「ユッキーナDM騒動 店側怒り」
ユッキーナは安定のクズとして、店側の言い分を読んだら納得のいくものだったし、ユッキーナの姉の言い分も納得いくものだったのが、この騒動の面白いところ。
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2019/10/12、数十年に一度くるレベルの台風19号が関東に上陸した。オレ、iPhone使えないのに。
俺の家は戸建てで多摩川に近い。氾濫したら被害をこうむるのは必須のレベル。家を購入する時も、この辺りは台風による洪水や、大地震の津波による被害が予想される地域と説明を受けていた。今回の台風19号。政府は危険を喧伝していたが、正直、やっぱり大丈夫じゃね?と楽観していた。しかし我が家には小さな子供がいる。変に突っ張って被害にあうのはかっこ悪いのと、一度避難というものを経験したいなと思い、歩いて100メートルの場所にある中学校の避難場所に家族で向かった。
避難場所と思われた中学校は4階建て。避難をしたのは16時くらいだったかな。避難をしている人は100人くらいだった。避難は簡単な紙切れに代表者の名前と家族の人数を書くだけ。実に簡単。それさえ済めば、開放している教室の好きな場所に敷布を敷いて座るだけ。以上。なので、ここからが苦痛の始まり。とにかく暇。子供はテンションが上がっているのか、校舎内をうろちょろするのだが、大人はただただ暇。こういうときにスマフォがあるとゲームをやったり、ニュースを見たりして暇をつぶせるのだが。だが…。
幸いにも自分が住んでいる地域は台風の被害はなく、22時過ぎには家に帰ったのだが、重々承知はしているのだが、やっぱりスマフォはすでに現代社会にかかせないことを再認識する避難だった。避難にはしかたなく会社のガラケーを持っていてのだが、当然ながらスマフォと比べて情報量が少ない。いまどきガラケーで見られるホームページは限られており、文字ベースのYahoo!ニュースくらいしか見られなかったのだが、そのころ奥さんのスマフォには多摩川の氾濫警戒区域が表示されていた。もし多摩川の氾濫が自分の家の近辺で発生していたら、俺は被害を受けていたかもしれない。
もしそうなった時、俺の身に何かが起きた時、奥さんは俺の友人知人に連絡ができない。スマフォがなくても俺は生きていけると思い始めていた。しかしそれはまだ俺が会社のガラケーを使って家族と連絡ができているからであって、それすらなくなったら俺は色々な縁から孤立するんだなと、変に突っ張っても仕方がない。スマフォを復活させようと心を変えた。
しかし復活への道のりが厳しいことに、俺はまだ気がついていなかった。
「世田谷区で多摩川が氾濫」
心配。
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でまぁ、ロックがかかって初期化しか方法がなくなったわけだが、PCを使えばデータはすべて消えてしまうが、スマフォ自体は使えるようになるらしい。だもんで、家のPCとiPhoneを接続。iTunes経由での復旧を試みた。しかしここからAPPLEって気が狂っているのかと思った。今回パスコードを忘れてしまったことが、原因であるにもかかわらず、初期化時にパスコードを聞かれる狂いっぷり。
これは何回かやったら消えたのだが、今度はAPPLEIDを入れろといってくる。最近のパスワードやらがわからない場合のID提示例ってAB●●●@ez●●●●●とか、全部を見せない方式が多いが、そのIDが間違っている気がしてならない。そしてそのAPPLE提示のIDを入力すると、やっぱりそんなIDは見つからないとか言われる。んだもんで、知っているAPPLEIDとパスワードを入力すると、当然のことながら次の画面に遷移するのだが、今度はそこで2ファクタ認証なるものがあり、その認証番号をiPhoneに送ったとか言われる鬼畜っぷり。
多少なりともネットを調べては見たのだが、答えは見つからなかった。仕事の関係でショップにも行けず。そして今日台風がやってきた。次回、台風編。
「台風 芸能イベント中止相次ぐ」
俺が参加予定だったイベント(飲み会)も中止。
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iPhone初期化が決定になって一番困ったのが写真。子供の写真を失ったのが痛い。大好きな写真が何枚もあったのに、それが見られないのがキツイ。
次は連絡関連。改めて考えると連絡ツールに優先度があるなぁと思った。家族との連絡に使うショートメール、リアルに会ったことがある人とのやりとりをするLINE、その次点くらいにFaceBook&メッセンジャー、最近ではぜんぜん会わない人とのやり取りに使うEメール。スマフォが使えないということは、家族は別としても多くの人と会えなくなるんだろうなと思った。恐らく俺がスマフォをずっと使わなくても、手紙を書いたり家に直接来たりする人はいないだろう。
いま俺がやっている主なスマフォゲーは「ドミネーションズ」と「ドクターマリオ」、「マリオカート」、「大航海時代6」。意外とこれらは、もうやれなくてもいいかなと思えた。逆にゲームから開放される気分になった。けどiPhoneが復活したらやりそうだ。
この日は会社を休んでジョーカーを観たのだが、ジョーカーが何時から始まるかスマフォで調べられないのが地味に困った。電車の中やお店で食事が運ばれるまでの空いた時間の暇つぶしにも困った。街中を歩きながら音楽を聴けないのも困った。けどやっぱり、それらからの開放感もあった。
だがこの時はまだ早くスマフォを復活させなくてはと思っていた。
そういえば最近は老いも若きも、おじん、おばんって言わなくなったね。
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年休を取得して会社を休む月曜日の朝。iPhoneを立ち上げようとするとFaceIDではなくパスコードを求められたので、6桁の番号を入力した。結果、パスコードが間違えているとのメッセージがでた。こんなのはよくあること。入力間違えをしたのだ。そう思って同じパスコードを入力したのだが、またエラーになった。ここでオヤ?と思う。2度も入力を間違えたのだろうか? たぶんそうなのだろうと思い、今度は間違えをしないように3度目のパスコードを入力。しかし駄目。
ここで大いにあせる。俺は思い違いで3度パスコードを入力したのだ。じゃあ何が正しいのか? たぶんこれだろうでトライするも撃沈。そしてiPhoneではじめてみるメッセージ。
「5分後にお試しください」
iPhoneのパスコードの解除はFBIでもできないと聞いたことがある。このまま間違え続けるのはまずい。と、ここで俺は冷静になるべきだった。なんのパスコードを入力したのか控えるべきだった。しかし俺は自分の記憶力を過信していた。パスコードはアレに違いない。俺は入力を間違えたのだ。誤ったパスコードを入力したときに出るメッセージが15分になり、やがて1時間になった。
iPhoneのパスコードの誤入力は10回までらしい。俺はそれを知らなかった。何回まで間違えていいのだろう? 俺は携帯ショップに行って、事情を説明してiPhoneの画面を店員に見せた。
「ほら、間違えるとこういうメッセージが出るんですよ」
しかし出てきたメッセージははじめてみるものだった。
「iTunesに接続してください。」
パスコードの誤入力が10回を突破。iPhoneの初期化が決定した。
「ドラクエウォークは、ポケモンGOの牙城を脅かす存在になるか」
やりたいなぁと思うけど「Ingress」でiPhone5、「ポケモンGo」でAndroidの電池が駄目になったから、躊躇するんだよな。結果、やらない。
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麻雀をやった。2019年4回目と5回目。
4回目は1ヶ月前くらい。書き忘れた、結果-30くらいだっただろうか。終電がなくなる~という状況で西入したので、あきらめた。そして負けた。
5回目も負けた-60くらいだっただろうか。とにかく最近の俺はポンコツ。3900点しかない状況で追っかけ立直をしたら、即下家に自摸られて満貫。裏がのったら跳満だねっていう状況で、案の定のってしまい、100点足らずでぶっとび。立直をしなければ飛ばなかったし、裏ドラがのらなければ飛ばなかったしで、もうフンダーリケッターリ。
正確には覚えていないが、結果的に今年は+145ということで。
「KAN提供の園歌 保護者が困惑」
こういうネタも出処が不思議。まぁ保護者なんだろうけど。
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家族で湯河原へ。ぼろっちいホテルだったけど、まぁ楽しめた。子供がいなければお高い宿に泊まりたかったが、良さがわからん子供に良い宿、良い料理を食わせるわけにはいかん。どうせ覚えていないし。
「たかみな「令和元日婚」報告」
おめでとう。逆に5月2日に婚姻届を出す人は少なそう。
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ヨコハマフリューリングスフェストへ行った。ドイツの料理とビールを楽しめる祭りin横浜赤レンガ倉庫。ドイツのビールはすごい。パイナップルフレーバーなどフルーツをミックスしたり、タピオカ入りのビールなどがあった。ビールにフルーツ?と思いながら飲んだが、これがうまい。日本は遅れているのかも。フルーツビール。日本でも流行りそう。逆にいわゆる普通のビールで最新!とか日本発上陸!なんてキャッチのビールは、日本のビールと大差なく、これが1200円とかして、ちょっとがっかりだった。
料理はどれもおいしかった。特にコーンビーフとマッシュポテトをあわせた料理がおいしかった。家でもすぐにできそうだ。
平成が終わろうとしている。平成ってなにがあったんだっけ? 思い出をツラツラと書いていく。このページは追記するたびに、上に表示します。
■昭和が終わった日
昭和が終わった日を昭和64年1月7日土曜日と記憶しているのは、その日、松戸で七草マラソンが開かれたからだ。当時、高校2年生だった俺はボート部に所属しており、部活動の一環で七草マラソンにエントリーさせられていた。いまも昔も俺はマラソンが見るのもやるのも大嫌い。だからこの日に天皇陛下が亡くなって、七草マラソンが中止になるであろうと小喜びした。しかしマラソン大会は開催された。陛下が亡くなったのだからイベントは中止だろうと悪態をつきながら走った。それが昭和が終わった日の思い出。
■事件・事故編
1.アメリカ同時多発テロ事件
俗にいう9・11事件。俺の中ではこれが平成で一番インパクトがあった事件かと思う。ウィキペディアを見ると2001年9月11日の出来事と書かれている。当時の俺はテクニカルライターをやっていた。ライターはいつだって締め切りでヒーヒー言っている。この日も締め切りに追われていたはずだが、一人暮らしのアパートに帰ると、テレビはこの話題で持ちきりだった。
最初、テレビをつけたときは、1機目がWTCに激突したとニュースで言っていた。しかもその映像が流れていた。すごい事故が起きた、まるで映画だと思った。しかし少しすると2機目が激突したと放送された。事故じゃなく事件だな。と思った。テロだと思ったかは覚えていない。ただただ映像のインパクト。すごいことが起こったなと思った。本当は原稿を書かないといけなかったが、テレビに釘付けになっていたのを覚えている。
その翌日だっただろうか、インドに旅行した時の友人から1枚の写真がメールで送られてきた。友人がWTCにいる写真だ。9/11の一週間前に撮ったものとのこと。恐らくわずかの差で命が救われた人、落とした人がいたのだろう。
その一ヵ月後、当時お付き合いしていた彼女がロス・アンジェルスに旅立った。世の中はまだテロに怯え、飛行機の乗ることを恐れていた。アメリカは喪に服し悲嘆している。そんなところに彼女は遊びに行った。だが帰国した彼女のプレゼントはWTCが炎上しているプリントが施されたTシャツだった。同じアメリカであってもNYとLAでは距離が離れすぎていて他人事だったらしい(彼女調べ)。これが平成で一番インパクトを感じた俺の中の9・11事件。
2.東日本大震災
当時のことはブログで書いていたのでそっちに任せるとして、いまは何を思うだろう。その当時、金融系のSのシステム会社で働いていたが、働く前からSは屑という噂を聞いており、働いたらその通りだったなぁと思った印象。そして大地震があった日、その会社の人間が「マニュアル作成(誰も見ない)の締め切りが近いから今日は残業だな」と言っていたのが、いまでも思い出される屑印象。
けど、俺もそれなりに屑で、大地震が発生した時に、近辺で人的被害がなかったことと、家族の安否は恐らく大丈夫だろうという気持ちがあったので、会社から家まで8時間かけて歩いたものの、いつもとちがう街の風景を興味津々で帰ったのを覚えている。翌週の余震が続いていた月曜日も「こんな日に会社へ行くやつは屑だぜ」と思いながら、自身も会社へ行ったのは、これも興味本位だった。なお8時間かけて歩いた時の靴はいまだに履いている。
ただそれでも、俺は目で見える範囲の人しか助けない(知らない人のために募金や献血はしない)と思っているのに、東日本大震災に関しては募金をした。被災された方々は大変な目にあっていると、俺ですら思い行動した。あとYoutubeに次々とアップされる津波動画には、恐怖した。映画での津波シーンは何度も見たが、十数メートルのリアルの津波を見たのははじめて。時代だなとも思った。
大地震が起きる前から、個人的には原発には反対で、世論が変わって脱原発の方向に傾くかと思ったが、そうはならなかった。大地震が起きて8年経つが、いまではその気配すらない。日本に原発が必要なのか、多くの日本人が考えるきっかけになったのも印象的な地震であった。個人的には大地震からの復興はかなり進んだと思っているが、原発事故からの復興はまだまだ全然という印象。平成から令和、さらに次の元号まで持ち越すのかもしれないな。
3.近所で起きた殺人事件
世間を騒がす殺人事件が近所で起きた。恐らくすべての主要テレビ局と新聞社が押しかけていたと思う。俺は会社に行っていたので応対はしていないが、家にも10数件の取材を申し込まれた。路上に駐車された黒塗りの車に威圧感があった。知っているテレビ番組の取材スタッフが道路で悪態を吐いていた。見知らぬ中年男性がメモ帳片手に、近所をウロウロしていた。それらのすべてがどこかの媒体と繋がっており、書かれたすべてが真実であり正義であると世間に喧伝されるのかと思うと怖かった。この町はもうダメだ。悪評が流れておかしな町になってしまうのだと思ったが、世間から事件が忘れられるといままでと変わらぬ町に戻った。
その事件に関してマスコミが流した良しとされるニュース。それが町では悪として語られていた。マスコミには流れないであろう話が近所では語られていた。自分にはこういう出来事は無縁かと思っていた。平成にそんなことがあった。
■作品
1.ビッグフィッシュ
ティム・バートン監督「ビッグフィッシュ」が、平成で一番良かった作品かな。とは言っても誰にも共感は得られないと思う。作品に対しての一定の評価は得られてはいるが、そこまでの作品ではないだろう。なんでその作品が俺にとっての一番かというと、上映後に初めての経験をしたからだ。
日本での公開は2004年5月15日~。この頃、俺はPの会社で働いていたのかな。観たのが有楽町と言うのは覚えている。女が沢山いた気がするから水曜日のレディスデーだったのかもしれない。作品の前評判は知らなかったが、ティム・バートン監督の作品は好きなので観に行った。
俺は作品を観て涙を流すことは少ない(最近はそうでもないけど)。せいぜい目をウルウルさせる程度か、涙が一粒零れる程度。だがこの作品を観終えた時の俺は嗚咽を堪えるくらいに涙がドバドバと流れていた。エンドロールが終わって映画館が明るくなっても、少し席に座っていた。それは誰かに涙を見られるのが恥ずかしいというわけではなく、放心に近い状態だったのかもしれない。
映画を観終えたらどこかで晩飯を食べてから帰ろうと思っていたが、まっすぐ家に帰った。身体に異物(食料)を入れて、いまの感動に浸った状態を汚したくないとその時は思ったのだ。映画館から出たときには涙は止まっていたが、フラフラしながら電車に乗って家まで帰ったのを覚えている。身体がそんな状態になったのはこの時が初めてであり、以降も経験していない。DVDを購入してビッグフィッシュをもう一度見たが、その感覚は味わえなかった。
アマプラの「有田と週刊プロレスと」で、有田が言っていた。
「高田vsヒクソンの試合を見た後に、会場にいた全員が放心して東京ドームを後にした」
有田は傷心で俺は感動なので種類はちがうが、同じような状態に身体がなったのだと思う。俺にとっての貴重な経験。みんなに体験してもらいたいが、薦め方はわからない。それが俺にとっては「ビッグフィッシュ」だったけど、人によってはちがう何か。俺のベストムービーである。俺は映画や漫画、小説、音楽などを楽しむが、そのすべての中で平成に上映された「ビッグフィッシュ」がナンバー1である。昭和を含めてもナンバー1だけど。
2.コンタクト
カール・セーガン原作、ロバート・ゼメキス監督、ジョディ・フォスター主演の作品。この映画を傑作と取り上げるには、3つの事柄を書く必要がある。ひとつ目はカール・セーガンの存在。天文学者カール・セーガンは俺が尊敬するほとんど唯一の人。小学生の頃に放送した「コスモス」の原作者であり番組の進行を務めていた。「コスモス」の内容自体は割りと難しかったかと思う。しかしカール・セーガンが語ると理解できた気になれた。難しい話を平易に話せる人が俺は好き。病床に臥せるカール・セーガンにジョディ・フォスターが宇宙の質問をしまくったという逸話は好き。
ふたつ目。俺は神ではない大きなものの存在に惹かれる。この映画を見る前に惹かれていた大きな存在は「2001年宇宙の旅」に出てきたモノリスを創った主。あの映画を観ただけではあまりわからないが、小説版を読むとモノリスを創った主は猿から人間へ、人間からスターチャイルドへ進化させている。そういうことができてしまう存在が描かれていた。コンタクト(小説版)はその存在を超える宇宙の想像主が円周率を用いて描かれていた。俺が知る限り宇宙の想像主がマックス。もちろん納得いくような描かれ方をしているのが前提。
みっつ目。この映画を見る1年前か2年前か…。最初に在籍していた会社の人間から宗教を勧誘された。それまでの俺は宗教に対してニュートラルよりプラスの考え方を持っていた。宗教をやるのは自由、俺はやらないけど、やりたい人はやればいい、一部の人は宗教というだけで毛嫌いして人格まで否定するけど、俺はそんなことないよ、寛容だよ。というスタンスでいた。
会社の人間が色々な人に宗教の勧誘をしているのは知っていた。だから自分が誘われた時は、とうとう来やがったな、話だけは聞いてやるぞくらいに思っていた。そして宗教に関しての話を聞いた。しかしお話にならなかった。言っていることが矛盾だらけで、疑問をぶつけてもよく分からない返事が返ってきて、それなのに中々帰してくれない。なんかもう疲れて本当に嫌だなぁと思っていたら、近くの席に座っていた男が立ち上がり、俺がいるテーブルに腰をかけた。宗教勧誘者の親玉だった。
俺はその時に、騙された!という思いと同時に、神々しい顔をしていた親玉を見て「なんて神々しいんだろう」と思ってしまった自分が怖くなってしまった。親玉とは絶対に話をしないと、相手に伝えてそれから1時間くらいして解放はされたけど、それから宗教すべてが怖くなってしまった。宗教だけでなく仏像やお寺、キリスト像などなんらかの神様仏様に関わるすべてが怖くなってしまった。
コンタクトは宇宙人から送られてきた宇宙船の設計図を元に、別惑星へ旅立つ話だ。そして別テーマで科学と宗教の立ち位置、関わり方にも語られていた。映画の中では、科学と宗教は真理を突き止めるという同じ目的を持っている。両者の違いは目的に到達するまでのは手段が異なるだけだと語られていた。そのメッセージを聞いて、俺の中の宗教に対する恐怖心が取り除かれた。以前とはちがう気持ちで宗教を眺められるようになった。俺の中で「コンタクト」はそういう意味がある、映画が面白い否かを超える作品だ。
3.ブランキージェットシティ
平成で1番のミュージシャンをあげるならBJCかな。正確なカテゴライズはわからないけど、ミッシェルもバンプも良いなぁとは思うけど、ブランキーのフォロワーだなぁと思ってしまう。ブランキーで一番好きな曲は…というか歌詞は「車泥棒」。
「楽しい遊園地の中で 迷子になった小さな子供が お母さんを探す気持ちは真実 。たぶん宇宙の形は その母親が子供を抱きしめた時に 湧いてくる気持ちに似ているんだろう」
よく分かっていない宇宙の形を、こんな的確に表現できるなんてすばらしい。
4.AKIRA
あくまで個人的に平成を代表する漫画といえば大友克洋作「AKIRA」だ。絵がうまくてセンスがあってかっこよくてストーリーも最高。メカもカッコイイ。駄目なところがひとつもない作品。デスノートも好きで頭脳戦はいま読んでも面白くて、絵もうまいけど、センスがズバぬけてはないかなぁ。コブラも大好きだけど、昭和臭の方が強いしなぁ。AKIRA最高。2020年はAKIRAの年だ。
5.大航海時代オンライン
俺的に平成を代表するゲームは大航海時代オンラインかな。単純に面白いゲームという意味ならマインクラフトやスプラトゥーン2、ゼルダの伝説、モンスターハンター、テラリア、ドラクエ、イースなどなど、たくさんあるが、オンラインでの仲間とオフラインで出会い、ゲームをやめたがいまだに付き合いが続いているというのは平成を代表するゲームに値する。
この間、漫画喫茶で久しぶりにプレイしてみたが、もうわけが分からなくなっていた。やれることが多すぎるのだ。いまからプレイする人はスムーズにインできるのだろうか。などと思ったりした。
■個人的なこと
1.オーストラリアへ行った
俺の人生の中で海外旅行は外せない思い出。初めて長期で旅行に行ったのはオーストラリアだが、そもそもそれはフィンランドですごい簡単な英会話すらできない自分にショックを受けたからだ。加えて、自分にはやりたいことがなく、誰かに言われるままに学生生活を送り就職をして、なにもないまま死んでいくのは、なんとつまらない人生だろうと思ったからだ。
オーストラリアに1年間行ったのは正解だった。それまでの俺はクズだった。自分の人生がつまらないのは、知らない誰かや日本の社会のせいだと思っていたが、自分の人生がつまらないのは自分のせいだと考えを改めることができた。それにより前向きに物事を考えられるようになったし、ずいぶん能動的に行動できるようになった。車でオーストラリアを一周したことや、ホームステイ先のファミリーに温かく接してもらえたのは良い思い出だ。
ただ英語ができるようにならなかったのと、ビジネスビザを取れるチャンスを自分で潰してしまったのは、今思うともったいなかったと思う。ホームシックになったわけではないのだが、ワーキングホリデイビザが切れる時に、自分がいるべきはオーストラリアではなく日本だと思った。オーストラリアにい続けていたら、俺の人生は全然ちがっただろうなぁと時々思う。
2.インドへ行った。
自分のアガスティアの葉を探しにインドへ行った。結果、トルコ人に騙されてカシミール地方シュリーナガルへ連れて行かれた。自分の選択を間違えていたら死んでいたかもしれないなと思う。もう二度とインドには行きたくないと思っている。けどその時の模様を書いた旅行記がなければ、いまの結婚はなかったので、なにが幸いするかはわからない。
■平成が終わろうとしている。
昭和47年生まれの自分にとって、昭和は幼年期から青年期、平成が青年期から中年期を過ごしている。ざっくりいうと昭和を子供の頃に過ごして、平成を大人で過ごしている。そして令和は老齢へと向かっていき、恐らく令和の次くらいには死ぬのだろう。
平成は色々あったので、一言では語れないが、結果的に海外に行って視野を広げることができ、一生懸命に仕事をやった時期があり、結婚をして、子育てを経験できたのは良かったと思っている。すさまじくうれしいことはなかったが、逆にとんでもなく悲しいこともなかった。
平成はインターネットと携帯電話の時代と言い切れる。どちらかが欠けていたら、いまほどの発展はなかっただろう。恐らく世の中は以前より便利になったのだろう。本屋とCD屋はバタバタと潰れ、アマゾンでワンクリックで購入できるようになった。しかし、実店舗に行かなくてよくなり、大幅な時間の節約ができているはずなのに、どうして昔と変わらず俺には時間がないのだろう。
令和はなんの時代になるのだろう。個人的にはAIとIOT、VRの時代になると思っている。もうそのようになりつつあるが、AIは人間のすべての職業に入っていくと思う。人間に残された仕事は想像だなんて考えもあるが、現実的にはジャッジになるんだろうなと思う。IOTがすべていきついた先は、なにになるのだろう。俺レベルではすべての製品の管理くらいしかおもいつかないが、それはすごいことなのだろうか。物流革命はおきそうだけど。VRはタイムマシンになる技術をすでにもっているから、大いに期待したい。
貨幣は電子に置き換わり、ドローンがより身近になり、コンビニから店員がいなくなり。そう考えると令和という時代は平成以上に、変革が溢れているのかもしれない。そんなことを考えるとワクワクが止まらなくて、長生きしたくなってしまう。
「指原卒コンに松本人志が登場」
丸くなったなぁ。本気で鶴瓶師匠になろうとしているのだろうか。
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GWに子供をどこに旅行へ連れて行けないのは不憫なので、藤子不二雄ミュージアムに行った。子供のために行ったつもりだったが、ドラえもんの原画などを見て感動してしまった。大人でも充分楽しめる。
ミュージアムに行って発見、というか思い違いをしていることに気がつけた。てっきり21エモンはドラえもんのセルフパクリなのかと思っていた。ドラえもんが人気のころに21エモンのアニメを開始したから。けど原作は21エモンの方が先だった。
子供にドラえもんのでっかいぬいぐるみを買ってあげた。喜んでいた。
藤子F不二雄先生が川崎市に在住だったことをはじめて知った。だから川崎市にミュージアムがあったのか。
カットしてたら大ブーイングだっただろうに。
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麻雀をやった。2019年2回目。会社の人たちとのポテチン麻雀。面子は新森松村山大関岡の8人二卓。
結果は+36
今年は+51
まぁなんもないな。大が超絶マナーが悪い以外は。もうやりたくない。
思えばAKBが全然売れる前に篠田麻里子をぷっスマで見て、この子は可愛いなぁと思ったものだが、この結婚はなんだかなぁと思った。
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今日、47歳になった。最近は子育てに疲れており、なにも考えたくない感じ。けど、どうやったらこの先、会社に頼らないで金を稼いで生きていけるかを考えている。というか考えないとなぁと思っている。
それが最近の考え事。
う
ここ一年くらい日立製のエアコンの調子が悪かったのだが、とうとう動かなくなった。日立って最先端とは無縁だけど、物が長持ちする印象があったのだが、8年くらいで壊れてしまった。一度修理をお願いしたのだが、直らなくての購入。 「三菱製は日本製なので良いよ~」と薦められたので、霧が峰にしたのだが、いまどき日本製が良いという印象はないんだけどな。中国製よりは良いだろうけどさ、くらいの印象。 商品の御代は税込み10万8千円。 10年は持ってほしいな。そうすっと俺は56歳か。怖い。そもそも問題を起こした人の作品を差し止めるというのは、どういう理屈なのだろう。
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ボドゲをもらった。その3は「ガイスター」。これは面白かった。ルールは子供にも理解できていい感じ。俺は麻雀のように手の内を読まれないようにアーダコーダするゲームが好きみたいだ。
まず最初はルールがよくわからないから適当にやるけど、そうすると赤おばけと青おばけの役割がわかるようになる。二回戦になると、出口へ行こうとしているおばけは青なんだなと予想がつくけど、そこが逆に怪しいと思ったり。そういう駆け引きが面白い。しかも小学二年生の息子が、それに気がついてこちらを騙そうとしてきたり。
これはなかなか良いゲーム。気に入った。
こういうのは良いよね。良い番組はどんどん復活させれば良い。かといって、なにが復活してほしいというのは思い浮かばない。
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正月を過ぎたあたり。なにを思ったか子供がスゴロクと福笑いをやりたいと言い出した。そして2年位前に買った幼児向けのクソ面白くない、スゴロクと福笑いで遊ばされた。しかし子供は大満足の大喜び。そんなので満足してないで、お父さんがもっと面白い、例えば人生ゲームとか買ってやるよ。と思った矢先、友人(面子)から長女の誕生祝にボドゲを送ったからとの連絡が入った。うひょー、なんて良いタイミング。
届いた祝いには3つの品が入っていた。サンクス。
まずは「ナンジャモンジャ」をプレイング。
ルールは簡単。ターゲットは子供向けだね。4歳からできるって書かれている。子供向けだからと言って大人が圧勝かというとそうではなかった。このゲームは記憶力勝負だったので、むしろ子供の方が強かった。故に子供が喜んでいて良かった。良かった。
つづく