開放している教室の好きな場所に敷布を敷いて座るだけ。以上。なので、ここからが苦痛の始まり。とにかく暇。子供はテンションが上がっているのか、校舎内をうろちょろするのだが、大人はただただ暇。こういうときにスマフォがあるとゲームをやったり、ニュースを見たりして暇をつぶせるのだが。だが…。
幸いにも自分が住んでいる地域は台風の被害はなく、22時過ぎには家に帰ったのだが、重々承知はしているのだが、やっぱりスマフォはすでに現代社会にかかせないことを再認識する避難だった。避難にはしかたなく会社のガラケーを持っていてのだが、当然ながらスマフォと比べて情報量が少ない。いまどきガラケーで見られるホームページは限られており、文字ベースのYahoo!ニュースくらいしか見られなかったのだが、そのころ奥さんのスマフォには多摩川の氾濫警戒区域が表示されていた。もし多摩川の氾濫が自分の家の近辺で発生していたら、俺は被害を受けていたかもしれない。
もしそうなった時、俺の身に何かが起きた時、奥さんは俺の友人知人に連絡ができない。スマフォがなくても俺は生きていけると思い始めていた。しかしそれはまだ俺が会社のガラケーを使って家族と連絡ができているからであって、それすらなくなったら俺は色々な縁から孤立するんだなと、変に突っ張っても仕方がない。スマフォを復活させようと心を変えた。
しかし復活への道のりが厳しいことに、俺はまだ気がついていなかった。
「世田谷区で多摩川が氾濫」
心配。
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でまぁ、ロックがかかって初期化しか方法がなくなったわけだが、PCを使えばデータはすべて消えてしまうが、スマフォ自体は使えるようになるらしい。だもんで、家のPCとiPhoneを接続。iTunes経由での復旧を試みた。しかしここからAPPLEって気が狂っているのかと思った。今回パスコードを忘れてしまったことが、原因であるにもかかわらず、初期化時にパスコードを聞かれる狂いっぷり。
これは何回かやったら消えたのだが、今度はAPPLEIDを入れろといってくる。最近のパスワードやらがわからない場合のID提示例ってAB●●●@ez●●●●●とか、全部を見せない方式が多いが、そのIDが間違っている気がしてならない。そしてそのAPPLE提示のIDを入力すると、やっぱりそんなIDは見つからないとか言われる。んだもんで、知っているAPPLEIDとパスワードを入力すると、当然のことながら次の画面に遷移するのだが、今度はそこで2ファクタ認証なるものがあり、その認証番号をiPhoneに送ったとか言われる鬼畜っぷり。
多少なりともネットを調べては見たのだが、答えは見つからなかった。仕事の関係でショップにも行けず。そして今日台風がやってきた。次回、台風編。
「台風 芸能イベント中止相次ぐ」
俺が参加予定だったイベント(飲み会)も中止。
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iPhone初期化が決定になって一番困ったのが写真。子供の写真を失ったのが痛い。大好きな写真が何枚もあったのに、それが見られないのがキツイ。
次は連絡関連。改めて考えると連絡ツールに優先度があるなぁと思った。家族との連絡に使うショートメール、リアルに会ったことがある人とのやりとりをするLINE、その次点くらいにFaceBook&メッセンジャー、最近ではぜんぜん会わない人とのやり取りに使うEメール。スマフォが使えないということは、家族は別としても多くの人と会えなくなるんだろうなと思った。恐らく俺がスマフォをずっと使わなくても、手紙を書いたり家に直接来たりする人はいないだろう。
いま俺がやっている主なスマフォゲーは「ドミネーションズ」と「ドクターマリオ」、「マリオカート」、「大航海時代6」。意外とこれらは、もうやれなくてもいいかなと思えた。逆にゲームから開放される気分になった。けどiPhoneが復活したらやりそうだ。
この日は会社を休んでジョーカーを観たのだが、ジョーカーが何時から始まるかスマフォで調べられないのが地味に困った。電車の中やお店で食事が運ばれるまでの空いた時間の暇つぶしにも困った。街中を歩きながら音楽を聴けないのも困った。けどやっぱり、それらからの開放感もあった。
だがこの時はまだ早くスマフォを復活させなくてはと思っていた。